「あの日」もまた、雪が舞っていた――東日本大震災から4年。千年にいちどの揺れが2万2千の命を奪った記憶は、いつまでも「あの日」と地続きだ。自然の猛威からは逃れられないと感じつつ、思うところを綴る。

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が宮城県沖130㎞の海底で発生した。太平洋、北アメリカ両プレート境界のひずみエネルギーが津波を引き起こした。最大海抜40mを超える場所まで津波が押し寄せ、すべてを流し去った。南三陸町の防災無線で「高台に避難してください」と繰り返し呼びかけ、自らは津波に巻き込まれた遠藤未希さん(当時24歳)の声が、ときおり幻聴のようにリフレインする。
三陸地方では昔から大地震による津波が繰り返し発生してきた。その被害から逃れる合言葉が“津波てんでんこ”だ。てんでんこ(=各自それぞれ)という方言が元で、大津波が来たら周りをかまっている余裕は無く、まず自分が率先して高台に逃げなさいという先人からの言い伝えを表した言葉。それを今回の大震災で実践したのが岩手県釜石市の小中学生たち。避難指定施設も危ないと感じた子どもたちの自主判断で、さらに高台に移動して難を逃れた。
抵抗しようのない障壁から「逃げること」の大切さを示した東北大震災。その対極にあるのが今からちょうど70年前に起きた東京大空襲だ。
昭和20年3月10日未明、米軍B-29大群機による下町への無差別爆撃。死者10万人、罹災者100万人の惨劇を生み出したのは、強風の時季を選び、クラスター焼夷弾で木造家屋を燃やして被害拡大を狙ったアメリカの戦略ゆえだが、それに手を貸したのが大本営の国民への指示だった。国家総動員法統制下、臣民の責務として隣組が組織され、空襲火災対応策にバケツリレーを奨励した。油脂の詰まる焼夷弾を手水で消そうとしたことが文字通り「火に油を注ぐ」結果となり、被害はさらに甚大化したといわれる。
紅蓮(ぐれん)の炎を前に逃げなかった(逃げられなかった)住民の心はどんなだったのか?

心身医学の礎(いしずえ)を築いた生理学者にウォルター・キャノン(1871-1945)がいる。生命体は自律神経系や内分泌系を介して環境を一定に保とうとする働きがある(ホメオスタシス)。とくに動物が敵と出会う時、自律神経のうち緊張を司る交感神経が活性化する。そして、相手と「闘うか逃げるか(Fight or Flight)反応」を示すと唱えた。
いじめっ子に出会った時にどう立ち向かうか? 上司のパワハラへの対応は?――日常生活のあらゆる場面でヒトを含めた動物が示す反応は、すべてこのファイトオアフライト反応をベースとしている。その際ほかの動物なら、ほぼ本能にプログラムされた通りに応答するのだが、人間だけは大脳皮質という”過剰な中枢”を進化させたせいで、余分な知識に基づく経験が邪魔をする。
「いま焼夷弾を放っておいたら後でなんと指弾されるか、、」 vs 「火の粉を消すより自分の命あっての物種、、」

人間というのは、津波てんでんこという知恵をとおして生き延びることもできる一方、隣組のしがらみで命を落とすこともあるややこしい生き物だ。逃げるのか、留まるのか?答えは逃げ水のように近くて遠いところにある。