2019年01月

連帯と孤独と~全共闘半世紀~

「あの時」から半世紀、平成最後の1月が終わろうとしている。あの時、とは東大紛争のことだ。

全国の医学部で展開されたインターン制度廃止運動の拠点だった東京大学。1969(昭和44)年1月18日から19日にかけ、全共闘学生らが占拠していた東大安田講堂に警視庁機動隊が包囲突入し、バリケード撤去して、封鎖は解除された。
1960、1970年と二度にわたる「安保闘争」関連の中で、東大紛争が一番記憶に残っている理由はひとえに僕の生まれ年と、あの安田講堂攻防戦のニュース映像によるものだ。
拡声器を通じた怒号と放水機から放物線を描いて水煙のわきたつシーンは、3年後にあさま山荘で繰り広げられた巨大鉄球による管理人救出作戦の画像と僕の脳裏でつながっている。

当院にも全共闘世代の患者さんが来られる。
岸和田芽衣子さん(70)は「不安・孤独感」を主訴に受診。 ご主人を病気で亡くし、喪失感から不安が増大したという。老齢期にはありがちなパターンではある。ただ、彼女は生育歴に問題があったから、こうなったと言う。
父親からの虐待、弟の事故死、親族の自殺、周囲の冷徹な視線。山深い地方で育った岸和田さんは定時制高校を卒業し、集団就職で名古屋に出ると保険レディーとして身を粉にして働いた。
岸和田さんが二十歳のときに起きたのが東大紛争だった。仕事先の大学で知り合った夫とのつながりで学生運動に関わっていく。重信房子をかくまった知人もいた。

老年期に入ったいま、高血圧と糖尿、関節痛に悩む岸和田さんは言う。
「佐世保にエンタープライズが寄港してから本気で政治や民主主義のことを考え始めたわ。そのころ鶴見俊輔のこと仲間が書いたのを読んで面白くて。3回うつになってるのね。私も夫に浮気されて一回目のうつ。夫の父と一緒に暮らして二回目のうつ。それで今度が三回目」
岸和田さんたち団塊の世代から周回遅れの僕らは新人類と呼ばれた。〔10・21国際反戦デーで国会前をデモ行進した経験はあるが〕知識としての全共闘を頭で追いながら、彼女に耳を傾ける。
嗚呼、どんどん昭和が遠ざかる――

境界線上のフレディ【下】~異邦人としての人生~

ボヘミアン;① ジプシー(ロマ)の別称。②世間一般の規範や型の外で自由に生きる人。〔精選版日本国語大辞典〕

一般の映画と異なり、封切り後週を追うごとに観客数が増え、SNS上でも話題を集めている「ボヘミアン・ラプソディ」。クイーンファンにとっては、最高の音楽映画でもあるし〔1985年のライブ・エイド場面は完璧な再現と絶賛〕、主人公フレディ・マーキュリーの生き方へのオマージュとして描いた伝記的作品でもある。
ただ、それだけでこの作品の価値はとらえきれない。【上】で書いたように、フレディ一家は人種的にも宗教的にも、移住した国イギリスではマイノリティーだ。映画の冒頭、階級社会で働き始めたフレディは、周囲から「パキ」(パキスタン人への蔑称)と馬鹿にされる〔実際はペルシャ系インド人〕。
ここで僕は子供のころ、色黒な顔つきのために、同じようにからかわれたのを思い出す。半世紀前、テレビのカレーCMで「インド人もびっくり!」という、今なら放送倫理規定に抵触しかねない表現があったこともよく覚えている。
それに加えて、フレディは性的アイデンティティーでも少数者としてのゲイだった。映画では交際相手のメアリーに秘密を打ち明け、婚約解消したあとも異性の友人であり続けた。エイズによる肺炎で亡くなるまでパートナーだったジム・ハットンとメアリーが並んで、ライブエイドでの最高のパフォーマンスを舞台袖から見守るシーンが胸を打つ。

ここで問おう。なぜあの曲の題名が「ボヘミアン・ラプソディ」だったのか?
6分超の作品は、銃で人殺しをした男が母親に打ち明けるくだりが核になっている。
♪ Mama, just killed a man ♪ のフレーズを聴いて思い起こすのが『異邦人』だ。「きょう、ママンが死んだ」〔新潮文庫、窪田啓作訳〕で始まる不条理小説。養老院で死んだ母の葬式後、殺意のないのに「太陽のせいで」アラブ人を銃で殺したのが主人公ムルソーだった。
作者のアルベール・カミュ(1913-1960)はフレディとおなじアフリカの、フランス領アルジェリア出身。父はカミュが1歳の時戦死している。スペイン系出身の母の実家で育ち、貧しい中、奨学金を受けながらアルジェ大学に進学。キリスト教と哲学者プラトンに関する学位論文を仕上げ、人民戦線の記者となり、処女作『異邦人』を書き進めた。その後サルトルら実存主義者との交流を経て、43歳でノーベル文学賞を受賞するも、その4年後に自動車事故死した〔KGB暗殺説もある〕。

僕が音楽インタビュアーだったなら、生前のフレディにこう質問しただろう?「異邦人を読んだことがありますか?」。歌曲ボヘミアン・ラプソディは、途方もない宗教的至高感を僕たちに与える。それほど、この曲に託したフレディの苦悩は大きかったということなのかもしれない。
しかし、そこには苦しみだけでなく、受苦のあとに訪れる恍惚が約束されていた。それは、クイーンというフレディにとっての「家族」が世界中の称賛を浴びるという果実を得ることで達成された。
英国の象徴である「女王」からグループ名を借り、本名のバルサラからマーキュリーに変えたフレディ。自由人(=ボヘミアン)であり、ウィットにも富むフレディは、この名字をメンバーの天文学者ブライアン・メイに紐づけて考えたのだろうが、なぜ、マルス(火星)やジュピター(木星)でなく、水星にしたのか?
これも僕の推理だが、マーキュリーはローマ神話の「メルクリウス」に由来する。ギリシャ神話ではヘルメス。商人や旅人の守護神。心理学者のユングによると、メルクリウスは原初の両性具有存在とされる。水星の象徴金属の水銀は液体でありながら同時に金属であり、毒でもあるが妙薬にもなる「諸対立を一つに結び付ける対立物の合一の象徴」。
惜しむらくは、フレディが30年遅れて生まれてくれば、エイズウイルスに命を奪われることなく、生命の高貴を歌い上げるさらに多くの作品を残してくれただろう。しかし、これも詮無いことかもしれない。
45年の人生を燃焼しつくしたエトランジェ、フレディ・マーキュリー。ゾロアスター教の慣習に従う風葬ではなく、自らの遺言で火葬に付された。後に残ったのはただ風ばかり、、、。




境界線上のフレディ【上】~ボヘミアン・ラプソディ~

明けましておめでとうございます。あと4ヶ月のあいだ、事あるごとに「平成最後の」という修飾語が付いて回るでしょう。仕事がら、盆と正月くらいしか映画館に足を運ぶ余裕がなく、おそらく平成最後の劇場での観賞となりそうなので、新年の挨拶がわりに当欄でご報告します。観たのは「ボヘミアン・ラプソディ」。

ーーブリティッシュ・ロックグループ、QUEENがアルバムデビューしたのは1973(昭和48)年。僕が彼らの曲にハマったのは翌年発表の『シアー・ハート・アタック』を級友のG君に勧められ聴いてから。中学1年だった。マリー・アントワネットやモエ・エ・シャンドン〔高級シャンパン〕が出てくる貴族的歌詞と、リード・ボーカル、フレディ・マーキュリーの4オクターブを自在に操る透徹した声調にしびれて以来、全ての楽曲をこの両耳に収めてきた。ーー


ボヘミアン・ラプソディ(以下ラプソディ)。4枚目アルバム『オペラ座の夜』に収録された名曲。しかし当初、6分を超える演奏時間や、オペラ調を取り入れた斬新な試みに、音楽雑誌から酷評されたのを覚えている。当時中2の少年に歌詞の意味はほとんどチンプンカンプンだったが、♪ Galileo Galileo、、♪と、地動説を唱えたガリレオを超高音で連呼した箇所ははっきりと耳に残っている。
その直後の歌詞は ♪だけど僕はただの哀れで誰にも愛されない男 貧しい家庭の出の貧しい男、、♪(筆者訳)
今回、ラプソディを観て知ったのだが、フレディ・マーキュリー(本名ファルーク・バルサラ 1946-1991)は英国保護領だったタンザニア・ザンジバルで生まれ、インドで育った。両親はペルシャ系インド人で、ゾロアスター(拝火)教徒。「善き思考・善き言葉・善き行い」の三徳を唱える厳格な父の教育下、7歳からピアノを習い、全寮制英国式寄宿学校に入ってからロックバンドで活動を始めた。16歳でザンジバルに戻るが、革命のため翌年には家族ごと英国に移り住む。アート・カレッジで芸術とグラフィックデザインを学び、クイーンの前にいくつものバンドに加わった。
1970(昭和45)年、フレディはクイーンのメンバーバンドに加わり、翌年から活動開始。この頃、名字をバルサラからマーキュリーに改めている。

映画「ラプソディ」はフレディの単なる伝記ではなく、かと言ってクイーンの音楽映画でもない。残りのメンバーである天文学者〔ブライアン・メイ〕や歯学工学インテリ〔ロジャー・テイラー〕、ロンドン大首席エリート〔ジョン・ディーコン〕に比べ、学歴では見劣りするし、上顎多歯の外見や出自など、引け目を感じただろうなかで、いちばんの悩みは、フレディ自身ゲイであるのを自覚したことだろう。当時は今と違い、LGBTという概念じたい無く、同性愛者と分かった時の世間の反応は容易に想像できる。厳格なゾロアスター教徒であれば、なおさら葛藤は深かったに違いない。
あるクイーン研究者は、映画の題名に使われた「ラプソディ」の歌詞の謎は、フレディがゲイの苦悩を壮大なオペラに仮託して作り上げたものと分析している。そう言われて聴きなおせば、なるほど、その通りかもしれぬと得心するのだが、僕独自の分析では、もう一つ隠れているものがある。
そろそろ、長くなったので、この続きは【下】で書き連ねます。To be continued.





 
ギャラリー