梅雨直前のこの時季は医学も学会シーズン。外来休診の木曜日、日本精神神経学会学術集会に参加した。第111回の歴史あるプログラムの中で聴きたかったのは、脳科学者かつ臨床医として名高い中田力(なかだつとむ)新潟大・カルフォルニア大名誉教授の特別講演。超ハイレベルの内容を分かり易く加工して報告したい。

米国は2年前、国家プロジェクトとして脳の最先端研究を打ち上げた。21世紀は脳の世紀とも言われる。その研究で頻用される検査技法・機能性(f)MRIの権威が中田名誉教授。MRI自体は脳卒中や認知症を疑われると病院で検査されることが多いので、ご存知の方もあろう。梗塞や萎縮などを鮮明に映し出すスグレモノだが、fMRIは思考や計算で脳のどの場所が活性化するか解析できる、つまり脳機能を測定できるのが特長だ。

脳はニューロンと呼ぶ神経細胞がネットワークを形成し、グリア細胞など周辺組織が支える。それらが、2リットル入りペットボトルに全部納まるコンパクトな構造になっている。折り畳まれた表面を広げた面積は新聞紙大。
おおまか大脳、小脳、脳幹に分かれ、脳幹は呼吸や体温などの生命中枢。小脳は鳥類で発達したが、平衡感覚を司り、研究で手続き記憶に強く関わることがわかっている。手続き記憶とはたとえば、自転車に乗るなど体で覚えるもの。パブロフの犬で有名な条件反射も小脳が主役だ。
ヒトに特徴的なのは発達した大脳皮質(一番外側の”饅頭の皮”部分)。場所によって機能分担がある。例えば耳の上方奥(側頭葉)がやられると言葉がうまく出て来なくなる(ブローカ言語中枢)。その後方がやられるとしゃべり自体は流暢でも意味のある言葉が出ない(ウェルニッケ言語中枢)。
こうした事実から、機能局在論が今の脳科学の中心を占めている(この症状は脳のどこどこがダメになったせいといった議論)。しかし、そういった古典的脳科学から脱却すべしというのが、プロフェッサー中田の主張だ。
キーワードは『複雑系』。ニュートン力学に代表される「条件が与えられれば、結果はわかる」科学を線形科学という。たとえば星の動きがそうだ。次の日食がいつ来るか1分単位で計算できる。コンピュータが最も得意とする分野だ。
いっぽう、自然界の現象は確率的にしか将来を予測できないことも多い。一カ月先の天気予報があたらないのは、初期条件のわずかな違いで結果が正反対になるからで、これを非線形科学という。人間の脳内事象は非線形なのだ。
ここから名誉教授の話は昨今の愛着障害に及ぶ。人間の精神の発達も非線形である以上、初期条件で後の結果におおいに差が出る。しかも大脳皮質はその発達の柔軟性に対し、ある時点で締切を作る。言語機能は2年。視機能は6年。眼球自体に問題なくとも6年間眼帯をして育つと、その後は(眼帯を外しても)一生、目がみえなくなるという。いっぽうで近視はほとんど後天性。この10年で上海の子の近視率は26倍。
同様に、幼少時に愛着を持って育てられないと、学童期になってADHDなどの障害が増加する。脳組織に障害がなくとも機能不全を起こすというのだ。日ごろ、こうした人たちに接している者として身につまされる思いがした。
話題はさらにアルツハイマー型認知症で蓄積するβアミロイドに広がり、脳内の水チャンネルの流れでこの物質の洗い流しをするという高説に及んだ。睡眠中にウォッシュアウト率は高まるとのこと。眠りは子どもだけでなく、年寄りにも必要なのだ。

東大を出て米国に渡り、救急臨床と脳機能研究の双方を極め得た医学者の”熱風講義”に汗かきかきの聴講だったが、その雰囲気の一端が伝われば、今日のコラムの目的は達したことになろうか。中田先生の関心は最近、歴史にも及び、邪馬台国がどこにあったのかを追求した本も書いている。興味のある方はPHP新書をご覧ください。天才の思考回路が辿れます。