国内での新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者数は落ち着きを見せつつある。しかし、世界規模では依然衰えることなく、文字通りパンデミックが広がり続けている。百年前のスペイン風邪(実際は米国発生のインフルエンザ)では第二波のほうが被害甚大だった。今後、COVID-19 がどうなるのか予断は許さない。
 そんなコロナ禍の中、「あの日」を迎えた――私たち昭和30年代以前生まれにとって、体育の日といえば「10月10日」。昭和39(1961)年のこの日、アジア初の五輪が東京で始まった。原爆投下日に生まれた坂井義則さんが聖火リレー最終ランナーとして国立競技場の階段を駆け上るシーンは、航空自衛隊5機が真っ青な秋空に描いた五つの丸い飛行機雲と並んで、このまぶたに焼き付いている。

 わが国で二度目、戦争で開始返上した昭和15(1940)年と冬季を含めると5回目の日本でのオリンピック。それがコロナ禍で1年延期する。1980年のロサンゼルス大会以来顕著になった商業主義中心主義、国家の威信をかけた結果のドーピング合戦など、これまで指摘してきたが、史上初の延長五輪をどう開催するかはひとつの重大な転機となるだろう。
 国際オリンピック委員会のコーツ副会長は先月、来年の東京五輪は「新型ウイルスを克服した大会」と明言した。この言葉を聴いて反射的に思い出した言葉が安倍前首相の“復興五輪”だ。東日本大震災の放射能汚染は「アンダーコントロール」されているという表現は世界的にどう受け止められたか。
 人類の野放図な増加を食い止める役割を持っているのが戦争・災害・疫病だとしたら、80年前、日中戦争で東京五輪中止を進言した河野一郎〔河野太郎行革担当大臣の祖父〕は先見の明を持っていたことになる。冥界から孫に「このご時世にオリンピックなどやってる場合か」と説教しているのではないか。
 
 ともあれ、あと半年以内に東京五輪2020〔2021年開催でも名称は不変〕をやるのかやらないのか、結論が出る。しかも、7月23日~8月8日の日程は変わらない。この時期がメインスポンサーである米国企業が支援するバスケットボールやフットボールのない閑散期であることが、気候のよい10月を避ける理由なのは暗黙の了解だ。
 毎年10月10日、同じタイトルでコラムを書き続けてきたのは、ノスタルジアからだけではない。近代オリンピック、ひいてはスポーツの意味をより多くの人に考えてもらいたいゆえ。

 私の中学1年時の担任で体育担当だった長谷川金明先生が高校時代の1964年、東京オリンピックの聖火ランナーとして愛知県一宮市内を走ったことは、生前教えてもらわなかった。私の中3の秋、体育の日の前日、先生は大腸がんのため27歳でこの世を去った。三十三回忌のとき、先生の妹の美枝子さんから、パトカーの先導でトーチを掲げて走るきんめい先生の写真を見せられ、時の流れがうわーんと押し寄せた。
 前回東京オリンピックから56年。次は来るのか、来ないのか。人類に未来はあるのか、ないのか?