2020年07月

ウツるんです#19 生きる権利と死ぬ権利(2020年7月30日)

 コロナ禍のさなか、衝撃的なニュースが日本列島を走った。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う京都の女性(51歳)がSNSを通じて知り合った医師に死なせてほしいと依頼。主治医でない2人組が昨年暮れ、百数十万円の報酬で女性を死に至らしめ、嘱託殺人容疑で先日逮捕された。
 このケースが一見して安楽死の要件を満たさないのは明らかだ。ただし、女性の死は重要な問題を提起している。直近の報道で、女性の主治医が生前の様子を語る記事を読んだ。
「彼女はインターネットを使って最新の薬などを調べ、、生きるためにいろんな努力をしていた」。主治医はこうも言う。「この状態で生きていても仕方がないと社会から思われると、その人は生きる意欲をなくしてしまう、、どんな状況でも『生きる選択』ができる社会にしなければいけない」

 『生きる権利と死ぬ権利』(F・サルダ著、みすず書房)が出版されたのはもう32年も前のこと。昭和63年といえば、脳死と臓器移植が社会問題化していた時期だ。
 訳者の外科医森岡恭彦氏は当時、東大教授兼宮内庁御用掛。あとがきで、医療の急速な発達で臓器移植の倫理性や患者の人格、感情への配慮といった問題への関心が欧米に比べ低いなか、著者のフランス人弁護士の洞察に富んだ提言に興味を惹かれ、十年越しで訳出したとある。
 なぜ、私がこの本を持っているのか?
 森岡先生は初版本市販のころ、昭和天皇の膵頭部腫瘍を手術した。宮内庁詰め記者だった私は“森岡番”になり、ずっと夜討ち朝駆けを続けていた。ときには、東大病院の手術室まで押しかけ、「ゴキブリ記者」として文藝春秋に書かれたこともある。
 その森岡先生から、朝日新聞独占インタビューの後追い取材をしたときに贈呈されたのが『生きる権利と死ぬ権利』だった。いかにも外科医といったしなやかで長い指先でサインペンを持ち、謹呈小出将則様と書いてくれた。

 ALSの女性はある意味、「自死」したといえる。ただそれが、本当に彼女の望んだものだったのか、死を与えた医師2人のモラルが厳しく問われなければならない。
 うちのひとり、O容疑者は手塚治虫の名作『ブラック・ジャック(BJ)』の登場人物ドクター・キリコに自分をなぞらえていたとされる。だが、それはきちんとBJを読んでいない証拠だ。キリコのなかにはストレートな優生思想がはびこっていたわけではない。それは、自身医師でもあった手塚の、医学への葛藤から生まれた産物だった。O容疑者の考えがいまのコロナウイルスのように、つぎつぎと「うつる」ことが無いようにするにはどうしたらよいか?もう一度BJを読んで考えたい。


 


ウツるんです♯18感染の連鎖、虐待の連鎖(2020年7月23日)

 新型コロナウイルス緊急事態宣言解除後、初めての長期連休。中日新聞を読んでいたら、コロナ禍によるノーベル賞晩さん会中止の知らせが目に留まった。しかし、むしろ気になったのは隣のベタ記事だった。アフガニスタンで15歳少女が反政府武装勢力タリバン戦闘員を自動小銃で射殺。「目の前で両親を殺害され復讐した」と。
 憎しみは憎しみを生む。まるでウイルスが連鎖的に広がるように。神奈川県では駅構内からホームレス排除を求める住民の声がコロナ感染増加に合わせて多くなってきたという。ここでも、また、、。

 最近いちばん心の傷んだのは、3歳の娘を自宅に放置して衰弱死させた母親A(24歳)逮捕の事件だった。前々回当欄で触れて以後分かった事実として、A自身が幼少時、母親から虐待を受けていたことが胸に突き刺さった。Aをひもで縛って放置した母親は逮捕され、Aは児童養護施設で育った。

 当院に通う30代の女性。6年前、「イライラがひどくて子どもに当たってしまう」と受診した。初診では家族構成を聴くが、家系図が複雑すぎてカルテの枠をはみ出した。結婚経験は3回、前2回とも子どもがいるが、いずれも養護施設に入っていて縁が切れた。2人目の子どもに手を出し、虐待で逮捕歴もある。
 女性もまた、幼少時両親から虐待されていた。父から受けた行為による心の傷で、今もスカートがはけない。その一方で、稼ぐために中学を出て風俗の仕事をした。何カ所か行ったメンタルクリニックは意味がないとすぐに行かなくなった。氷をかじり出すと止まらなくなった。
 まず、信頼関係を作ることに専念した。PTSDやうつ病、過食症、月経前症候群という診断名よりも、彼女には安心できる居場所が必要だった。ベテランの臨床心理士と二人三脚で支えた。喘息に貧血に甲状腺機能低下症と、内科疾患のフォローも当院で行った。
 3人目の夫との子には発達障害(ADHD)があった。幼少時の虐待で脳に「傷」ができ、発達障害と同じ症状を呈するのは、専門家の間では常識だ。結局、また女性はひとりになった。しかし、今度は子どもを手放さずに、懸命に育てている。
 最近の診察で、娘を衰弱死させた例の事件について尋ねた。
「ショックでした。泣きました。私、先生に知り合ってなかったら同じことしてしまったかも。今は訪問看護や子どもの病院の人たちからも、“よくがんばってるね” といわれて。でも、(これ以上)がんばれと言われると、ワーッとなりそう」

 コロナも虐待も、連鎖反応を止める特効薬があったら、すぐ使いたい。ひょっとしたらそれは、私たちの「頭の中」で、すでに出番を待っているのかもしれない。



 

ウツるんです#17コロナ時代でも、人生は旅(2020年7月19日)

 *月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり
「はくたいのかかく」という読み方が45年前の中学生には新鮮で、いまでもスラスラと口を突いて出る。とくに新型コロナウイルスによるパンデミック時代を迎え、あらためて300年前の芭蕉に思いを馳せる――

 このウイルスの特徴は、感染しても大半の人間には無症状か軽微なのに一部は重症、致死化する点に尽きる。潜伏期も長く、それが苦悩の元凶なのは周知のとおり。感染防止と経済活動の両立という狭き道を進まざるを得ない。Go Toトラベルキャンペーンが感染再拡大期にぶち当たるタイミングの悪さに、国は東京発着の旅行除外という苦肉の策で乗り切ろうとしている。
 少し考えれば明らかなように、キャンペーンは経済対策であり、「旅」そのものを禁止しているわけではない。お金で人々の行動を管理して、沈んだ経済の活性化をという算段だ。もちろんウイルスにとって人間心理など関心の外。かつて、生き物の体は遺伝子を運ぶ「乗り物」という理論が提唱されたが、それにならってジョークを飛ばせば、ヒトはコロナが運転するカローラ、ということになる。

 中学時代に打ち込んだのがボーイスカウト活動だった。野山を舞台とし、文明の利器をできるだけ使わずに、サバイバル技術を身に着けるのがひとつの目標だった。その結果、自然に対する敬意からわれわれは生かされているという感謝の念を持ち、人にやさしくなれるとの思いを胸に。
 活動の中心はハイキングだった。時には、夜を徹して80km歩いたこともある。後年、大学の法学部で憲法を学んだ時、自由に歩き回ることの素晴らしさを認識した。
*日本国憲法第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。(以下略)

 「公共の福祉」がコロナ感染リスクに置き換えられる時代に私たちはいる。そう、移動の自由は憲法に保障されていることを、改めて噛みしめるべきだ。
 海外のようなロックダウンは無いと考える日本国民がこの先、緊急事態宣言(これも法的拘束力はない)が再度出され、あの不自由の再燃はいやだと、自主的にGo Toキャンペーンを回避することはありうるだろう。どこにいてもいいよという、自由の基盤を失くさないために。
*旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
 芭蕉は辞世の句でどんな世界を夢想したのだろうか。

ウツるんです#16コロナ禍の産後うつ(2020年7月9日)

 梅雨前線による豪雨が日本列島を襲っている。プロ野球ドラゴンズファンなら「権藤、権藤、雨、権藤」を思い出すだろうか。今ならさしずめ「コロナ、コロナ、雨、コロナ」。きょうはコロナ禍に産後うつ病を患う女性の話。

 昨年暮れ、主婦Aさん(30歳)が長女を里帰り出産した。西日本の実家から愛知県に戻って育児を始めたとき、ちょうど新型コロナウイルス流行に重なった。食欲が無くなり、子育てが不安になった。内科で胃薬を処方されたが改善なく、当院受診となった。
 元々、生真面目な性質(たち)だった。大学では古代ローマ奴隷制を研究し、就職して6年後に結婚。家族仲は良いし、特に困りごとは抱えていなかったのに、明らかに出産後落ち込んだ経過は「産後うつ病」と診断される。
 今一番、困る症状は時間に追われること。
「子育てを楽しむことができなくて、責任感からタイムスケジュールに追われて何十回も時計を見てしまい、前に進めません。義理の姉から、離乳食作るのも楽しみだねといわれると、それもプレッシャーで。エアコンが赤ちゃんにどう影響するかさえ気になって」と努めて冷静を装い、訴える。
 彼女にいま一番必要なのは、余裕。それを支えるのが周囲の家族や知人たちだが、夫は仕事で帰りが遅い。伝手(つて)のない土地に友人はおらず、子育てサークルもコロナ禍で閉鎖になってしまったという。両親もたびたび顔を見に来られる距離でもない。
 まだ治療は始まったばかりだが、ひとりで背負い込むことのないよう、話をじっくりと聴いた。

 Aさんのように、子育てに全力投球して疲れ、心の病になってしまう人もいれば、交際男性に会うために3歳の娘を1週間以上放置して衰弱死させた者もいる(昨日、警視庁に保護責任者遺棄致死容疑で逮捕)。幼な子を持つ母親の心は一筋縄ではいかない。
 せめて、コロナ禍がきっかけのうつ病など増えないでほしいと、豪雨でけん牛織女の見えない天の川に向かって短冊を掲げよう。


 
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