2017年09月

△/□不異〇~からだとこころは異ならず~

秋分の日連休、金沢へ所用で出かけ、鈴木大拙館を訪れた。加賀百万石の観光地といえば、まず兼六園だろうが、同園に行った経験があるのは別にしても、大拙館は一度は行かなくては、という思いが強かったからだ。
その理由、それは心身医療に対する僕の思想が関係している。
以前から、病んだ人たちの治療指針として“祝う”の法則を示してきた。い・わ・う、即ち、祈り・笑い・歌うことが治りにつながるのだと。
なので、祈りにつながる宗教は避けて通れないテーマであり続ける。個人的に禅宗徒ではないが、それはささいなこと。鈴木大拙(だいせつ)という仏教者には宗派のレベルを超えた普遍的な空気が漂っていると感じてきた。

彼岸花の燃えるような赤が、抜けるような秋空の青と対照を見せるなか、兼六園からの徒歩圏内に大拙館はあった。鈴木貞太郎(本名)は1870(明治3)年、同館に近い金沢市内で医者の四男に生まれた。第四高等中学予科に入学、哲学者西田幾多郎と出会い、生涯の友となる。
*戦後ベストセラーとなった西田の「善の研究」を、僕は学生時代に買ったものの、積ん読の時期が続いていた。西田の「絶対矛盾的自己同一」という言葉に妖しくも引き寄せられる青年時代があった。この西田哲学が禅と深く通じるのは知られた話だが、これは「色即是空」と同じだと、あるひとがブログで書いておられた。*

グレー系でまとめた平屋建ての、静謐(せいひつ)な印象を与える大拙館。回廊の庭には巨大なクスノキが枝を広げ、その奥の展示室では、海外で高く評価された禅の研究者としての姿がスクリーンに映っていた。隣の学習室では大拙の著書が並び、壁には社会学者E.フロムとのツーショット写真と、大拙自身の揮毫した掛け軸が存在を訴えていた。
「△/☐不異〇」。禅宗の公案のように思え、不覚にもすぐ意味がとれず、隅で控えていた女性職員に意味を問うた。
△/☐は重ねて書いてありますが、形のあるもの、仏教の「色(しき)」を表します。〇は形のない「空(くう)」。目の前にある現実は頭の中で考えることと異なるものではない、という意味ですかね、、、
はにかみながら、小声で断定せずに教えてくれた。ーーそうだよね。うん。深く、うなずいた。
なんだか、一夜漬けで悟ったような気分になった後の順路にあったのが、思索空間と名付けられた10畳ほどのコンクリート部屋。天井は高く、丸窓から光が差し込み、部屋は人工池の水面で囲まれていた。波高に秋の陽光が反射するなか、何人もの入館者がさきほどの公案と格闘しているかのように佇(たたず)んでいたーー

鈴木大拙の居士号「大拙」は中国の老子「大巧は拙なるに似たり」から採られたものという。しょせん人智なぞたかが知れている。やはり、いちばんは自然なのだ。これこそ心身医療の要諦、といって過言でない。そうか、むすび院長の“祝う”の法則は間違っていなかったんだ。







“隠れた”NEEDS

9月は知的障害者福祉月間、10日は知的障害者愛護デー。これを機に、少し考えてみたい。

小学生の頃、いじめっ子たちがよく使ったいじめの“合言葉”があった。 「バイキン!」「トクシュ!」。おそらく、誰と示し合わせたのでも、誰かに教わったわけでもなかった。
僕自身、そうした嫌な言葉を発したことはない。 だが、やりとりの現場に居合わせて、いじめられっ子の味方になってやれなかった時の忸怩(じくじ)たる思いを今も消すことはできないーー

養護学校教諭・津島徹氏の論考によると、近代的な意味での障害児教育の開始は明治時代にさかのぼる。
1872(明治5)年の学制で障害児のための規定がなされ、明治23年、長野県・松本尋常小学校に学業不振児のための特殊学級が設置されたのが始まりとされる。その翌年には、映画にもなった我が国最古の知的障害者施設「滝乃川学園」が創立された。
ところが、障害のある児童生徒すべてを対象とした義務化が実現したのはそれからずっとのち、1979(昭和54)年のことだった。ノーマライゼーション〔障害を持つ人も持たない人と同じ環境で暮らせる社会〕の思想が広がるのは平成になってからのこと。文部科学省が「21世紀の特殊教育の在り方について」の最終報告を出したのが2001(平成13)年。
そして、平成19年、学校教育法改正で「特殊教育」が「特別支援教育」に生まれ変わった。これに伴い、5つ〔視覚・聴覚・知的、肢体不自由、病弱〕に分かれていた障害が「特別支援学校」という枠組みに統一され、複数の障害に対応した教育も準備されるようになった。

こう書いてきて、神奈川県・相模原の障害者施設「やまゆり園」殺傷事件がパソコン画面に浮かび上がってくる。これについては何回か書いており、きょうはわがクリニックに通院する患者さんを紹介したい。
知野香保里さん(30歳)。主訴は抑うつ。母親を10年前に亡くし、父と姉3人で暮らしてきたが、この10年間、ずっと、憂うつだという。いくつものメンタルクリニックで抗うつ薬を出されたり、カウンセリングもしたが改善しない。当院を訪れる直前にパニックになり、食事も全くとれず、入院。ようやく退院して紹介されてきた。
当初は、うつとして対応したが、どこか違う。診察していて感じる微妙なすれ違い。こちらの思いが通じていない印象。それは月経前に限らない。〔非定型うつ病と言って女性に多いパターンをまず考えた〕。
ハタと気づいたのが知的能力だった。こちらの考えを丁寧に説明し、知能検査を受けてもらった。
結果:IQ57。この数字が69以下(50まで)は軽度知的障害と診断される。知野さんの場合、耳から入る情報の処理能力と事務処理能力は比較的高いほうだったので、いくつか転々とした職場では気が付かれなかった可能性が高い。現に、これまで診察した精神科医すべてが知能検査を行わず、診断もしていなかった。
彼女の抑うつの背景に、現実をうまく理解、咀嚼できず、混乱を繰り返してきたことがやっとわかった。これからは少しずつ、寄り添っていくことになる。

特別支援教育は英語でSpecial Needs Education と書く。ハンディキャップのある彼/彼女たちの中には、知野さんのように、なかなかニーズを理解してもらえない人たちがまだ多くいる。知的障害者の85%は軽度で、世間では「怠け者」として扱われていると思われる。先日も鹿児島で冤罪事件が再審となった。まだまだ、ほかにも苦しんでいる人たちがいる。
こうした悲劇が少しでも減る社会になってほしい。少なくとも、“加害者”の立場には絶対に立ちたくないという思いが、今の僕にはある。その源泉はかつて、「トクシュ!」とからかわれた級友を守ってやれなかったあの苦い思い出ーー





ギャラリー