いまやインターネット全盛期。ラジオで海外短波放送を選局して楽しんだ世代としては、追いてけぼりを喰らわないようにするのが精一杯なのだが、世論調査でも若者の新聞、テレビ離れがはっきり表れている。かつての山田太一ドラマ(例:ふぞろいの林檎たち)のような興味をそそられる番組も無く、TVで観るのはニュースくらいなもの。
そんな中、時間が許せばリモコンのスイッチを入れるのがNHK『プロフェッショナル~仕事の流儀』だ。
中島みゆきのテーマ曲『地上の星』で話題となったドキュメンタリー『プロジェクトX』の後を受け、臨床医やスポーツ選手、職人、清掃業者など各界の達人に焦点を当てた“専門家紹介”の長寿番組。
何が素晴らしいと言って、その道一筋を歩んできた人の生き方には、いつも目から鱗(うろこ)が落ちることだ。
そして、番組最後に決まって出る問いが「あなたにとって、プロフェッショナルとは?」。答え方は達人それぞれだが、ひとつの共通点がある。ーーそれは“矜持”(きょうじ)。単なるプライドとは異なる。苦労と経験を重ね、高みに到達したひと握りの職業人のみが持てる心持ちーー
プロフェッショナル(professional)の語源は、ラテン語で、公に(pro)宣言する(fessus)からきている。
昔読んだ村上陽一郎氏の著作で教えてもらった。世間に広まったのは中世ヨーロッパ。「公の宣言」とは要するに、神の前での告白のことだ。
神に認められた者たちで作る専門家集団。なので、当時最初にできた大学の学部が神学部であり、医学部・法学部だった。大学教授の英訳professorも同じ流れから出たものだ。両学部の偏差値が高いのは、医者や弁護士がもうかるからではなく、神の前で告白すべき職業(profession)ゆえ、高い倫理を要求されるからである。
ノーブレス・オブリージュ〔高貴な者に課せられた義務〕という言葉がある。これは当然、行政や立法の分野でも求められるはずだが、現実はどうなのか。
前回ブログで書いたように、法学部と医学部で学んだ者として、忘れられない経験をした。
中日新聞の記者コラム『ニュースを問う』に、3回にわたって重大記事が載った(5月14,21,28日)。
2003(平成15)年、滋賀県彦根市の病院で72歳男性が死亡した。植物状態で人工呼吸器を着けていたが、亡くなった当日、看護助手西山美香さん(当時24歳)が呼吸器の管を外したとして、殺人罪に問われた事件〔最高裁で確定して刑務所収監中〕。
彼女は取り調べ段階で「自分がやった」と“自白”したが、公判以後は一貫して否認。「私は殺ろしていません」と無実を訴える手紙約350通を両親に送り続けてきた。
物的証拠は何もなく、唯一の“証拠”が彼女の自白。しかし裁判では、看護師に比べ低い待遇に不満を持ち、計画的行為に及んだとして、自白に自発性有り、とされてしまった。
一連の経過に冤罪(えんざい)の匂いを感じ取った担当記者らは弁護団と協力、両親への聴き取りなど取材を進めた。その結果、西山さんが元々発達に問題を抱え、担当刑事に誘導されて嘘の自白に至ったことを突き止めた。その際、不肖小出が西山さんに心理検査を行うことになり、臨床心理士らと刑務所を訪ね、検査を実施したというわけだ。
詳細は立場上、書けない。ただ記事を読めば、彼女の無実が十二分に伝わってくる。
プロフェッショナルの来歴を知れば、司法こそ、その最右翼と言うべきだろう。真実という名の神の下で告白すべき“西山再審”担当裁判官にぜひ訴えたい。ノーブレス・オブリージュ!
そんな中、時間が許せばリモコンのスイッチを入れるのがNHK『プロフェッショナル~仕事の流儀』だ。
中島みゆきのテーマ曲『地上の星』で話題となったドキュメンタリー『プロジェクトX』の後を受け、臨床医やスポーツ選手、職人、清掃業者など各界の達人に焦点を当てた“専門家紹介”の長寿番組。
何が素晴らしいと言って、その道一筋を歩んできた人の生き方には、いつも目から鱗(うろこ)が落ちることだ。
そして、番組最後に決まって出る問いが「あなたにとって、プロフェッショナルとは?」。答え方は達人それぞれだが、ひとつの共通点がある。ーーそれは“矜持”(きょうじ)。単なるプライドとは異なる。苦労と経験を重ね、高みに到達したひと握りの職業人のみが持てる心持ちーー
プロフェッショナル(professional)の語源は、ラテン語で、公に(pro)宣言する(fessus)からきている。
昔読んだ村上陽一郎氏の著作で教えてもらった。世間に広まったのは中世ヨーロッパ。「公の宣言」とは要するに、神の前での告白のことだ。
神に認められた者たちで作る専門家集団。なので、当時最初にできた大学の学部が神学部であり、医学部・法学部だった。大学教授の英訳professorも同じ流れから出たものだ。両学部の偏差値が高いのは、医者や弁護士がもうかるからではなく、神の前で告白すべき職業(profession)ゆえ、高い倫理を要求されるからである。
ノーブレス・オブリージュ〔高貴な者に課せられた義務〕という言葉がある。これは当然、行政や立法の分野でも求められるはずだが、現実はどうなのか。
前回ブログで書いたように、法学部と医学部で学んだ者として、忘れられない経験をした。
中日新聞の記者コラム『ニュースを問う』に、3回にわたって重大記事が載った(5月14,21,28日)。
2003(平成15)年、滋賀県彦根市の病院で72歳男性が死亡した。植物状態で人工呼吸器を着けていたが、亡くなった当日、看護助手西山美香さん(当時24歳)が呼吸器の管を外したとして、殺人罪に問われた事件〔最高裁で確定して刑務所収監中〕。
彼女は取り調べ段階で「自分がやった」と“自白”したが、公判以後は一貫して否認。「私は殺ろしていません」と無実を訴える手紙約350通を両親に送り続けてきた。
物的証拠は何もなく、唯一の“証拠”が彼女の自白。しかし裁判では、看護師に比べ低い待遇に不満を持ち、計画的行為に及んだとして、自白に自発性有り、とされてしまった。
一連の経過に冤罪(えんざい)の匂いを感じ取った担当記者らは弁護団と協力、両親への聴き取りなど取材を進めた。その結果、西山さんが元々発達に問題を抱え、担当刑事に誘導されて嘘の自白に至ったことを突き止めた。その際、不肖小出が西山さんに心理検査を行うことになり、臨床心理士らと刑務所を訪ね、検査を実施したというわけだ。
詳細は立場上、書けない。ただ記事を読めば、彼女の無実が十二分に伝わってくる。
プロフェッショナルの来歴を知れば、司法こそ、その最右翼と言うべきだろう。真実という名の神の下で告白すべき“西山再審”担当裁判官にぜひ訴えたい。ノーブレス・オブリージュ!