2016年12月

心身二刀流

米国雑誌「TIME」の今年の顔はトランプ次期大統領だが、国内で選ぶならこの人、日本プロスポーツ大賞に輝いた大谷翔平選手だろう。投手と野手の“二刀流”で実績を残し、ファイターズ日本一に貢献した。長身から繰り出す最速165㎞のストレートは見ていて小気味よい。
ただし、その賞賛の仕方が「プロ野球史上でも類を見ない」(Wikipedia)とまで書かれると、若干違和感が残る。確かに弱冠22歳の秘めた素質は無限大といえるが、まだタイトルを取ったわけではなく、野球好きの端くれとしては、この方をお忘れじゃないですかと言いたい。

景浦將(かげうら・まさる1915-1945)。愛媛県松山市出身。身長173㎝、右投げ右打ち。立教大を中退して創設間もない大阪タイガース〔今の阪神〕に入団。投手かつ初代4番打者として巨人軍の沢村栄治と名勝負を繰り広げた。
1936(昭和11)年秋季〔当時は2シーズン制〕、最優秀防御率0.79、勝率10割。翌年も年間15勝を挙げながら、秋季打率3割3分3厘で首位打者となっている。両タイトル獲得はプロ野球史上景浦ただ一人。水島新司の野球漫画『あぶさん』の主人公景浦安武のモデルとなったミスタータイガースである。
残念なことに、ライバル沢村と同様、景浦も戦争に取られた。首位打者獲得3年後に一度目の応召。3年で戻るが、手榴弾の投げ過ぎで肩を壊し、投手として復帰を果たせず、その翌年に二度目の応召。昭和20年5月、フィリピン・ルソン島で食糧調達に出たまま戻らなかった。戦後実家に届いた骨つぼには、石ころ三つだけが入っていた。戦争もし無くば、史上最高の“二刀流”は70年前に実現していたやも知れぬ。

忘れられた存在、と言えば医療における「心療内科」も同じと僕は考えている。世間では心の調子が悪いと心療内科でしょ、忘れられたってどういう事?といぶかしがるもしれないが、医療業界では認識に大きな隔たりがある。
内科医からは、取りあえず相談しやすい精神科と見られ、精神科医からは中途半端に心の専門に首突っ込んだ内科と受け止められている(と思う)。いわば、コウモリのような存在。調査したわけではないが、「心療内科なんかいらない」という医師を知っているし、一宮むすび診療内科、との誤記が医療関係者からの連絡でちょくちょくある事が、その仮説を裏付けているように思われる(被害妄想であって欲しいと祈るばかりだ)。

こころとからだの関係――いわゆる心脳問題はギリシャ時代からの難問である。論理的・演繹的思考を突き詰めたデカルトは同時に神を信じていた。その“ねじれ”の帰着点を大脳松果体に求め、破綻した。とはいっても、それを本質的に凌駕する議論が展開されたことは、遺伝子の解明された今にいたるまで、無い。
現代科学の観点からデカルトを批判するのが無益なように、専門化・細分化された現代医療の立場から心療内科の難を問うても、意義は薄いと思える。

野球とて、戦前戦後と今の時代では理論も技術も異なる。景浦將が現代によみがえったとして、投手と野手の両立ができるのかはわからない。わからないが、気に入らないことがあるとボール球をわざと空振りするような性格の景浦にとって、今の野球はデータばかりに頼って無味乾燥なものに映るに違いない。

二刀流の“元祖”宮本武蔵も、実像は横着で世間のはみ出し者だったようだ。ひとと違う者が、ひとと同じ道を目指す――このモンダイを考えているうちに、心療内科医の人格そのものが問われているような気になってきた。ただそれは、すべての医師にとっても、いな、すべての人に通じる深遠な“問い”ではなかったか。

実は、当院長の名前・将則の「将」の由来は、景浦將から採ったものである。名づけた本人(僕の父親)は、昭和8年生まれでずっと野球一筋。生前、酒が入ると口をついて出たのが以下のエピソードだった。高校の時、のちの四百勝投手・金田正一率いる享栄高に勝ち、国体出場を果たした。「ヒットを打ったよ」。
そう語る、亡き父の脳裏に景浦將のフルスイングが浮かんでいたかどうか、知らない。
僕はいま、あらためて決意する。「心身二刀流で行く」。









クリぼっちの君たちへ

平成28年最後の土曜外来を終えた夜、一宮むすび心療内科スタッフで恒例の忘年会を催した。場所は隣ビルのレストラン「三栗(みくり)」。3回目の今年は偶然クリスマスイブと重なり、食事はトリュフ入りマデラソースのフィレステーキなど豪華なXmasバージョン。他のお客さんも巻き込んでジャンケンゲームをしたりと盛り上がった。

“クリぼっち”という言い方があるそうだ。少し前、若手スタッフから知ってますか?ときかれた時、「ダイダラぼっちなら知ってるけどね」と答えたが、クリスマスを独りぼっちで過ごす事と言われ、縮め過ぎだろ!と吠えたのもつかの間、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします、が  “あけおめ。ことよろ”  で済んでしまう時代になったんだと改めて思い直した次第。

博報堂などが10〜40代のLINE利用者5415人に行ったアンケート結果によると、20代の男性33%、女性26%がクリぼっちという。彼らの実際の予定は、男性23%、女性32%が仕事・アルバイトとのこと。生まれてこのかた、高度経済成長もバブル経済も体験せずに生きてきた彼らにとって、クリスマスにひとりせっせと働くことは、特段違和感を持たないのかもしれない。

一億総中流現象が消失した現代日本。それは大衆の昭和から分衆の平成へと言い換えてもいい。
1985(昭和60)年、博報堂生活総研が提唱した新語が「分衆」だった。電化製品などが1世帯当たり1台以上の割合に達した状態。乗用車もエアコンもテレビも一家に1台をとっくに超えている。IT化社会の促進、特にスマホなど情報通信手段の進化普及によって、個人、家族の境界概念は昭和時代のそれとは大きく変わりつつあるように思える。

85年前、スペインの哲学者オルテガは著書『大衆の反逆』の中で、第一次世界大戦後のヨーロッパで台頭する者たちのことを「大衆」と呼び、共同体をおびやかす存在として嫌悪した。彼は、大衆は他と同一であることに喜びを見出すが、自己完成の努力をせず、自己の安楽追求をするために他人と連帯しない人々と定義づけた。「遺産相続以外何もしない相続人」と辛らつだ。大衆の出現と退場、分衆の誕生ーー

イブ明けの日曜日、娘の高校時代の部活仲間3人が拙宅に来てくれ、クリスマス会を楽しんだ。
女子ハンド部で3年間苦楽を共にした仲間。ソーセージ入りたこ焼きとツリー型ケーキ作りに没頭。腹ごしらえの後は、日本ハンドボール選手権男子決勝をテレビ観戦しながら、4人で人生ゲームを始めた。
「一回、貧民に落ちると戻れないよねえ」「火災保険入れるよ。家買っときゃあ」「借金してるのに結婚していいんですか?」「毎晩の残業キツすぎる」などとワイワイはしゃいでいた。

ちょうど1年前のきょう、電通の新人社員、高橋まつりさんが過労自殺した。
きっと彼女の心と体はその何日も前に擦り切れてボロボロになっていたのだろう。キリスト生誕の日まで命を繋いだが、そこまでが限界だったのだろう。まつりさんの脳裏には、クリぼっちが思い浮かぶいとまも無かったに違いない。




 

こころの指定医

東京・武蔵野市の産婦人科病院で、人工妊娠中絶手術を受けた新妻が術後6日で急死したニュースが報じられた。手術との因果関係は明らかでないが、執刀医が資格を持っていなかったことが問題視されている。
流死産と異なり、中絶を行うには母体保護法指定医として都道府県から指定を受ける必要がある。それだけ人権を侵害するおそれのある医療に携わるためだ。
これと並んで、「こころの権利保護」に関わる資格が精神保健指定医である。

精神保健指定医とは、精神科患者の利益のため、強制入院や行動制限・拘束などの人権配慮を要する治療に必要な国家資格。医師歴5年(うち精神科医3年)以上の経験があり、種々の精神疾患8症例報告、研修を行い、厚生労働大臣の審査で基準を満たすと指定される。合格率は6~7割で、全国で約1万5千人が登録されている。
昨年、聖マリアンナ医大で不正取得が発覚し、23人が資格取り消しとなったのは記憶に新しい。そして今年7月、措置入院期間が問題となった相模原障害者施設殺傷事件。ここで、戦後精神保健の歴史を振り返ってみよう。

1950(昭和25)年、戦前の私宅監置(座敷牢)制度を一新する精神衛生法が施行され、精神衛生鑑定医制度が発足した。そして1964年、重大事件が起きる。
ライシャワー駐日大使が統合失調症の19歳青年にナイフで刺された。大使が輸血後肝炎になり、売血制度〔当時は生活のために自分の血を売ることもできた〕が社会問題となった。これを機に今の献血制度へとつながるのだが、もう一つ重大な影響を与えたのが、精神障害者の処遇だった。
事件翌年に精神衛生法が改正され、保健所が精神保健の第一線に位置付けられた。本音は「精神障害者を野放しにするな」だったと思われる。措置入院患者が無断離院した際の警察届出が義務づけられたことからも裏づけられる。
そして再度、重大事件がおきた。1984年の宇都宮病院事件。看護助手が患者に暴行し死亡させた。3年後、今度は改正でなく、精神保健法として成立した。任意入院が明記され、患者の人権中心の法体制に変わる。この時から精神保健指定医制度が施行された。
1995年、障害者基本法制定。精神障害が身体・知的障害と同じ基準で扱われ、精神保健福祉法として今にいたる。基本姿勢は入院治療から地域生活への移行だ。自立支援や雇用促進が柱になっていく。
こう見てみると、精神医療は社会の動きと密接に関わってきたことがわかる。その中で起きた津久井やまゆり園の障害者殺傷事件は、優生思想をキーワードに、われわれの社会の在りようを根底から問いかけるものだ。

今月、精神保健指定医の研修会に参加した。5年毎に更新される指定医の資格取得には、研修会全出席が必須となっている。
冒頭、主催者側の公立病院長が述べた言葉が印象的だった。「(精神保健指定医が精神障害を持つ)患者の自由を拘束するのは警察の逮捕と同じではない。逮捕には裁判所の許可がいるが、指定医はたった独りで憲法の基本的人権を制限する権利を持つ」。
患者さんの利益のために患者さんの自由を奪う宿命を指定医は持つーー重い言葉だ。
先日、厚労省有識者会議は相模原殺傷事件で報告書をまとめた。そこでは、共生社会の考え方に基づき、地域と施設の共存を目指し、地域に開かれた存在とともに施設安全確保の両立を求めている。

高校時代に皆が使っていた英単語集に「障害(物)」の訳が載っていた。
obstacle. = 離れて(ob)+立つもの(stacle)。 *obはラテン語の接頭辞で「逆に」の意味を持つ。
障害を持つ人たちを社会から離れて立たせてはいけない。




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