小学校時分、登下校の子供達の間で流行っていた遊びがある。「てぶくろの反対は何?」と訊いて「ろくぶて」と答えた瞬間、手背を6回叩くのだ。今でもやる子たちはいるのか?それともこんなことでもいじめ扱いされるのだろうか?押しくらまんじゅうや馬乗りなど身体を使った遊びには、いじめのエスカレートを防いでいた面があると思っている。確かに弱い子が狙われた。一方で、どこまでで止めるのか?という境界を文字通りからだで憶える時代だった。今日は「手袋の日」。

去年の当欄で向田邦子著『手袋を探して生きる』を紹介した(アーカイブ2014.11.23)。20代で血気盛んだった向田さんの人と“なり”がよく伝わる秀逸エッセイだ。あの文章を読んだ多くの人が、自分にとっての手袋とは何かを自問したことだろう。
僕の心に強く残るのは、彼女に人生の転換点を示唆した良き上司がいた事だ。上役風を吹かすことなく、さりげなく食事に誘い、向田邦子という女性の生き方の核心を突いたつぶやきを漏らすーーなかなか出来る芸当ではない。そういった上司に巡り会う運も実力のうち、なのかもしれない。
その向田さんに『ゆでたまご』という文章がある。四百字詰原稿用紙4枚に満たない小品だが、読後感のとてもホカホカする佳作と思う。概要を小欄で紹介したい。

◇小学校四年の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。Iは足だけでなく片目も不自由でした。背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。ゆとりのない暮らし向きとみえて、衿があかでピカピカ光った、お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。性格もひねくれていて、かわいそうだとは思いながら、担任の先生も私たちも、ついIを疎(うと)んじていたところがありました。
 たしか秋の遠足だったと思います。
 リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばに、Iの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。かっぽう着の下から大きな風呂敷包みを出すと、
「これみんなで」
 と小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。
 古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。ポカポカとあたたかい持ち重りのする風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げているIの母親の姿にいやとは言えませんでした。
 歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。Iの母親は、校門のところで見送る父兄たちから、一人離れて見送っていました。
 私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかいゆでたまごのぬくみと、いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。◇(精選女性随筆集十一向田邦子 小池真理子選 文藝春秋より)
エッセイではこの後、運動会の徒競走で足を引きずり、よろけたIが走るのをやめようとした時、気難しい年輩の女性教師がコースに出てIの伴走をし、ゴールするやIを抱えて校長の前に進み出で、ほうびの鉛筆をもらったエピソードを回想している。そして、最後にこう締めくくるのだ。
◇私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。◇(同上)

この文章を読んだとき、脳裏に浮かんだのが40代の女性患者、Hさんだった。子どもが自閉症でしばしば入院するほど大変なのに母子で頑張り、いつもニコニコと診察室を訪れる。うつで落ち込んだ時さえ、遠慮して話すHさんには、「これみんなで」と向田さんにゆでたまごを差し出したIさんの母を彷彿(ほうふつ)とさせる雰囲気がある。
向田邦子が探した”手袋”の正体は、この小さくもあたたかな、心にぬくみを与える”ゆでたまご”だったのではないか?そう思えた。