まちを歩けばキンモクセイの香り漂う季節となった。秋真っ盛りの体育の日、亡き体育恩師の墓参りをした。昨年10月10日、当欄で書いた長谷川金明先生(享年27歳)の墓だ。[先に去年のコラムを読んで下さると幸いです]

一宮駅から北に2㎞。今伊勢町の線路脇にこじんまりした墓地がある。その一画、1坪に満たない仕切りに子供の背丈ほどの墓石。「長谷川家累世塔」と彫られたその墓を建てたのは金明先生の父母。体育の日前日に先生が逝ってひと月後のことだった。
何が辛いと言って逆縁ほど身を切る出来事はない。子供二人を抱えるこの歳になって心底そう思う。我が子を二十歳代で喪ったご両親の悲しみがどれほど深かったか。
本名のかねあきでなく、“きんめい”と皆から親しまれた金明先生は、母も祖父もおじも教師だった。僕は小学1年で母堂の美枝子先生に教わり、中学1年から息子の金明先生に教わった。思えば不思議な縁である。七回忌のとき、結婚直後に病気がわかったときは手遅れだったと涙ぐんだお母様の様子が忘れられない。

きょうは先生の妹美知子さんから、今伊勢の実家でお話をうかがった。ご両親もとうに亡くなり、唯一の肉親の美知子さんは横浜に住んでいるので、ときどきご主人と実家に戻っては掃除片付けをするが、人が住まないと家というのは傷むようで、仏間の天井の穴のわけを訊いたら「アライグマ親子が居座っているんです」と教えてくれた。
美知子さんが当時の写真を探し出してくれたが、僕らの学年のものは無かった。
一宮高で天文観測台(高校であるのは凄い)をバックにしたり、中京大で他大学生と並んだりといったスナップはあるが、最後の3年間、つまり僕が教えてもらった25歳以後の写真は1枚も残っていない。たぶん、新婚前後の想い出の残るアルバムが辛くて奥様が処分したのではと、妹さんは推し量る。[奥様は先生の逝去後、籍を抜いて再婚された]

心に残る一枚があった。高校陸上部で一心不乱に走る金明先生。それを見た瞬間、以前美知子さんから聴いたエピソードが蘇った。
昭和39年秋、東京オリンピックの聖火リレーで一宮市内を走ったのが金明先生だった。
いま、東京オリンピックと云えば、2020年の来るべき五輪のことだ(開会式は7月)。国立競技場デザインの白紙撤回、シンボルマークの剽窃疑惑など、今の日本を象徴するかのようなトラブル続きだが、スポーツの原点に戻った祭典にしたいと思うのは、僕ひとりではないだろう。

きんめい先生に、2度目の聖火リレーを走って欲しかった。そして、あの垂れた優しい目で、語って欲しかった。生きていれば、71歳でのランになったはずだ。
やっぱり、体育の日は10月10日であってほしい。