2016年10月

オンガクとブンガクのあいだ、ココロとカラダのあいだ。

ノーベル文学賞に歌手のボブ・ディランさんが選ばれた。誰もが知るスーパースターの授賞に絶賛の嵐が上がるかたわら、こんな声も聞かれる。「これって、音楽も文学ってこと?」。お笑い芸人の松本人志さんが「ちんぷんかんぷん。ならノーベル音楽賞作ったら?」と疑問を呈した。そもそもディランさん自身が受賞辞退するかもしれない。そこで、ハタと思い当たる事があり、筆を執ることにした。

1941(昭和16)年、アメリカ・ミネソタ州で生まれたロバート・アレン・ツィマーマンは、祖父母がロシア、リトアニア移民のユダヤ系出身。幼少時からピアノやギターを独習し、ブルースを学び、プレスリーに傾倒して1962年、ボブ・ディランとしてデビューした。
初年のアルバム売上は五千枚に留まったが、ランボー・ヴェルレーヌ・ブレイクら詩人小説家の影響を受け、翌年出した『風に吹かれて』でブレークし、公民権運動のうねりの中で、時代の代弁者として持てはやされる。その後ドラッグの洗礼も受けつつ自らの感性を頼りに曲作りは続き、2016(平成28)年の今も世界中でコンサートを続けるシンガーソングライターとして存在を示し、ここしばらくノーベル賞候補に挙がってきた。
音楽と文学。辞書で引くと、どちらの定義にも共通するのが「芸術」だ。と言うと「芸術は爆発だ!」〔岡本太郎〕が思い浮かぶが、音と言葉という入力は異なるものの、爆発のたどり着く先は同じ「魂の解放」だろう。

そこで話は心身医学に移る。
ギリシャ哲学の時代から、心の座がどこにあるか?という心脳問題は思想家や科学者の一大テーマであり続けてきた。一番有名なのがデカルトの心身二元論だろう。「われ思う、ゆえにわれあり」は、すべてを論理的に突き詰めて疑う事から出発してたどり着いた言明といえ、機械論的世界観につながっていく。
心(精神)と体(物質の延長)はそれぞれ独立して存在するという心身二元論では説明困難な両者の相互関連(たとえば恋人に話しかけられるとドキドキする)を結びつけるものとして、デカルトは脳の奥にある松果体を挙げて説明しようとした。 
現代脳科学の知見では、17世紀に生きたデカルトの説明は間違っている。しかし、重要なのはコトの正否ではない。決着のつかない難題を突き詰めて考える事の大切さを松果体の誤謬は物語っている、と僕は思う。
心身医学は哲学的課題であり続ける心脳問題を、医療の場で実践するために生まれた学問だ。患者を単に「病気を持った身体または精神」として捉えるのではなく、「心理的・身体的・社会的に悩みを抱える人」として見る視点から関わる。そこに「心か体か?」という問いかけは、(方法論的には重要だが)、本質的な問題とはならない。

すこし、小難しくなってきたようだ。これも、詩的表現としてさまざまな解釈を許すボブ・ディランの作品の影響を受けたせい、とでも思って下されば幸いだ。
ディランの初期の歌に『ライク・ア・ローリング・ストーン』がある。ロック史上最高の作品という評価が多いが、日本語訳の「転がる石のように」から皆さんは何を思い浮かべるだろうか?
「転石、苔(こけ)むさず」ということわざの意味は人によって異なる。
① 軽々に言動を変える人間は信用されない ② 臨機応変に対応することで活路が生まれる
さて、どちらが“正解”だろう。答えはきっと「風の中にある」。






新・10月10日は体育の日

今年は10月10日がたまたま第二月曜日に当たるため、きょうが「体育の日」となった。52年前のこの日が東京オリンピック開会式だったことを直(じか)に知る人が少なくなった平成28年、改めて“東京五輪”を考える。

東京でのオリンピック開催が決定したのは2回目ではない。太平洋戦争開戦の前年、つまり1940(昭和15)年にもアジア初の五輪が東京で行われるはずだったことを知る者は、体育の日の“起源”を覚えている人より少ないだろう。その確認のために少し歴史をたどってみよう。〔『幻の東京オリンピック』橋本一夫 講談社学術文庫など参照〕
古代ギリシャ・オリンピア祭典の再現をと、クーベルタン男爵が提唱した近代オリンピック大会が開催されたのが1896年。以後4年ごとに、アマチュアリズムを基本としたスポーツと平和の祭典は催されてきた。参加国数は第1回アテネの13から着実に増え、第31回リオデジャネイロでは206の国・地域にまで広がった。

オリンピックが他の国際スポーツ大会と決定的に違うのは、その政治性においてだ。1936(昭和11)年、第11回夏季五輪はベルリンで開かれた。開催地決定後、総選挙に勝利したヒトラーは当初「オリンピックはユダヤ主義に汚れた芝居」として拒否的だった。それが宣伝相ゲッペルスらの進言によって、態度を豹変させる。アーリア民族の優位性を世界中に誇示するため、いっとき有色人種差別政策をたな上げにした。〔ドイツは第6回大会(1916年)にもベルリン開催予定だったが、第一次世界大戦で中止した過去がある〕。
ヒトラーは、女優で映画監督のレ二・リーフェンシュタールに記録映画を製作させる。二部作『民族の祭典』『美の祭典』はその芸術性が評価され、ヴェネチア国際音楽祭で金獅子賞を獲った。いまや五輪開会式の定番となっている聖火リレーは、そのベルリン大会から始まった。国威発揚に絶好の儀式とナチスに利用された。

いっぽう、日本――関東大震災(1923年)後の帝都復興を目指した東京市長永田秀次郎は、建国紀元二千六百年にあたる1940年に第12回オリンピックを招くと決意。いくつもの難題を切り抜け、日本はアジア初の五輪開催国を勝ち取った(1936年)。
しかし、その5年前に満州事変が勃発、3年前には満州国を否認され国際連盟を脱退し、軍国主義の道を歩んだ日本は、1937年の日中戦争によって競技場建設の鉄材確保も困難となり、オリンピックを「たかがスポーツの大会」と軽視する軍部の反対もあって、五輪開催を返上せざるを得なくなる(1938年)。代替開催地がヘルシンキに決まったものの、翌年ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。平和の祭典は第12、13回と連続中止された。
組織委事務総長の永井松三は五輪返上後、聖火リレー協力を快諾したアフガニスタン大使に令状を出した。
「オリンピックの火を点ずることも、、今は水泡に帰し傷心、、東亜に平和の暁雲が漂ふ折は再び、、東京に招致する希望、、、」。
その言葉通り、戦後IOC委員となった永井は、第18回夏季オリンピック東京開催に尽力した。

1964(昭和39)年8月21日、聖地オリンピアのヘラ神殿で太陽光を集めて採火された聖なる火は、11か国の中継地約1万5500㎞を空輸され、9月7日沖縄に到着した。当時まだアメリカの占領下にあった沖縄で聖火は4コースに分かれ、4374区間を10万713名がリレーして走った。
最終走者は広島原爆投下日に生まれた坂井義則さん(19歳)。10月10日 午後3時、日の丸を胸に描いた真白いランニングに短パン姿で国立競技場スタンドの階段を駆け上がり、あかあかと聖火台に点火したシーン。あの赤と白、そして空の青さ。いつまでも目に焼け付いて離れない。
そう、聖火リレー10万人走者の一人が、わが恩師、体育のキンメイこと長谷川金明先生だった。





クスリはリスク

わがまち一宮でイチバンのうどん屋Kの暖簾をくぐると目に入るのが、大きなタペストリーに描かれたイラストと、回文だ。
アンパンマンの顔入りTシャツを着たビール腹おじさんが椅子に座り、ジョッキで乾杯する姿。その上に「真夏生(マナツナマ)」。さらにその下には「ダメだ総理ウソだめだ」「私が怪我したわ」。
それに倣(なら)えば、“薬はリスク”が今日のテーマ。

いわゆる精神安定剤の「エチゾラム」と「ゾピクロン」が今月、第3種向精神薬に指定された。
このニュースは何を意味するのか?
「デパス」の商品名で知られるエチゾラムは薬理学的分類上、ベンゾジアゼピン(BZ)系に属する。当欄でもたびたび指摘した通り、BZは長期連用すると耐性が生じる。つまり薬物依存に陥りやすい。
えーっ、そんなこわい薬、いやだ~という声が聞こえてきそうだが、ここは冷静に腰を据えて読み進めてほしい。

紀元前3000年頃、シュメール人が書いた粘土板文書に人類最古の処方薬が刻まれている。中国で同じ頃成立したという神農本草経(しんのうほんぞうきょう)には365種の薬が記され、それらが上中下三種類に分類されている。
上薬は「命を養うを主として天に応ずる、毒なし」、中薬は「性を養うを主とし、もって人に応ずる、無毒と有毒とあり」、下薬は「病を治するを主とし、もって地に応ず、毒多く久しく服用すべからず」とある。
陰陽五行論など、古代中国思想は自然と一体化した観念に貫かれている。薬を天・地・人に対応させるのも同系統だ。その背景には、砂漠や荒土に囲まれ、肥沃な扇状地に発祥した西洋古代文明と違い、温帯モンスーン気候の緑に恵まれた風土の影響がある。自然と渾然一体となる感覚、アニミズム、八百万(やおよろず)の神。
それに対し、ギリシャやエジプト、メソポタミアでは厳しい自然と対峙するために個の独立、内なる神、一神教が発展していった。
漢方薬が山川草木にその源を求め、自然との調和を目指したのに対し、西洋では天然物のくすりの有効成分を分析し、自然(=病気)征服に向かったのもうなずける。細菌との闘いで生まれた抗生物質がその典型だ。

精神に作用する薬にも歴史がある。
近代精神薬理学の幕開けとされるのが1949年。乗用車のバッテリーにも使われるリチウム金属(Li)に躁病への効果が発見された〔実は、なぜリチウムが抗躁作用を持つのか今でも解明されていない〕。
1952年にはクロルプロマジンが統合失調症に有効と評価され、その5年後にイミプラミンの抗鬱作用を確認、精神疾患の薬物療法への道が開けた。
1960年代までに抗不安作用を持つベンゾジアゼピン(BZ)系のジアゼパムが商品化され、鎮静催眠作用や即効性から瞬く間に世界中で用いられた。
BZ系薬は(医師側から見た)使用の簡便さの反面、弊害も判明した。アルコールやバルビツール酸と同様、連用による依存形成や急に止めた時の離脱症状が明確化した。〔およそ1か月以上の連続使用で生じるとされる〕。なので、国際的にも向精神薬として分類、管理が法整備されたわけだ。

ここからやっと、冒頭の話題にもどる。エチゾラムはBZ系なのに、経緯からこれまで向精神薬として分類されてこなかった。他のBZ系より確かにシャープに効く印象はある。〔逆に高力価ゆえ中止時の離脱症状は強い〕。問題は効能に「肩こり」が入っていることだ。
向精神薬と実質同じなのに、湿布薬と同様気安く処方されてきたため、エチゾラムは国内で最も売れたBZ系となり、副作用に苦労する人が後を絶たない。
当院にも「デパス依存症」の病名をつけられ、主治医と喧嘩して転院してきた女性がいる。20年も依存性の高い薬を処方し続けて、止めなさいという医者も医者だと思うが、、、。
神農本草経の分類に従えば、エチゾラムは間違いなく下薬(下品=げほん)に当たる。寿司なら松竹梅の梅握りだ。“梅”が悪いのではない。問題はその使い方だ。不安や緊張の強い時の頓用として有用な薬であることに異論はない。そのリスクを承知の上で医師は処方すべきだし、患者は服用すべきだと明記しておきたい。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。されど、“クスリはリスク”ーー








ギャラリー