2016年08月

2016年「二百十日」の“逆コース”

リオ五輪が閉幕し(パラリンピックはこれからだが)、暑かったこの夏も終わりを告げようとしている。
8月31日は「二百十日」。二十四節気の処暑に来る雑節で、立春から数えて210日目。農家にとって嵐の到来する三大厄日。今年は台風10号が日本列島の南海上を“左往右往”したのち、東北地方に初めて上陸した。

太平洋水域の異常高温、上空の寒冷渦や偏西風の影響など、前代未聞のコースに気象学的解説が付された。ニュースを観ていて思い浮かんだのが“逆コース”である。
逆コースとは、戦後アメリカGHQの占領支配下にあった日本で、共産主義圏への政治的要請から、再軍備にむけて展開した種々の復古的政策に対し使われた言葉。昭和26(1951)年、サンフランシスコ条約で連合国と講和締結した時の連載記事(読売新聞)がきっかけで流行った。
もう戦争はしないと憲法9条で誓い、人間宣言して全国巡幸した昭和天皇に象徴される戦後民主主義が、戦勝国の都合で方向転換し、防共防波堤の役を果たすことになる。
1950年勃発した朝鮮戦争では、米軍前線の後方支援地として、日本はその役割を担った。戦後貧困のただなかにあったわが国にとって、経済復興の起爆剤となったのが隣国の“政治の争い”だった現実。同じ年に自衛隊の前身となる警察予備隊が創設された。1952年の講和条約発効時には旧日米安全保障条約がセット締結され、西側陣営としての日本の位置づけが確定した。

精神医学にも逆コースに相当する病態がある。
「退行」Retrogression。
いわゆる“赤ちゃん返り”と呼ばれる行動。こころの自我防衛反応のひとつ。典型として、子供が、新たに弟妹ができたときにだだをこねたり、それまでできていたことができなくなったりする(尿・便失禁の再現や言葉の幼児化など)。
この時期に相応しい育ち方ができないと、大人になってから同様の行動が表れることがある。解離性障害では自覚なしに生活が分断し、知らぬ間にこどもに戻っていたりする。それが突き詰められると解離性同一性障害[多重人格]となることも。要は、悩んで葛藤する事も出来ぬほどこころが脆弱化してしまうということだ。
自覚的に限定された状況下であえて退行し、心のバランスを保つ場合もある。
たまたま聴いたラジオニュースによると、イギリスで今はやっているのが「わんわんごっこ」。ダルメシアンやセントバーナードなど犬種の着ぐるみを着て、犬の真似をする遊び。紳士の国のジェントルマンが四つんばいになって首輪につながれ、「ワンワン」(Bow Wow)と吠えて、日ごろのウップンをはらすそうな。
一方、アメリカでは最近、大人の赤ちゃんごっこが流行しているんだとか。いやはや。

ことしは夏目漱石没後百年だが、漱石に『二百十日』という小説がある。
圭さん碌さんの青年コンビが阿蘇登山に挑戦するときのやり取りを中心とした会話体の作品。ところどころ、ユーモラスな挿話を入れながら、明治社会の不公平さを摘発せんとする圭さんの訴えが主題だ。作品名は登ろうとした日が9月2日で、発表年(明治39年)の「二百十日」だった事から来る。案の定、二人は嵐[台風]に遭遇し、道に迷う。その時の描写がこうだ。
「二百十日の風と雨と煙りは満目の草を埋め尽くして、一丁先は靡(なび)く姿さえ判然と見えぬようになった。」
元豆腐屋の倅(せがれ)という設定の圭さんは、漱石自身がモデルとされる[実際に漱石は嵐の中、阿蘇山登頂を試みて断念している]。圭さんは少し昼行灯(あんどん)の気味のある碌さんに対し、血気盛んに言い放つ。
「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らはどうしても叩きつけなければならん」
そして、最後にこう締めくくるのだ。
「我々が世の中に生活している第一の目的は、こういう文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」

百年たっても、文豪の言葉は野分(のわき)の暴風のように、われわれの心中を激しく吹きすさぶ。平成の逆コースに「棹さす」のか、それとも、、、







 

類は友を呼ぶ〜五つの輪、二人の“A”〜

リオデジャネイロ五輪が閉幕を迎えた。地球の反対側で繰り広げられた熱き闘い。メダルラッシュに輝いた日本人選手たちに時差を忘れて応援した人も多かったに違いない。その中で、精神医学につながる話題をひとつ取り上げたい。キーワードは、“ふたりのA(エース)”。

Birds of a feather flock  together.

ことわざ「類は友を呼ぶ」の英語版だ。
ここで、鳥は複数(birds)なのに、なぜ羽根がひとつ(a feather)なんだろうと不思議がる人に。
不定冠詞の a には単数のほかに、同じ類(たぐ)いの、という意味がある。つまり、「同種の羽根を持つ鳥はともに集まる」が直訳となる。

おそらく同じ羽根を持つのが、競泳米国のマイケル・フェルプスと日本の萩野公介だ。

“水の怪物”と呼ばれ、史上最多の五輪メダル28個を獲得したフェルプスは1985年 、メリーランド州ボルティモア に生まれた。父は元フットボール選手で警察官、母は中学校長を務めた教育者。しかし9歳の時、両親が離婚。その年にフェルプスはADHD(注意欠如症)と診断された。母はフェルプスの有り余るエネルギー発散にと、7歳から泳ぎを習わせている。性格の似る姉の影響もあった。少年時代のニックネームはMP〔上の世代なら終戦後GHQの憲兵を思い浮かべるだろう〕。

ADHDの人は生来の脳のバランスの問題から、じっとしているのが苦手で、注意散漫になりやすい反面、興味のあることには際限なく集中する傾向がある。〔いわゆる多動が無く不注意のみが目立つタイプの人もおり、女性に多いと思われる〕。
アルコールなど依存対象にハマりやすい面があり、外国では銃や薬物との関連も指摘される。ASD(自閉スペクトラム症)を合併している場合はこだわりが強く、自分だけのルールを頑(かたく)なに守ろうとする。ただし、幼少時に虐待を受けると、ADHDやASDと同様の症状を呈することがある。

9歳のフェルプスにとって、親の離婚が性格形成に影響したことは十分に考えられる。
「僕のできる全ては食べて、寝て、泳ぐことさ」という怪物は、「ホテルとプール以外のものを見てみたい」と訴え、前回ロンドン五輪での引退を表明したが、その後酒気帯び運転で2回目の逮捕。リハビリ施設収容中に、確執の続いていた父と面会し、関係修復を図っている。
そして、今回のリオ五輪“復帰”。4年に一回の水泳競技で4連覇すること自体伝説的だが、一度は情熱を無くしたフェルプスが奮起したのは、記録のためばかりではなく、この5月に生まれた長男の存在ゆえだろう。
「父親になっての感想?最高さ」と彼はインタビューに答え、こう言った。「僕はずっと父にそばにいて欲しかった」。

その世界水泳界のレジェンド(伝説)を目指す男が、日本にいる。
萩野はフェルプスの9年後、栃木県小山市で生まれた。一級建築士の父と、絵本読み聞かせボランティアの母との間に育ったひとりっ子の萩野は、父の仕事の都合で小学1年時、名古屋に転居した。市内スイミングスクール入校の条件が背泳、平泳ぎ、バタフライ、自由形の四泳法とも泳げる事。必死でバタフライを練習したおかげで、「今の自分がある」と答えている。
スポーツ雑誌によると、萩野は頑固一徹な所があった。練習はとことんやる。父の洋一さんがこう言う。「言葉の出るのが遅く、自由な方針の幼稚園に通わせた。自分の意思にそぐわないと、テコでも動かなかった」。息子の水着の洗濯は父みずから行い、プールまで2時間半の送迎を母が続けた。
AKB48サイン会に当たれば練習も休みたいと公言する気まぐれな面もある性格を反映してか、和製フェルプスとまで呼ばれた萩野の成績は波があった。病気や怪我もした。だが、その都度萩野は立ち直ってきた。
2011年、脱水で救急搬送。翌年ロンドン五輪で400m個人メドレー銅メダル。昨年は自転車走行中に転倒し、右肘骨折〔ちなみにADHD者には事故が多い〕。そして今年、リオ五輪での同種目金メダル獲得。

200m個人メドレーではフェルプスが金、萩野が銀。ひとつコトを突き詰める才能に恵まれたふたりのエース。闘いの水路には、国境など微塵も感じせない個性のぶつかり合いのみがあった。

南米初の五輪開催地となったブラジル・リオデジャネイロ。オリンピック史上初めて難民選手団が結成されたのは人類の歴史に残る出来事だった。そして、おそらく国のことなど一番には考えずに泳ぎ切ったふたりの“A”の姿が印象に残るスポーツの祭典だった。






 
 

“御巣鷹イブ”に想う

8月11日は「山の日」。今年から祝日となった。とにもかくにも、休みが増えるのはありがたい、ということなのだろう。こんな記事が出ていた。
――中部国際空港会社などによると、この夏、繁忙期(8月10~21日)の旅客機予約状況は国際・国内線とも軒並み増加、特に格安航空(LCC)が就航した台湾は62.7%増えた。同社は新たな祝日「山の日」効果で旅行需要が喚起されたことなどが原因とみている――
夏のレジャー経済効果拡大を期待して7月の「海の日」に呼応すべく、国会議員有志連盟が「山の日」を制定した。ただし当初はお盆直前の8月12日を見込んでいたが、その日が日航機墜落事故日に当たることから、地元群馬選出の小渕優子議員(当時)らから反対が出て、日にちを1日前倒しすることで決着した。

結論を先に言えば、「山の日」は、8月12日にこそ制定されるべきではなかったか?その理由を以下に述べていこう。
わが国の祝日に関する法律では、日にちを固定しない“ハッピー・マンデー”を定めている。
○月第○月曜日を(休日ではなく)国民の祝日として定め、消費拡大を狙った政(愚)策は平成10(1998)年に施行された。現在、成人の日、海の日、敬老の日、体育の日が該当する。(アーカイブ『10月10日は体育の日』正・続をお読み下さい)。
背景には平成3年にバブルがはじけ、デフレが進んだ経済情勢があった。しかし、である。1980年代から顕現してきていた“金一神教”(金のみをすべての価値基準とする思考及び行動)が日常に取り込まれるようになったのも、このハッピー・マンデー法と軌を一にしている、と僕は考える。その源泉は高度経済成長と田中金権政治に象徴される“数の論理”に求められる。〔当時、♪ 大きいことはいいことだ おいしく食べて五十円とはいいことだ○○チョコレート♪というCMソングが流行った〕
もちろん戦後昭和の時代にも、拝金主義はあった。が、あくまで本音(=カネ)と建前(=正義)は分けて考えられてきたし、その二枚舌を使い分ける“したたかさ”を日本人は持っていたと思う。平成も、もう残りが少ないこの時期になり、我々はかつての二枚腰を失ったかのようだ。
もっとも、トヨタなど製造業系企業にとって休日は、この法律と無縁だ。工場稼働の停止・再開によるロスを考え、暦と無関係にいち年じゅう土日休が続く。代わりに黄金週間、夏季・冬季休暇はまとめて一週間以上通しだ。産業医をしていると、その辺りの機微が伝わってくる。
以前なら精神的な弱さを持つ社員でも、なんとかのらりくらりで切り抜け、勤務を続けて来られた。しかし、いまやそんな余裕は普通の企業にはない。会社と雇用契約を結んでいる以上、ひとり分の働きが出来ない社員はメンタル不調の烙印を押され、休職が続けば解雇の対象となりうる。

単独航空機事故史上最悪の犠牲者を出した昭和60(1985)年の日航123便墜落事故。乗客乗員524人を乗せ、8月12日午後6時過ぎに東京・羽田を飛び立ったジャンボ機は離陸約15分後、その7年前の着陸事故の修理ミスが原因となって後部隔壁が破壊され、尾翼の大半を失った。
盆休みで東京から帰省する多くのサラリーマンが命を落とした。ジャンボ機が迷走した最期の32分、激しく揺れる機体の座席で書かれた乗客のメモ書き遺書を読むたび、涙で文字が滲(にじ)む。事故から31年経った今も、遺族らは群馬県・御巣鷹の尾根への慰霊登山を続ける。

祝日の意義は単に歓び、祝うだけでないのは、春分・秋分の日などからも明らかだ。人生の節目・心の区切りとなりうるのが祝日であるのなら、「御巣鷹の日」こそ「山の日」にふさわしいのではないか? 政治家には実際に山に登りながら考えてほしい。


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