2016年11月

玉砕の地下壕とゲ・ゲ・ゲ

“西向く侍”――睦月から師走までのうち、31日間の無い「小の月」を覚える語呂合わせだ。ニシムクは解説不要として、侍とは何ぞや?
サムライ=士で、分解すると十一。そう、November は“侍の月”だった。きょう11月30日で平成28年も残り1ヶ月。これは書き残しておかなければ、という小体験を招待券にして、当欄読者の皆さんに贈る。

この秋、長野市で催されたADHDとうつ病の勉強会に参加した。そのとき訪ねた(というより、こちらが主眼だった)のが善光寺と松代(まつしろ)町だった。
ことし侍と言えば、NHK大河ドラマ「真田丸」。主人公真田信繁の菩提寺のある松代はいまや長野の一大観光スポットだが、僕が真に行きたかったのはそこではなかった。――

昭和19年7月。太平洋戦争でサイパンが陥落し、日本は敗色濃厚となった。「もう本土決戦しかない」。同じ月、東條内閣最後の閣議で決定したのが、皇居や大本営、政府各省の極秘移動だった。
連合国軍上陸に備え、①海岸から遠く、飛行場に近く②硬い岩盤があり③周囲を山に囲まれた要害の地として、川中島決戦跡に近い長野・松代の山が選ばれた。
同年11月11日、幕末の志士、佐久間象山で知られる象山など3か所で掘削が始まった。日本人、朝鮮人のべ数万人が動員され、総延長10㎞に及ぶ地下壕が突貫工事で掘られた。当時の金額で1~2億円の巨費が投じられ、工事の犠牲者も相当数に上ったとされる。
秘密裏に進められたプロジェクトの設計図名は「松代倉庫新設工事」(防衛省保存)。しかし、昭和20年8月15日で工事は中断。詳細は戦勝国による発覚を恐れ、大部分が焼却されたという。その歴史を後世に伝える一部公開のためには、戦争から半世紀後の平成まで待たねばならなかった。――

見学時間ぎりぎりの午後4時前、僕はひとりで入壕した。
ヘルメットをかぶり、高さ2mほどの入口天井に崩落防止用梁が組まれた壕を奥に進む。ところどころに明かりはあるが、坑道は薄暗く、ひんやりとした空気がまとわりついてくる。足元は当時のまま砂石でごつごつし、ハイヒールだと間違いなく足を取られる。
途中、削岩機ロッドや電気配線、トロッコ枕木跡が往時のまま残るのを見ているとコウモリが脇をかすめた!。一瞬、背筋が凍りついた。500m歩いた最奥部には「地下壕内に折鶴等を捧げることはご遠慮ください」と書いた管理事務所札が行先をふさぐフェンスに掛けられ、そのわきに千羽鶴がつるしてあった。
なんだか、大日本帝国の胎内を見ているような、妖しい気分になった。

戦争の被害者は常に名もなき民である。
その一人に、わが敬愛する漫画家、水木しげる(1922-2015)がいる。
小学校の頃もっとも口ずさんだ歌のひとつがこれだ。
♪ ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー、朝は寝床でグーグーグー 楽しいな楽しいな お化けにゃ学校も試験もなんにも無い!♪
しかし、無邪気なガキだった僕が、水木しげること武良茂(むら・しげる)青年が召集され、南洋の地ラバウルで左腕を失う瀕死の重傷を負いながらも命からがら帰国したのを知ったのは、ずっとのちの事だった。彼の畢生の作品が『総員玉砕せよ!!』だ。実体験をもとに描いた漫画で戦争の真実をあぶりだした。

平成27年、“士の月”のつごもりに水木しげるは旅立った。93年間の浮世から離れた漫画侍は、いまごろ剣の無い常世で、妖怪たちに囲まれながら健筆をふるっていることだろう。








手袋の日のごはん

11月23日〔勤労感謝の日〕は、かつての新嘗祭。その年に収穫された穀物を神に捧げて感謝する日だ。瑞穂の国日本にとって、ある意味いちばん大切な祝日といえる 。この日が、冬将軍に備えるための記念日「手袋の日」でもあることに深い意味を感じとって、一昨年から当欄で取り上げてきた。3回目の今年は両者をつなぐ話題。

新嘗祭を「にいなめさい」と読めるのはどの年代からだろう?
飛鳥時代・皇極天皇の頃から始まったとされる重要な宮中祭祀で、今でも毎年、伊勢神宮に勅使が遣わされる。天皇のお田植え、稲の刈り取りは年中行事としてニュースに取り上げられる。
日本人にとって食の中心となる米。しかし、年々、その消費量は減少の一途をたどっている。農林水産省の発表ではピークが昭和37年〔国民一人当たり年間118.3kg〕。それが平成17年には61.4kgと半減してしまった。総摂取カロリーは減っていない。米飯の代わりに増えたのは副食の畜産物など、熱量でいえば油脂類の伸びが著しい。“カウチポテト族”が話題になったのはかなり前のことだ。

幼稚園の頃、給食の時間にみんなで手を合わせて、こう唱えた。
「おとうさん、おかあさん、おこめをつくっていただいたおひゃくしょうさん、いただきます!」
昭和40年代前半のことだ。その後のボーイスカウト生活でも、飯盒(はんごう)炊飯で炊いた米を残すと殴られんばかりに怒られた。平成になって残飯「もったいない」運動が起こってはいるが、昔はそれが当たり前だった。好きなおやつに、余り飯を油で揚げた母親の手作りポン菓子があった。

作家の向田邦子(1929-1981)は、美味しいもの好きな人だった。自宅の整理箱に「う」と書いた引き出しがあって、旅先で見つけたお勧め料理のメモが入っていた。しかし、それは決してグルメとは違う。
夕餉(ゆうげ)の残り物カレーを翌朝食べることに喜びを見出す“庶民”であり、ワインを「ぶどう酒」、お握りを「おむすび」と表す“昭和の人”だった。東京・赤坂で妹和子さんと開いた和食の店「ままや」の献立を見ると、故人が偲ばれる。〔その店も、もうない〕
向田さんの名エッセイのひとつに「ごはん」(『父の詫び状』所収)がある。
心に残る「ごはん」体験として、彼女は東京大空襲の翌日の昼食を書いている。
昭和20年3月10日深夜、アメリカ爆撃機B29の空襲に遭い、目黒の向田家周辺も火の海と化した。家の畳に土足で上がり、火の粉を消した。死を覚悟した。奇跡的に風向きが変わり、焼け残った自宅で翌日、一家5人は最後の昼食のつもりで“ごちそう”を食べる。
「母は取っておきの白米を釜いっぱい炊き上げた。私は埋めてあったさつまいもを掘り出し、これも取っておきのうどん粉と胡麻油で、精進揚をこしらえた。」
「戦争。家族。ふたつの言葉を結びつけると、私にはこの日の、みじめで滑稽な最後の昼餐が、さつまいもの天ぷらがうかんでくるのである。」

後年、就職してしばらく経った頃、向田さんはひと冬を手袋なしで過ごした。気にいるものがなかったからだが、それは彼女の生き方に関する決意、我が道を行く的な人生を決める上司とのエピソードがきっかけだった。エッセイ「手袋をさがして」をテーマに書いたブログも読んでいただきたい。
手袋は冷えた体を温める。ごはんは言うに及ばない。
衣食足りて礼節を知る。向田邦子の作品に接すると、衣食とともにひとを温める大切な心、に改めて気づかされる。
旧新嘗祭の翌日、11月24日が世界無形文化遺産となった「和食の日」というのも、語呂合わせだけでない縁を感じる。今夜はメタボなど気にせず、たっぷりとごはんをいただこう。
  








11月11日は”おりがみ・介護の日”

一宮むすび心療内科の玄関を入って右側に待合がある。椅子に腰掛けると正面にある壁掛けTVの両下角に気づく患者さんも多いのではないか。今は右端に柿とキノコ、左端に紅葉が色鮮やかに存在を主張している。これらは皆、ひとりの医療事務員が自ら折ってきたものだ。きょうは「おりがみの日」。

どうやら日本人は記念日が好きなようだ。ウィキペディアで日本の記念日一覧を調べてみたら、1年間で923もあった。どの月や日が多いか、先を読む前にちょっと考えてみてくださいーー。




答。いち並びで語呂合わせのしやすい11月が102件とトップ。9月は「苦」月に通じるからか、最少の58件だ。日にち別でいうと、第三位が11月1日。犬の日(ワンワンワン!)はじめ11件。第ニ位は6月1日の12件(気象台が初めて東京・赤坂に設置された気象の日など。
そして栄えある第一位がきょう、11月11日なのだ。若者に有名なのは「ポッキー・プリッツの日」だろうか。当院スタッフに訊いてもやはりポッキーと返ってきた。以下列記してみる。
・世界平和記念日・ジュエリーデー・サッカーの日(メンバーの数)・くつしたの日・電池の日(+極をⅡに見立てた)・配線器具の日(コンセント差し口)・煙突の日・下駄の日・鮭の日(漢字のつくりが土二つで十一と十一)・チーズの日・もやしの日(ひょろ長いのをⅠに例えて?)・ピーナッツの日・きりたんぽの日・鏡の日・ネイルの日。書くのに疲れてきたが、介護の日は覚えておくべき日のひとつだろうか。

「介護について理解と認識を深め、介護従事者、介護サービス利用者及び介護家族を支援するとともに、利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する観点から、高齢者や障害者等に対する介護に関し、国民への啓発を重点的に実施するための日」(平成20年厚生労働省)

レオナルド熊さんが生きていたら、こう言うだろう。「いかにも、一般大衆にはわかりにくい表現ですなあ」
おりしも、安倍内閣は”新三本の矢”政策のひとつとして、介護離職ゼロを掲げた。親の介護のために子世代が離職することのない国に、というのが趣旨のようだが、財源や具体的方策のない中で、絵に描いた餅になるのではと危惧するご同輩は多かろう。現実には定年退職して自分の生活も不安定な高齢者が、その親の面倒を見るという老々介護の時代。当院にも疲労困憊の体(てい)で介護施設職員さんたちが訪れ、理想と現実のギャップを物語る。
社会が高齢化すれば認知症も増え、医療費や社会保障費は増大するのが自然な流れ。この激流にどう杭(くい)を打ち込むのか?高層マンションの杭すらデタラメで通る国、21世紀ニッポン。

おりがみの日の由来は、使われる色紙の四辺のひとつを”いち”として4つ並べれば1枚を表すからだそうな。指先の運動はボケ防止には最適だ(できればしりとりでもしながら折れると最高)。当方も認知症予備軍であるからには、今夜はひとつ、鶴を折ってみようか。


11月11日は“オリガミ・カガミの日”

一年でいちばん記念日の多い日、それが11月11日。昨年のこの日、「おりがみの日」にちなんで当院窓口を飾る職員お手製折り紙を紹介、同時に「介護の日」について話題提供したが、今年は18ある記念日のうち「鏡の日」にズーム・イン!

どうして鏡は左右逆に映るのに、上下はそのままなんだろう?
こんな疑問を小さい時に(大人になっても)持った方は少なからずいるのではないか。 
答。ミラーは鏡面を軸に全てを(奥行きも)反転させるので、左右だけが逆に映るのではない。
??わかったような、まだ釈然としないようなーーともあれ、鏡は古来三種の神器のひとつになっているように、私たちの潜在意識と深いつながりがあるのには違いない。そこで、鏡に関わる医学の話題をふたつ提供しよう。

ミラー・ニューロンという神経のかたまりがある。大脳の一部に存在するその神経群の命名根拠は次のようだ。
1996年、イタリアの生理学者たちはマカクザルが物をつかむ時に反応(発火)する脳の場所を探っていた。たまたま実験者がエサを拾う時に発火した脳内箇所が、サルが拾った時と同じであることに気づいた。
サルと同様、人にも電極を刺すわけにはいかないが、機能的MRIでヒトの場合も研究できるようになり、やはり発火することが判った。しかもこの細胞群、視覚だけでなく聴覚にも反応する。自分で紙を破る時と他人が破る時だけでなく、他人が紙を破る音でも同一ニューロンが発火するというのだ。
これは何を意味するのか?
霊長類が社会性を発達させる上で欠かせないのが、「他者の行動意図の理解」だ。ミラーニューロンは幼児の成長過程でより機能すると見られている。発火場所は言語中枢に近い。これからは他人の行為を“猿真似”と馬鹿にすることは止めよう。

ジャック・ラカン(1901ー1981)。フランスの精神分析医。フロイトの後継者として、その難解な言説で知られる。初期ラカンの代表的理論に「鏡像段階」がある。もとより僕が解説できるはずもないが、大ざっぱに言うと次のようだ。
人は解剖学的に神経未成熟で生まれる。赤ん坊を観察してみると、生後数ヶ月は手足を自分のものとして認識出来ていないと分かる動きをする。その後、6ヶ月から18ヶ月の間(フロイト流に言う前エディプス期)に鏡の中の自分を見て、「他者」と出会い、鏡の像を「自己」と認めるところから、自我形成が始まる。
なるほど、自己の中にもう一つの自己が生まれる(多重人格)のには、こうした脳と心のズレが関係しているのだなァ。心の層の深さを垣間見る思いだ。
この理論を知って、すぐ思い起こしたのがグリム童話『白雪姫』だ。白雪姫の母〔実母版と継母版があるのも興味深い〕は毎日、鏡に向かって問いかける。「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」。鏡がゴマすりキンチャクならこの童話は成立しなかった。
当院でカウンセリングを希望する患者さんによく言う言葉。「カウンセリング(Co.)を受ければ、治してくれるという“幻想”は捨てましょう。Co.は鏡のようなものです。貴方の心をそのまま映し出すのがCo.です」。

人はなぜ、毎朝、顔を洗うのか?
答。毎日、鏡を見て自分自身を造りなおすため。




 
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