26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた45人殺傷事件のニュースに接し、経過を知るうちに口をついて出たのが冒頭の言葉だった。ドイツ降伏40周年の連邦議会で、ヴァイツゼッカー大統領が残した演説の一節。医者のひとりとして、否、人として黙認してはいけないと感じ、筆を執った。
報道によると、犯人の植松聖容疑者(26歳)はやまゆり園の元職員で、一番人手の手薄な午前1時過ぎに侵入。職員は縛りつけただけで重傷にはせず、重い知的障害者の人たちの首などを狙い、致命傷を負わせたとされる。
今年2月、彼は大島理森衆議院議長宛に手紙を書いている。(以下、原文より抜粋)
「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的生活が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」
「障害者は不幸を作ることしかできません」
「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」
正気の沙汰とは思えない。しかし、植松容疑者は手紙の中で、「常軌を逸する発言であることは重々理解しております。、、今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時」とも記している。狂気の“思想” は、われわれの心の奥底を揺さぶる何かを孕(はら)んでいる。ーーそれが優生思想だ。
優生学(eugenetics)は19世紀、英国のF.ゴルトンが提唱。人種の先天的な諸性質を改善するあらゆる様々な影響に関する科学である、と定義した。ゴルトンは従兄ダーウィンから進化論の影響を受け、親戚のナイチンゲールから統計学的手法を学んだと言われる。
ユージェネティックスとは文字通り、良い遺伝子を残す意であり、産業革命後、 社会主義思想の広まる英国に浸透した。そして20世紀、優生学は“鬼っ子”を産み落とすーーナチス・ドイツによる人種差別思想。
アーリア人が優生人種でユダヤ人は唾棄されるべき劣等人種という恐るべき思想はしかし、ヒトラーという怪物独りに原因を求めてはならない。政治的には正当な選挙を経てドイツ国民の長となった彼の精神に通底する考えは、すでに世界中に広まっていた事実を見逃してはならない。
T4作戦という政策がドイツであった。優生学思想に基づいて実行され、安楽死対象となった7万人の内訳は、精神病者や知的障害者ら社会的弱者たちだったが、同時期に米国では、選別思想に基づく移民法で日本人や中国人が排斥された。[これに関しては『あめりか物語』(山田太一脚本)という優れたTVドラマがある。都知事選で話題となった石田純一氏も出演、ぜひ見られたし]
北欧の福祉国家スウェーデンですら当時、優生計画で6万人が強制断種させられている。
そしてわが国ではむしろ戦後、優生思想は科学(医学)の名の下に広まった。ハンセン病の例は日本人が忘れてはならない負の教訓だ。
今回の事件はその結果の凄惨さから、植松容疑者が当初、精神保健福祉法によって措置入院(県知事の指示による強制入院。実際は精神保健指定医2人の判断による)とされながら、わずか12日間で退院となった件が問題視されている。これは後日論ずるとして、今回指摘すべきは次の観点だ。
医師は国家資格だが、沢山ある専門科の中で、国家資格を別に有すべき場合がある。それが精神科と産婦人科だ。精神保健指定医は患者本人の意思にかかわらず、本人と周囲の健康安全のために強制力を行使する。いっぽう、胎児中絶という重い決断を迫られるのが優生保護法指定医たる産科医だ。
戦後に出来た同法の中絶対象には精神・知的障害者が含まれていた。(実質的には経済事情によるものが最多だが、問題の本質ではない)。同法の“思想”の問題が問われ、母体保護法となったのはまだつい最近、1997年のことである。
優生思想は近年の医療技術の進歩に伴い、さらに難しい問いを投げかける。
出生前診断が採血のみで出来るようになり、胎児に染色体異常の判明した母親の9割が中絶を選択するというニュースが話題を呼んだ。出産前と、成長して大人になった障害者は同じでないと反論される方がいたら、その根拠を改めて見つめ直してほしい。「胎児なら殺してもいいんですか?」。
さりとてやはり、人としての直感として、植松容疑者の振る舞いは断罪しかないと思う。その感情と、今まで述べてきたこととの“落差”をどう埋めていけばいいのか?
国やマスメディアには、そうした視点を持った施策や報道を求めたい。
*現在に目を閉ざす者は未来に対しても盲目となる*
ヴァイツゼッカー氏が生きていて、やまゆり園の事件を知れば、そう言うに違いないーー