2020年05月

ウツるんです#11テレワークという「枠」(2020年5月31日)

 わが国のコロナパンデミックはひとまず第一波を越えた。とはいえ北九州市のようにいつ再燃するかも知れぬ中、テレワークが広がっている。ちょうど、本日の中日新聞サンデー版が特集を組んでいて、当欄でも取り上げる次第。
 テレワーク(telework)のテレはギリシャ語の「遠く離れて」の意味。テレビジョン(vision=見る)や電話(テレホン、phone=音)でおなじみだ。サンデー版によると「情報通信技術を利用し、時間や場所を有効に活用できる柔軟な働き方」が定義だが、要は在宅勤務。東日本大震災後に12.5%まで増えた後下降し、今回再び“新記録”を更新した。
 
 当院にも、テレワークにいそしむ会社員たちが患者として通うが、恩恵よりは被害をこうむるケースが目立つ。
 50代の男性。理系大学院を出て大手メーカーに就職。20年以上研究職として働き、5年前初めて畑違いの部署に異動。上司の当たりが厳しく、眠れなくなって1年半前に来院した。穏やかだが苦笑交じりの口調はsmiling depression(=ほほえみうつ病)と呼ばれる状態だった。
 治療で睡眠を確保、悩みを聴くことで安定し、1年が過ぎた。そこへコロナ禍。組織変更があり、テレワークが始まった。激減した4月の業務量を5月に挽回しろと上から指示されるが、「電車通勤は不可。自家用車は許可するが、高速代は自腹」といわれ、再度うつ状態に陥った。
 これも50代の男性。6年前、東日本大震災の復興関連の仕事で過労が続くなか、発作的に首を吊ろうとした。実家の愛知県に戻り、当院初診。元々建築関連の仕事で阪神大震災の時、現場に駆け付けられなかったことを悔やみ、東北入りしたのだった。
 休職を助言し、うつ病の治療開始。回復し、東北での仕事に戻って5年。昨年再度愛知県に戻り、フォロー中に、コロナ対策で上司と食い違い、テレワークを指示された。「大声でわめきたくなった。テレワークの設備もない中で自宅に缶詰め。家でできる仕事ないのに」。ほとんど飲まなくなった睡眠薬にまた頼らざるを得なくなった。

 サンデー版にはジョン・メッセンジャーILO労働条件上級専門官のコメントが載っていた。
「管理職、テレワーカー、同僚は相互信頼が必要。テレワーカーには事務所で働く同僚と同じ権利、同等の労働条件の確保が重要だ」
 嘆くだけでは、解決しないのだろう。ピンチはチャンス。コロナ版テレワークは、労働者の団結を高める“離れた枠”を組み立てるための格好の場だと思う。
 

 
 
 
 

ウツるんです#10緊急事態宣言の解除(2020年5月26日)

 新型コロナウイルスの緊急事態宣言が全国で解除され、一夜明けた日本列島。「新しい日常」が始まった。ターミナル駅からはき出されたマスク顔の勤め人が互いに距離を保とうと、ややぎこちなく進む様子をテレビが映し出していた。
 私のクリニックでは入り口の自動ドアをあけ放ち、紫外線消毒のスリッパ棚が患者さんたちを迎え入れた。待合室ソファに貼ったビニールテープのX点が、ソーシャル・ディスタンスを求める。宣言以後、当院でも患者数は減少した。ウイルスが人を宿主とする以上、病院も感染の場になりうるのは仕方のないことで、それをおそれる人々の気持ちも分かる。
 午前の外来を終え、昼の弁当を買いにスーパーに向かった。大型連休と比べ、明らかに人出は多い。うがち過ぎかもしれないが、かつてより売り子のボリュームが小さい。マスクを通しているせいだけでなく、大声による飛沫感染を防ごうという無意識がなせるわざと感じた。うむ、「男は黙ってサッポロビール」――昭和からはるか来た道のり。
 午後の外来は眠気との戦いも加わるが、コロナ禍いちばんの問題は相手の声が聴きずらいこと。三密を避けるため、本来は閉め切っている窓を開けて、真清田神社の森の空気を取り入れる。ついでに外の生活音も入る仕組みだ。患者用のイスはいつもより離して固定。マスクと机上のアクリル板を通して発せられる彼/彼女たちの「声」に耳を傾ける。悲しいかな、老年性難聴の聴力で悪戦苦闘せねばならない。
 夕食の買いおきパスタを平らげ、誰もいなくなった診察室の鍵を閉める。外は雨。清澄な夜の匂いをかすかに感じ、ハッと気づいた。マスクが邪魔だ。無人の樹々の間をしばし散策し、直接鼻腔からいっぱいにフィトンチッドを吸い込んだ。
 日本が感染爆発に陥らないのは、欧米などと違い、清潔好きでマスク着用が有効なためなどと分析されている。医学的に正確な判定は困難だろうが、それを認めるいっぽう、こころ医者としては負の側面にも目が向かざるを得ない。
 同調圧力。皆がつけるから自分もマスクを着ける。それは文字通り、「仮面」だろう。コロナ禍前は顔隠し用のマスク無しでは外出できなかった社交恐怖(対人恐怖症)の患者が「以前は夏にマスクを着けるとじろじろ見られてつらかったけど、今はみんなが着けてるので楽」と診察で笑顔を見せてくれた。
 西浦博教授によると、緊急事態宣言解除の今は、野球でいえばまだ一回裏を終えた頃という。先は長い。ポストコロナの新しいタイプの悩みを受け止めるために、“マスク”を通さない声をだしていきたい。

 
 
 

ウツるんです#9 #検察庁法改「正」案に異議(2020年5月14日)

 日本特有の自粛要請が奏功し、コロナ感染者はひとまず減少してきた。これを受け、当初5月末とした緊急事態宣言が、東京など8都道府県を残して解除された。同時に国会で議論されている検察庁法改正案が日本国中で反発を受けている。今日は法学部卒の元新聞記者として、同案へのオブジェクション〔異議〕を提出したい。 
   検察とは何か?答えは議論の的になっている検察庁法(以下「法」)第4条を読めばよい。
「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、、中略、、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。」
 刑事とは人間のことではなく、刑法及び関連法規に定める違法行為であり、公訴とは公的機関による起訴のこと〔英国のように警察官が私人として訴える場合もある〕。要は、司法の一翼を担う”法の番人”というわけだ。
 国会での首相らの説明を聴くと、「検察は行政に属する。(なので、他の公務員と同じ扱いになるのは当然である)」。それは杓子定規というもので、その文言の裏を読まなければ、意味がない。言い換えれば、「公立学校の教師は公務員だから、他の役所と同じ規則で管理しなければならない」と言いくるめるようなものだ。論理のすり替えの典型。なぜ、今?を問えば、おのずと答えは出る。

 新聞記者時代、東京地検担当だったとき。平成改元後すぐ、リクルート事件が摘発された。特捜部副部長番となり、夜討ち朝駆けに明け暮れた。当時の東京地検検事正はロッキード事件で主任検事を務めた𠮷永祐介さんだった。
 ある雨の日曜、吉永検事正の自宅を取材に訪れた。いつもは話せる間柄ではないが、共通の趣味の囲碁を話題に持ち出し、小さなマンションにあげてもらい、2局打った。当時私はアマチュア2段だったが、6段格の検事正に5子置いた。1局目、形勢はこちらが有利。手を抜いて相手に花を持たせて、リクルート情報を仕入れようという姑息な考えが、一瞬頭をよぎった。が、𠮷村さんの性格を思い出し、思い切り打って快勝した。もう1局と相手からいわれ、今度も全力で打ったが、最後に粘られ、逆転で負けた。結局、特ダネ情報は入手できないままだったが、満足だった。

 検察とは、何か? 法改「正」に向けて、あわただしく動く政府(首相周辺)をみていると、国のあり方を考えさせられる。この春、滋賀の呼吸器事件で冤罪の汚名をそそいだ西山美香さんと連絡を取りながら、法改「正」に反対する検察OBと、組織の体面に固執した検事たちの「差」に思い及んだ。
 𠮷永祐介が生きていたら、なんというだろう?それは太陽が東から登るのと同じことだ。
 


ウツるんデス#8 数字は「嘘」をつく(2020年5月7日)

 ステイホームウィーク(GW)が終わり、政府は緊急事態宣言を5月末まで延長した。コロナ倒産が増えているのを見ればわかる通り、このまま社会活動の自粛要請が続けば、コロナ感染を上回る経済的犠牲者が予想される。
 しかし、命か金かという問いは立て方が悪い。人間は社会的動物なので、人体なら血液に相当する貨幣が循環しなければ、ウイルスによる重症化と同じ現象が生じる。宣言解除の出口戦略が大事なゆえんだが、何を根拠にするかといえば、結局、医学的数値に帰着する。
 大阪府は独自に、自粛の解除条件として基準「大阪モデル」を発表した。①感染経路不明者10人未満②検査陽性率7%未満③重症患者の病床使用率60%未満――3項目すべてが1週間続けば、段階解除。ただし、解除後に数値が悪化すれば再び自粛要請する、とのこと。
 知事の権限を巡って、西村経済再生担当相とのあいだで軋轢も生じたようだが、ここで留意すべきは「数字=客観的=正しい」という等式が多くの人にア・プリオリ(無条件)に受け入れられることだろう。
 その反証として、極端だが次の例を出してみよう。あるテストの結果、集団Xと集団Yの両方とも平均点は50点。では、どちらも内容は同じか?実はXのメンバーの各点数はa:100点、b:50点、c:0点。Yの方はp:60点、q:50点、r:40点。数値それ自体に正誤はない。問題はそれを読み取る側にある。
  
 新聞記者時代の昭和62年9月。昭和天皇が十二指腸の悪性腫瘍となった。宮内庁担当の私は翌年秋から下血して療養する天皇の容体を連日報道。血圧や輸血量が毎日紙面に載った。振り返れば、数字自体に何の意味があったのか。その評価は「当事者」にはなかなかできない。鏡なしに自分の顔を見ることができないように。
 当時、天皇の手術で執刀した森岡恭彦東大教授への取材で、結果が見えているが、公表できない辛い立場を表した教授の言葉が記憶に残った。「出口なし」――哲学者サルトルの戯曲に由来する表現と後から知った。
 あれから30年余。時代は大震災の続いた平成をまたいで令和。「出口」を探す日々がしばらく続く。

ウツるんデス#7憲法は日本語(2020年5月3日)

 今年はゴールデンウィークではなく、コロナによるステイホームウィークとなった。GW後半の5月3日は憲法記念日。休校の続く中学生自宅課題用に、英語と“社会”の練習問題を提供しよう。
 
小池百合子都知事が連呼したので、Stay home.(①)は皆の知るところとなった。「おうちにいなさい」と訳せば満点だが、同じ意味を別の表現で書けといわれたら、できますか?
――答えはStay at home.(②)「あっと」驚くタメゴロー君のために解説。①に前置詞のat がついた②のhomeは「家」という名詞なのに対し、①のhomeは「家に」という副詞。①はアメリカほか多くの国で使われるが、②は英国が中心だ。いわゆるクイーンズイングリッシュという奴で、かつてイギリスの植民地だった国では②が頻用される。
 
やっと、ここから本題の“社会”。安倍首相は、先ほど緊急事態宣言を5月末まで延長すると決定した。それって何?
――新型インフルエンザ対策特別措置法(2012年制定)に基づき、新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態が発生したとして国が宣言したもの。最初は東京都など7都府県、いまは全国に及んだが、今回の延長で一部の県は特定警戒都道府県を外れ、緩和された。
 では緊急事態とは?――肺炎の発生頻度が季節性インフルエンザに比べて相当高く、感染経路が特定できない症例が急速に多数に上り、医療提供体制も逼迫(ひっぱく)してきた状態。つまり、あくまでも感染症のレベルで語られていることに注意しよう。

かしこい中学生なら、ここまで来て次の質問が予想できるだろう。
 緊急事態条項って何?なんで今、憲法改正してまでする必要あるの?
――2011年の東日本大震災を踏まえ、大災害や武力攻撃などで国家秩序が脅かされる時、政府など一部機関に人権制限など大幅な権力を与える非常措置をとること。2012年、「自主憲法制定」を党是とする自民党が打ち出した。というより、安倍首相の“熱意”で出番を待っているが、コロナ禍が格好の提供機会となった格好。
 緊急事態「宣言」延長した日に緊急事態「条項」のビデオメッセージ出すって、と訝(いぶか)る出木杉君にこう言いたい。
――atがあったりなかったり、英語もややこしいけど、いまの日本の政治状況はもっとややこしいね。友だちの矢々越君に伝えてくれたまえ。「日本語の分かる人が国のかじ取りをするべきだね」


 
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