百歳以上の高齢者は過去最多の6万人を超えたことが厚労省の調べで分かった。うち、女性が87.3%。最高齢女性は1900 年生まれの115歳。つまり3つの世紀にわたって人生を送ってきたことになる。”Life is short, art is long" が過去のことわざとなった日本。昨年4月の開業以来、この院長ブログも100回目。そこできょうは”百”にまつわるお話。

「きんはヒャクサイ、ぎんもヒャクサイ」――長寿者といえば名古屋の双子姉妹、成田きん・蟹江ぎんさん(1892年生まれ)が思い浮かぶ。それぞれ、107、108歳までを生きた。子や孫たちにも長寿者がそろい、寿命はある程度遺伝子に左右されることがわかる。
興味深いのは、マスメディアに注目される前のお二人は「痴呆」とされていたことだ。(当時はまだ認知症という表現はなかった)。総白髪だった姉妹がテレビに出るたびに黒髪が増えていったという。全国を取材旅行で回るために筋力トレーニングを積んだ結果、記憶力の改善したことが確認されている。
21世紀の今、高齢者の健康には「肉を食べて、筋トレしましょう」というのが常識になりつつある。アルブミンという血液のタンパクを反映した数値から、床に臥せるお年寄りの予後がわかるといわれる。
きんさんぎんさんで記憶に残っているのが、100歳を超えて初めて確定申告したときに「稼いだお金はどうしますか」と聞かれて「”老後”の蓄えにしときます」と答え、周囲を笑わせたエピソードだ。”笑い”が癒しのカギになることは、繰り返し述べてきた心身医学の黄金則だが、長寿にもつなるのだなあと改めて思う。

かたや、この女性は現在56歳。1970年代の日本を代表する歌手、女優。――山口百恵(やまぐち・ももえ)
最近、彼女に関する本が出版された。『山口百恵は菩薩である 完全版』(講談社)。今は故人の平岡正明が36年前に刊行した同名書を底本とし、それ以後の百恵関連文を四方田犬彦が追加編集した430頁の大著だ。当時、読みたいと思いながら読めずにいたので、今回さっそく購入して読んだ。
彼女の生い立ちは、わずか7年半で芸能界を引退し、映画共演で恋仲となった三浦友和と結婚したときに出した自伝『蒼い時』に詳しい。私生児として生まれ、認知されたが父親はときどき「来る」おじさんだった。生活保護を受け暮らしてきた母と妹を助けるために芸能界入りを志す。
「スター誕生」で歌手デビュー、文字通りスターの階段を登り始めた。有名になったとたん、父親が百恵にすり寄ってきた。彼女の名前を利用する行為に出た。同書の冒頭「出生」の章で、彼女はこう書く。「金銭で血縁を切る。、、そのことに対して私は、いささかの後悔もしていない。」
その一方で百恵はこうも記すのだ。喫茶店で紅茶を飲んで立ち上がる瞬間、ティーカップの底に飲み残しの一口を見た。「これは、あの人の癖だった。、、カップの底に残された一滴の液体が、あの人と私の間を流れる縁の薄い血のような気がし」たと。
平岡は『百恵は菩薩』のなかで、戦後歌謡界を代表する歌手として、美空ひばりと山口百恵を挙げている。「足の太い、沈んだ目」をした少女のどこに、そのエネルギーを感じたのか。ジャズ評論の達人でもある平岡は、宇崎竜童・阿木燿子コンビと組んだことで百恵の才能が開花したという。最初の提供曲は『横須賀ストーリー』(阿木作詞・宇崎作曲1976)。周囲に引かれた”青い性”路線をひた走ってきた百恵が初めて、自分の意思で歌の作り手を選んだ。
当時『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』などでツッパリ路線全盛だった宇崎は著書でこう書いた。「思い入れがあった。横須賀で育ったという共感、、、影を引きずっている、、薄幸で可哀そう、なんとかしてやりたい・・・不思議な魅力だった」。
菩薩は、仏になる途上の修行者のこと。では、平岡の言う「菩薩」とはなんだろう?確かに、百恵ちゃんの歌は、当時のティーンエイジャーの心を掴んだ。
真っ赤なポルシェを気ままに運転し、交差点でミラーをこすったと怒鳴る男に「♪馬鹿にしないでよ そっちのせいよ♪」と歌うそのトーンが物悲しくて、背後の物語を想像させた。

歌は世につれ、世は歌につれ、という真実をJ-POP時代の若者が理解できるか?歌が心の治療の砦(とりで)になることを確信する者として、山口百恵の歌を口ずさみながら、考える。そして、やっぱりこう想うのだ。
山口百恵は昭和の菩薩だったのだと。そして、祈り・笑い・歌う(い・わ・う=祝う)ことが、”治り”に繋がることをーー。