2017年08月

塀の中からの手紙

いまやIT全盛の世のなかにあって、手紙の役割は日々低下しつつある。自然な健康が失われる事態に合わせて健康産業が流行るように、メールやLINEなどネット通信が増加する一方で、手紙を書く人の数は確実に減っている。そんな時代状況のなか今日したためるのは、三百五十余通の手紙を両親に出し続けてきたひとりの女性についてーー

西山美香さん(37歳)。滋賀県で3人兄妹の末子に生まれ、看護助手をしていた。23歳の5月、その“事件”は起きた。
前年の秋、72歳の男性が病院に搬送された。人工呼吸器が装着され、植物状態の男性はおよそ半年後の未明、突然病室で息を引き取る。当直看護師が当初「呼吸器の管が外れていた」と発言したのがきっかけとなり、警察は業務上過失致死容疑で捜査開始した。
ところが本来なら管がはずれると鳴るはずのアラーム音を聞いた者が誰もおらず、捜査は難航。やっと一年経って、同じく当直していた美香さんだけが「鳴った」と“証言”した。のちにわかるが、管は外れていなかった。しかし、いったん鳴ったと認めた美香さんに警察の捜査対象が移る。取り調べのA刑事が手練手管を使い、人と関係を持つのが苦手で、優秀な兄への劣等感と深い孤独感を持つ美香さんを取り込んだ。そして、とうとう自白につながる。「私が管を抜いた」、、、
ここで、当欄で初めて事件を知った方は疑問を持つはずだ。「でもどうして、彼女は“うそ”をついたの?」
答えは、中日新聞で連載された「ニュースを問う」を読めば(今まで計11回)、わかる。
一言でいえば、もともと軽度知的障害・発達障害(ADHDとASD傾向)を持つ美香さんが、警察のでっち上げストーリーに協力させられた、ということなのだが、その代償はあまりにも大きかった。
その後悔が、そしてのちには真実を曲げられたくないという強い思いが、美香さんに350を超える手紙を書かせる原動力となった。
あの気持ちのほとばしる手紙の字体と文面を目の当たりにした者から言わせてもらえば、ひとこと、圧倒させられる。誤字や言い回しの巧拙を乗り越える美香さんの“魂の発露”を感じた。
何十回も『殺ろしていません』という繰り返されるフレーズ。余分に見える送り仮名の「ろ」は無知からくるのではない。塀の内側にいるときには決して届かない“心の叫び”があらわされている。その証拠に、客観的に説明する内容の個所ではちゃんと「殺していません」とも書いた。

8月の文(23)の日、西山美香受刑者は懲役12年の服役を終え、翌朝、和歌山刑務所を出所した。晴れて、敬称がつく立場になれた〔この戻らない青春の日々を国家はどう償うことができるのか!〕。客観的に見て、自白のみで有罪を下した憲法違反の判決は、早ければ今年中にも出される再審決定でくつがえるはずだ。いまは大好きなお母さんに甘えて、好物の唐揚げをいっぱい作ってもらうといいよ。

御巣鷹の忘れ物

あの「夏の日」がまた巡ってきたーー520人という単独航空機史上最悪の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事故から32年。開院と同時に当欄を始めて以来、毎年「8・12」にはこのテーマで書いてきた。

群馬県・御巣鷹の尾根に墜落、バラバラの機体から奇跡的に救出された吉崎博子(当時34歳)、美紀子(同8歳)さん母娘。駆け出し記者として現場に向かい、二人の担当となった縁が、僕に筆を走らせる。
ブログ一回目は、母娘で入院中に大地震に揺られ、事故のフラッシュバックに苦しんだエピソードとPTSD(心的外傷後ストレス障害)の話。二回目は墜落から発見までに一晩かかったことで失われた命をしのび、GPS全盛の現在(いま)との“時の隔たり”を嘆じた。そして三回目の去年。政治的理由で事故の日を避けて制定された祝日「山の日」にあえて苦言を呈した。

こうやって振り返る最中も僕の耳から離れない言葉が、吉崎家祖母のつぶやきだ。
「マスコミは節目、節目っていうけどさぁ、悲しみに節目は無いじゃんねえ」。

医者となった今も、何か自分なりの理屈をつけて患者さんに説明しようとするとき、なぜかこの言葉が脳裏をよぎるのだ。独りよがりな理由付けが人の心を救うのに役立つことは、少ない。
それでも、忘れないようにすることの意味は失われはしないーー

解離性障害という病気は当欄でも何回か紹介した。「多重人格」〔正式には解離性同一性障害〕を思い浮かべる方がいるかもしれない。人はあまりにもつらい経験をすると、それを無意識の底にしまい込んで耐えようとする。つらい経験は何かの拍子に意識の表面に浮上して心を苦しめる。悩みで葛藤するのには大きなエネルギーが要るので、一部の人は記憶を断ち切ってしまい、無かったことにしようとする。それが行動にあらわれると「記憶のないのに時間がたち、場所が移る」経験となる。その極端な場合が多重人格だ。〔最近、習得した治療技法にUSPTがある。これについては後日、言及予定〕

新米医師のころ、「全健忘」の青年を担当したことがある。自分の名前はおろか、過去のある時期のすべてを忘れてしまったのだ。四苦八苦のカウンセリングを続けたが、記憶が戻る前にこちらが転勤となり、彼の結末は分からない。わかったのは、記憶がなくとも、得意のギターは難なく弾けたことだった。毎朝NHKで放送中の連続TV小説『ひよっこ』でも、主人公の父親が全健忘になっている。結末はどうなるのか、、、。

新聞記者を辞めて医学部入学が決まったとき、東京・練馬の吉崎さん宅を訪問した。事故で悲しむ人たちを助けるお医者さんになって下さいと博子さんに励まされた。
忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよーー“君の名”は、忘れないよ、美紀子ちゃん。








続・百の恵み~心身のカウンセリング論~

2年近く前、この院長ブログが100回に達した。誰も祝ってくれないので〔涙〕、ひとり勝手に『百の恵み』(アーカイブ2015.9.13)を書いた。題名のとおり、山口百恵さんをダシにした心身治療原論。〔再度、涙。読んでネ〕
きょうは、日野原重明先生が先日105歳で彼岸に渡られたのとシンクロするかのように、われらクリニックで“百関連”慶事が起きたので、紹介したい。

精神科外来治療の柱を精神療法という。要は、患者さんの困りごとをきちんと聴き、寄り添ってうなずき、一緒に悩み、できれば解決方向に踏み出す、というもの。昨今は医療技術の進歩に伴い、こころの病もすべて、「脳」という臓器に還元されがちだが、忘れてはならない医者の基本姿勢である。
当院では、医者による精神療法のほか、臨床心理士がカウンセリング室で話をうかがう心理療法(=狭義の精神療法)がある。時間を長く設定するので、ほかのクリニックでは実費で行うところもあるが、当院では保険診療なので、金銭負担はほとんど変わらない。

粟手照蔵さん(45歳)。医療関係に勤務して8年。もとは工学系大学を卒業後、機械部品メーカーに就職。下請けいじめをする会社の姿勢についていけず、退職した。そのころうつ病になり、自死願望が強まった。いくつかの精神科クリニックから大学病院までたどり着き、なんとか病気は小康状態に。
しかし、その後勤めた会社で今度は自分が職場いじめに遭い、再度抑うつ悪化。職場も医療関係に替えたが、以前の薬物療法では完治しないため、関係者から紹介され、当院の門をくぐることとなった。

ここで院長は何を考えたか?、
通常なら、反復性うつ病と診断して別の抗うつ薬を処方すると同時に、うつ病発症にどんな要素が絡んでいるのか探り出だす。ノートを使った認知行動療法(CBT)を検討するだろう。
ひょっとすると、多くの人がうつ病はカウンセリングで治すものと思っているかもしれない。しかし、“うつ”にはいろいろなタイプがあり、先ほど挙げた「脳」の病気としての「内因性うつ病」に必要なのは、まず休息〔プラス薬〕。安定期に入れば、食事運動療法で、セロトニンなど脳内神経物質の通りをよくしてやればよい。
これは覚えておいてほしい。“うつ”を治すのに一番必要なのは、生きる意欲。そのエネルギー回復のため慢性期にすべきは生活習慣病〔日野原先生が提唱した概念〕と同じ、正しく食べて動くことなのだ!

粟手さんに戻ろう。診察から、彼の慌てやすい性格が見てとれた。自律神経が乱れやすいようだ。漢方処方のため脈をとると、手掌に汗がにじんでいるのがわかる。おなかも壊しやすい。「前向きな性格」と自分でいうのとは裏腹に、無意識に周囲に合わせてしまい、ストレスを溜めて体に症状が出るパタンを繰り返してきたことが分かった。
方針①当院に備えた検査機器「カルポッド」で自律神経機能チェック。
方針②臨床心理士によるカウンセリングを焦らず、じっくり続ける。
結果①自律神経失調を認め、漢方処方。→睡眠大幅に改善。
結果②すぐには効果はなかった。されど、当初は毎週、去年からは隔週でこのほど100回に達した。
「すごく、楽に考えるようになった。以前の自分はどこかで無理してたんだなあと気づいた。最近、よく笑います」。
この前、初めて、粟手さんがカウンセリング日の約束を忘れた。本人は恐縮したが、僕はこう伝えた。「ようやく、良くなってきましたね」。ーー粟手さんに、これから百の恵みが降ってくるのは間違いない。

【付録:百の恵みで書いた最後のフレーズ】
山口百恵は昭和の菩薩だったのだと。そして、祈り・笑い・歌う(い・わ・う=祝う)ことが、“治り”に繋がることをーー。



ギャラリー