コロナパンデミックが3周目に入り、ウクライナへのロシア軍侵攻が止まず、東日本大震災から11年が経った令和4年3月。きょう16日は、吉本隆明の没後10年。
若い人にはピンと来ないかもしれない。平成なら吉本ばななの父と言えばよかったが、令和の今は、吉本?Who?吉本新喜劇の関係者か、と言われかねない。

ネット事典で引くと、詩人で評論家と出てくる。全共闘世代にとってはカリスマ的存在だった吉本隆明の名前を本名の「たかあき」でなく、「りゅうめい」と覚えたのは、今から40年前の早稲田大学時代だった。
同年輩よりも年長者にシンパシーを感じていた昭和50年代。早大の英語サークルWESSで一緒になった同郷のA君から教わったのが、社会学者の真木悠介(見田宗介)と吉本隆明だった。

最初に買い求めたのが「共同幻想論」。ひと言でいえば、国家や共同体と個人の関係性を問うた本なのだが、正直、よくわからなかった。
目次には順に、禁制論、憑人(つきびと)論、巫(かん)ナギ(巫扁に見)論、、と難しい漢字が綺羅星のごとく並んでいた。通読のできないまま、時が流れた。

後年、精神科医となって、禁制(タブー)論の項目が多少理解できるのを感じる。精神分析の始祖、フロイトが援用されているからだ。タブーと深く関わるのが抑圧という概念だ。
 抑圧とは、心の中心にある自分自身(=自我)を脅かす願望や衝動を、自分の意識の底に閉じ込めようとする防衛機制のひとつ。日々の診察で、氷山の水面下の部分だよなどと説明することがある。
抑圧は心を守るために誰にでも生じる自動装置であり、治療の行方は抑圧への気づき次第という面がある。

吉本は禁制論の中で、フロイトの著作「トーテムとタブー」を引用し、独自の説を展開する。
「未開種族」だけでなく、人間一般にみられる性的な抑圧を、フロイトのように個人に固有の現象ととらえず、カップル間の〈対なる幻想〉の世界ととらえるべきとする。これに対置して、国家とは、成員たちによる〈共同の幻想〉としてとらえる。背景には、マルクス・レーニン主義の国家観である史的唯物論への反駁がある。

ここではこれ以上深入りする余裕がないが、2020年7月、NHKのEテレ「100分de名著」シリーズ(講師・先崎彰容日本大学教授)で「共同幻想論」が放映されたので、それを参照しよう。

1924(大正13)年、吉本は東京・月島に生まれた。「船大工の息子」で工学が専門の戦中派であり、皇国少年を自負していた。それが敗戦により、世界が反転する。
昨日の善は今日の悪、という図式に乗る知識人の浅薄さについていけない感情の原点をとことん追求した。
基本を「大衆の原像」に置き、当時の若者のナイーブな心情を代弁し、左翼を中心とした層に支持を得た。
一方で吉本は、自身が詩人であり、文学から出発したことに誇りを持っていたという。

私の手元に、吉本による「日本近代文学の名作」(毎日新聞社、2001年)がある。
夏目漱石から始まり、戦中戦後の坂口安吾、太宰治までの、作家24人の作品評論。高齢による視力の衰えを理由に記者へ語り下ろした文章なので、逆に読みやすい。
その中で、安吾の「白痴」を評した文章に、こうある。
「敗戦直後のわたしは『動員学生崩れ』だった、、『文化国家建設』などウソくさかった。これが戦後文学に対するわたしの向かい方だった」

最後の項目は、二葉亭四迷の「平凡」。
私はロシア文学が専門の二葉亭作品を読んだことがない。吉本によると、「文学を真正面から弾劾した文章が続き、恐ろしい感じさえ受ける」のが「平凡」という小説だという。
何人もの文学者と喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を交わした吉本自身をほうふつとさせる表現だが、最後に「ロシアという国は絶えず膨張しようとしてきた。ロシア文学者は、どうしてもこれと対峙してしまう、、それが彼らを国士的にするのかもしれない」と記している。

なんだか、いまのロシアの現状を見るにつけ、吉本の眼力の正鵠さに改めて唸る令和の春ーー


*付言;吉本隆明を語るのに、この短いコラムでは全く足りないと感じた。とくに、機会があれば、村瀬学著「次の時代のための吉本隆明の読み方」(言視舎)について、ぜひ言及したい。