「六日の菖蒲、十日の菊」。五月五日の端午の節句には尚武に掛けた菖蒲を、九月九日の重陽の節句には秋の代表花、菊を飾る習わし。冒頭の句は、時すでに遅し、という意味を一日遅れの花に譬えたものだ。
 奇しくも九月十日は世界自殺予防デー。重陽の節句から一日遅れた菊花とならぬように、本日の中日・東京新聞「元記者の心身コラム」で、ある自殺患者さんのことを書いた。
 当欄では重複せぬよう、松本俊彦国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長、薬物依存症センター長のレクチャーを紹介したい(第45回日本認知・行動療法学会での有料講義のため、松本先生に了解を得た部分的抽出と小出の見解です)


名古屋市・中京大学構内で催された同学会企画のひとつで、3時間の本格的なワークショップ。臨床心理士中心に約120人が会場教室を埋めた。題は「自分を傷つけずにはいられない!自傷行為の理解と援助」。

冒頭、自傷の定義から。①故意による行動②自殺以外の意図③非致死性の予測④直接的損傷。問題は特に①の故意。先生によると、故意には英語で1)intentional (意図的)と2)deliverate(仕方なしの企図)のふたつがあるが、世間では自傷を専ら1)の意味に限定している。その証拠に、中学までの自殺は分別が十分つく前なので県からの見舞金が出るが、高校以上では(自分の”意思”でやったのだから)見舞金は出ないという。
 つまり、一般に、自傷するのは本人の自由意思なので、自己責任という論理だろう。これは他の依存症でも多く見られるレトリックだ。芸能人の薬物依存報道などで過剰なバッシングが出るのは、民主主義社会で大人は自由意志をもつという、その部分に関しては誰も論駁できない建前と、有名人への嫉妬心からくる陰性感情の混じった日本人特有(?)の反応だ。


 その後自傷の持つ鎮痛効果や患者の心の避難路としての自傷の有用性にも触れつつ、長期的には自身を追い込み、最後は「死」というオウンゴールに向かわざるを得ない自傷の闇について、大規模研究結果も踏まえながらの熱弁だった。印象に残ったキーワードをレジュメからピックアップしよう。

10代の1割にリストカットの経験。リストカットする理由は周囲へのアピールよりも深い感情の軽減のため。「傷つけちゃダメ」というのはダメ。見える傷の背後にある見えない傷を考える。そして、「死にたい」といえる治療関係こそが自殺予防に資する。これはコラムでも書いた重要なことだ。自殺者は死ぬ直前に死にたいと言わなくなることは、経験的に僕にも納得できる心理(真理)だ。


人は必ずや死ぬ。そして、自殺する動物は、ヒトだけなのだーー