2016年07月

われらが内なるヒトラー

* 過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる* 
26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた45人殺傷事件のニュースに接し、経過を知るうちに口をついて出たのが冒頭の言葉だった。ドイツ降伏40周年の連邦議会で、ヴァイツゼッカー大統領が残した演説の一節。医者のひとりとして、否、人として黙認してはいけないと感じ、筆を執った。

報道によると、犯人の植松聖容疑者(26歳)はやまゆり園の元職員で、一番人手の手薄な午前1時過ぎに侵入。職員は縛りつけただけで重傷にはせず、重い知的障害者の人たちの首などを狙い、致命傷を負わせたとされる。
今年2月、彼は大島理森衆議院議長宛に手紙を書いている。(以下、原文より抜粋)
「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的生活が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」 
「障害者は不幸を作ることしかできません」 
「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」
正気の沙汰とは思えない。しかし、植松容疑者は手紙の中で、「常軌を逸する発言であることは重々理解しております。、、今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時」とも記している。狂気の“思想” は、われわれの心の奥底を揺さぶる何かを孕(はら)んでいる。ーーそれが優生思想だ。

優生学(eugenetics)は19世紀、英国のF.ゴルトンが提唱。人種の先天的な諸性質を改善するあらゆる様々な影響に関する科学である、と定義した。ゴルトンは従兄ダーウィンから進化論の影響を受け、親戚のナイチンゲールから統計学的手法を学んだと言われる。
ユージェネティックスとは文字通り、良い遺伝子を残す意であり、産業革命後、 社会主義思想の広まる英国に浸透した。そして20世紀、優生学は“鬼っ子”を産み落とすーーナチス・ドイツによる人種差別思想。
アーリア人が優生人種でユダヤ人は唾棄されるべき劣等人種という恐るべき思想はしかし、ヒトラーという怪物独りに原因を求めてはならない。政治的には正当な選挙を経てドイツ国民の長となった彼の精神に通底する考えは、すでに世界中に広まっていた事実を見逃してはならない。
T4作戦という政策がドイツであった。優生学思想に基づいて実行され、安楽死対象となった7万人の内訳は、精神病者や知的障害者ら社会的弱者たちだったが、同時期に米国では、選別思想に基づく移民法で日本人や中国人が排斥された。[これに関しては『あめりか物語』(山田太一脚本)という優れたTVドラマがある。都知事選で話題となった石田純一氏も出演、ぜひ見られたし]
北欧の福祉国家スウェーデンですら当時、優生計画で6万人が強制断種させられている。
そしてわが国ではむしろ戦後、優生思想は科学(医学)の名の下に広まった。ハンセン病の例は日本人が忘れてはならない負の教訓だ。

今回の事件はその結果の凄惨さから、植松容疑者が当初、精神保健福祉法によって措置入院(県知事の指示による強制入院。実際は精神保健指定医2人の判断による)とされながら、わずか12日間で退院となった件が問題視されている。これは後日論ずるとして、今回指摘すべきは次の観点だ。
医師は国家資格だが、沢山ある専門科の中で、国家資格を別に有すべき場合がある。それが精神科と産婦人科だ。精神保健指定医は患者本人の意思にかかわらず、本人と周囲の健康安全のために強制力を行使する。いっぽう、胎児中絶という重い決断を迫られるのが優生保護法指定医たる産科医だ。
戦後に出来た同法の中絶対象には精神・知的障害者が含まれていた。(実質的には経済事情によるものが最多だが、問題の本質ではない)。同法の“思想”の問題が問われ、母体保護法となったのはまだつい最近、1997年のことである。
優生思想は近年の医療技術の進歩に伴い、さらに難しい問いを投げかける。
出生前診断が採血のみで出来るようになり、胎児に染色体異常の判明した母親の9割が中絶を選択するというニュースが話題を呼んだ。出産前と、成長して大人になった障害者は同じでないと反論される方がいたら、その根拠を改めて見つめ直してほしい。「胎児なら殺してもいいんですか?」。
さりとてやはり、人としての直感として、植松容疑者の振る舞いは断罪しかないと思う。その感情と、今まで述べてきたこととの“落差”をどう埋めていけばいいのか?
国やマスメディアには、そうした視点を持った施策や報道を求めたい。

*現在に目を閉ざす者は未来に対しても盲目となる*
ヴァイツゼッカー氏が生きていて、やまゆり園の事件を知れば、そう言うに違いないーー

 

虹の彼方に

ところで7月16日は何の日?
名古屋・大須生まれの宮地佑紀生なら「決まっとるがや!ういろ・ないろ(7・16)の日だて!」とのたまうだろう。だが、素直に数字を眺めれば、7(なな)・1(い)・6(ろ)と読む人が多いのではないか。つまり、七色=「虹の日」。というわけで、きょうは虹を通してみたお話。

赤橙黄緑青藍紫(せきとうおうりょくせいらんし)。
日本人は虹を7色と思っている。だが世界は広い。今のアメリカでは6色、ドイツは5色、ジンバブエでは3色、リベリアでは2色で虹を表現する。同じ日本でもかつての沖縄では明暗2色で表したという。
理科の授業で習ったように、白色光はプリズムでいろいろな光に分けられる。分解光は連続した波であり、その周波数で違った色に見えるが、そこに境目はない。雨上がり、空気中の水滴に太陽光が屈折、反射して我々の目に届くとき、「虹」になる。客観的な境界があるわけではないのだ。〔これをスペクトルと呼ぶ〕。まさに人は「見たいように見る」。

精神医学分野で最近のトピックのひとつに「発達障がい」がある。
アスペルガー症候群や高機能自閉症といった言葉を耳にした方も多いだろう。いまは、こうした分類はしない。まとめて、「自閉スペクトラム症(ASD:Autism  Spectrum  Disorder)」と呼ぶ。名称改定されたとき、僕の頭に真っ先に浮かんだのが、虹だった。
こだわりが強い、人との交流に乏しい、社会性に欠けるといった「症状」に分けて、先人の名前を冠した病名をつけていたのだが、それは本来境界のない虹を何色と捉えるかに等しい作業ではないのか?というのが、僕の(おそらくASDに改定した精神科のエライ先生たちの)考えだったわけだ。
言い換えるとこうだ。“人類皆ビョーキ”という言い方がむかしあったが、おおざっぱに言えば、あれと同じ。誰だって、多かれ少なかれ自閉性を有している。あとは程度問題(=スペクトラム)というわけだ。
もちろん、改定はいいことずくめではない。過大診断される危険を訴える専門医もいるし、診断されたことで、(残念だが)かえって差別の助長されるリスクもある。
しかし、それを上回る利点があると僕は考える。「自分とあの人たちとは別」と考える分断思考がなくなることの重要性は、強調してもし過ぎることはないと。むしろ、現代世界を動かすのは、こうしたASD傾向の強い人たちではないかとも思う。ビル・ゲイツしかり、スティーブ・ジョブズしかり、、、。

乳がんの啓発運動に使われる“ピンクリボン”は定着しつつある様子だが、“虹のリボン(レインボーリボン)”運動はご存知だろうか? LGBT(異性愛以外の性的少数者)の人たちの象徴でもある虹のリボンを、発達障がいの人達の啓発にも役立てるための運動だ。
先日、性別適合手術で性転換した29歳の女性(MtoF)が、刑務所服役中にホルモン治療を許可されなかったとして提訴した。医学的にはナンセンスなことを国家が続けている。また、愛知ヤクルト工場でMtoFの40代社員が女性用更衣室を使用許可する交換条件にMtoFの事実や女性名を勝手に公表され、うつ病になったと工場を訴えた。
LGBTにしろ発達障がいにしろ、目に見えない違いに鈍感な人たちが(悪意がないとしても)、彼/彼女たちをスポイルしているのが今の日本だ。

竜巻に巻き込まれて、不思議の国・オズ王国に飛ばされた少女ドロシーは、魔女を退治して、無事カンザスの家に戻れた。この原作を下敷きとしたミュージカル『オズの魔法使い』でジュディ・ガーランドが歌った『虹の彼方に』は20世紀の名曲1位に選ばれた。
はたして、虹の彼方は21世紀にもあるのだろうか?

4分の3の価値~十八歳の夏に舞え~

18金(K)――ゴールド(金)の純度は24分率で表記され、24金が純金、18金は24分の18(=4分の3)が金で残りが他金属の合金という意味。

参院選が明日に迫った。目玉はもちろん、選挙権が初めて18歳以上に引き下げられたこと。世界の趨勢である18歳選挙権国に仲間入りした日本は、未来を若者に託すにふさわしい国たりえているか――

わが国の近代選挙制度は125年ほど前に遡る。
1889(明治22)年、大日本帝国憲法発布。満25歳以上の男子で直接国税15円(現行価値で60~70万円相当)以上納税者に選挙権が付与された。
1925(大正14)年、納税条件が撤廃され、満25歳以上男子全員(総人口の2割)に選挙権が付与された。抱き合わせとして同じ年、治安維持法が制定され、日本は太平洋戦争への道を突き進んで行く。
1945(昭和20)年終戦。満20歳以上の男女が選挙権を獲得。初の完全普通選挙の実現は、いくさに負けることで得た代償でもあった。そして得たのが、戦争の永久放棄を高らかにうたった日本国憲法だ。
1947年、新憲法下、初の参議院議員通常選挙が施行された(戦前、二院制の片方は貴族院だった)。
1982年、参院選全国区が拘束名簿式比例代表制(投票者は候補者個人でなく政党にのみ投票)に変更された。(~1998年)
2015(平成27)年、選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げる公職選挙法改正。

だらだらと社会科教科書ふうに記したのは、初めて投票に出向く若者のみでなく、成人選挙権者にも改めて考えてもらいたいがゆえだ。〔がまんして読んで下さった皆さん、お疲れでしょうが、最後までお読み下さい〕。
僕が最初に選挙に行ったのは大学4年の夏だった。第13回参議院議員選挙。その3年前の衆参同日選で大勝利した自民党、中曽根政権時代。初の比例代表制選挙で、全国区は政党名を記入した。サラリーマン新党
や第ニ院クラブ、福祉党といった党名が、投票所となった小学校の風景とともに懐かしく思い出される。

あれから四半世紀以上が過ぎ、高校生が清き一票を投じる時代となった。今回の選挙争点は、一億総中流社会と言われたバブル以前の昭和時代と比べ、明らかに二極化している経済、所得の再分配が“A面”。その裏に、憲法改正に必要な総議席数の3分の2を与党が獲得するかどうかという“B面”がある。自民党の党是が自主憲法制定なのを知らずに支持している国民の多い事が、この国の行く末を決めるかも知れない選挙という意味で、歴史に残るだろう。

早稲田大学創始者の大隈重信は人生125歳説を信奉していた。生き物の寿命は成長期の5倍と唱えたある生理学者の説が根拠だ。大隈は25歳までを成長期と捉えた。
それに従えば、10代有権者はまだ“成人”の4分の3までにしか届いていないことになる。だが、それで良いと思う。未完成ということは可能性を残しているということだ。万年筆のペン先に必ずしも純金(24金)が適すとは限らず、18金の方が有用なように。

「選」の語源は、神前で二人の者が並んで舞う形から来ている。揃って舞うから「そろう」となり、神前で舞うのは選ばれし者なので「えらぶ」意となった。(白川静『常用字解』)。
戦争をしない日本を選ぶために、18歳の君、ーー舞え!


 
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