本日、還暦を迎えた。おそらく、人生のうちで成人と並んで区切りとなるのが60歳だろう。この数字は約数が多く、古代バビロニアで数を数えるのに使われて以来、世界のあちこちで十進法とともに使われてきた。中国の十干十二支が還暦の起源だが、人類共通の数字としてあるのが「60」だ。

7年前の花祭り(灌仏会:釈迦の誕生日)にクリニックを開業して以来、したためてきた当コラムが250本に達した。人様には取るに足らぬことだろうが、毎回無い知恵を絞ってきた当方には、赤烏帽子などあげたい気もする。

さて、本日のテーマは、やはりコロナ禍関連と見せかけて、違うところ?――
史上初の延長五輪となった東京オリンピック2020まで、あと一週間と迫った。首都の緊急事態宣言で国内からも無観客が決まった“通夜五輪”。インド由来デルタ株の猛威を抑えようと、海外からの選手・関係者を隔絶する「バブル方式」の是非が議論されているが、ここで問いたいのは内容ではなく、その命名だ。

高度経済成長時代に少年期を過ごした者にとって、「バブル」といえば、就職後の1986(昭和61)年から1991(平成3)年にイケイケの花を咲かせた好景気時代とイコールだった。
「いいことばかりは、ありゃしない」――はじけたバブルはその後インターネットの普及に伴い、ITバブルとなって再び膨らみ、そして萎み、令和の2020年代にはコロナ・パンデミックが世界を覆っているのに、市場経済だけが好況を呈している。

そんなことをつらつら思いながら昨日、20年ぶりに写真家藤原新也氏(以下敬称略)の時事評論エッセイ集『僕のいた場所』(文春文庫、1998年第1刷)を書棚から取り出し、読んだ。
そのなかの章立てのひとつ『拈華微笑』(ねんげみしょう:言葉を用いずに、心から心へと伝える妙境のたとえ)に目が留まった。
「泡(バブル)ほど世に美しいものはない。」の一文で始め、平成バブル経済崩壊の話となる。本エッセイの掲載女性誌からの依頼で、俳優笠智衆と対談して写真を撮る仕事依頼に応じたことを記す。
それまで、笠の名字を「りゅう」でなく「りゅうち」と思い込んでいた藤原が依頼元に理由を尋ねた。答えは、バブル後しゃにむに働いて遊ぶのに居心地が悪くなり、等身大の自分に返ってささやかだが自然な生き方を探したら、ふさわしい人として笠智衆がいたと。

朱夏、蓼科の鬱蒼と生い茂る樹々の間にある笠の別荘で撮影は行われた。しかし、別荘は柱がかしぎ、クモの巣の張る、廃屋と見まごう小ぶりな木造家屋だった。
田舎の学校の用務員のようないで立ちの笠は、「フジワラさんは、小津先生みたいだなァ」ととぼけた。インタビュアー兼写真家の筆者は、自然体の笠と、座り方や手の置き場所、目線の位置まで指定するのと2通りで撮影したのだが、後者のときに、笠はあまた出演した映画の監督小津安二郎を引き合いに出し、そう冗談を飛ばしたのだ。
写真のプロ中のプロ、藤原は一連の笠の様子に思いをめぐらす。
「映画の中の演技が彼の地だとしたら彼は俳優ではなく、やはりもともとホトケだったのではないか」
それを確かめるため、さらに質問を続ける。
代表作「東京物語」で東山千恵子演ずる妻の死を宣告された時に「…そうか、おしまいかのう」とホトケの慈悲のように微笑んだことを問うと、「気づかなかった」と笠は答えた。つまり、それは演技でなく、地である公算がある。
たまたま、インタビュー前に亡くなった笠の妻との別れの際の、笠の表情を藤原は躊躇しながらも尋ねた。「いやー、…顔のことはなんにも意識したことがないもので」
同席の笠の息子が、質問は相当堪えると思うと言うのを聴いて、藤原は自分の父が母に先立たれた時、父が生涯一度だけ号泣したことを思い出すと、笠の顔のアップ写真を執拗に取り始めた。
その顔は時にはオパールの原石、時には能面、そしてホトケ、痴呆人、翁と変化し、ついに俳優という円環をめぐった。しかし、遠くの森でカケスが鳴き、それが止んだ一瞬、「哀しみの奈落に落ちていくかのような目」がファインダーに映り込んだ。

「拈華微笑」とは、釈迦が大衆を前に金波羅華という花を無言でひねり、誰もが首をかしげる中、弟子の迦葉(かしょう)だけが微笑して応じたことから、仏教の真理が無言で伝授される様子(以心伝心)を表した表現という。
翻って二千数百年後の現代。コロナ禍で感染爆発を防ぐために会食では黙って食べるのが推奨される。言葉では伝わらないものにこそ、心理が隠されているのか。秘すれば花なり、なのか。それでも、こころ医者の私は、「言葉」という両刃の剣を武器に、人生ひとめぐりの後も、生きていくしかないと覚悟を決めている。


*今回は少し長くなりました、ここまで読んでいただきありがとうございます。得心された(あるいは反論のある)かたは、ぜひシェアかコメントをお願いします。