2016年04月

神の一手を目指して~AIワールド前夜に~

囲碁の井山裕太九段(26歳)が七大タイトル制覇を成し遂げた。囲碁界では先日、人工知能(AI)が世界トップ棋士と対戦勝利して話題になったばかり。きょうはアマチュア囲碁愛好家として、このニュースを掘り下げてみたい。

囲碁を知っていただくために、歴史とルールを説明する。
いわゆるボードゲームの中でも最古の歴史を持つ囲碁。中国発祥といわれ、論語・孟子に記載がある。日本へは奈良時代に伝来。正倉院には当時の碁盤が収められており、枕草子や源氏物語にも登場する。戦国時代は武士のたしなみとされ、江戸時代には家元制度ができ、庶民にも徐々に広まっていった。
明治維新で家元制度が崩壊して囲碁界は混乱するが、関東大震災後の統一気運で日本棋院が設立(1923)された。関西棋院の独立を経て、現在は東京・市ヶ谷の本院を中心に両院合わせて約400人のプロがしのぎを削っている。最高位が九段で、タイトルの付いた競技戦が大きく7つある。棋聖・名人・本因坊などで、今回井山さんが獲得したのは十段。全タイトル同時独占は大変な偉業だ。

囲碁の特長は何といっても、ルールが単純なことだ。黒番、白番の双方が盤上で向き合い、黒白交互に石を置いていき、最終的に自分の地(○○目=モクと数える)の多い方が勝つ”陣取りゲーム”。相手の石を囲むと取り上げ、アゲハマとして地の計算時に相手の陣地を埋めるのに使う。ほかには、劫(コウ)という同じ形ができる場所で、繰り返し着手に関する禁止事項があるぐらい。

最初は単純すぎるルールゆえ、どこにどう打っていいかわからないのが難点で、とっつきづらさは否めない。それで日常用語にもなっている「定石=じょうせき」がある。この局面ではこう打てば、互角の戦いができるとされる手順がたくさんあり、初心者はまず定石を学ぶ。
しかし、碁の奥深さはその先にある。川柳で「定石を 覚えて 二目 弱くなり」というのがある。定石を知らないと上手くならないのに、定石通りに打っても上達の壁がある。理由は、碁には”無限”の手があることだろう。公式盤は19×19=361の着手点がある。盤面状態の種類はチェスで10の50乗、将棋で10の71乗に対し、囲碁では10の160乗と見積もられている。
部分的には最良の一手が全体から見ればかえってよくないという矛盾が生じる。だから状況に応じて臨機応変な手を求められるのだ。まさに、人生そのものではないか。その柔軟性を発揮するために、右利きの井山七冠は、囲碁対局時は左手で打つ。脳から出る神経は頸部で交叉しており、論理脳の左脳でなく、感情脳の右脳を刺激するためだ。(ちなみに左利きの僕は囲碁も左手で打つが、パソコンでのネット碁は右手でマウスクリック)。

コンピュータ『ディープ・ブルー』がチェスの世界チャンピオンを破ったのは20年前。4年前には第1回将棋電王戦でコンピュータ『ボンクラ―ズ』が米長邦雄・日本将棋連盟会長に勝利、その後もプロ棋士に勝ち続けた。
ただ、述べたように囲碁では必要な計算量の桁(けた)が違う。トッププロに追いつくのはまだ先とみられていた。

ところが今年、Google 社の『AlphaGo』が韓国の世界最強棋士・李世ドルに4勝1敗で勝ち越した。予想を上回る早期に勝てた理由は、コンピュータプログラムがこれまでとは異なる原理で作動することだ。それが[ディープ・ラーニング](D.L)と呼ばれる人工知能(AI)による自己学習。
人間の大脳は層構造(コラム)になっていて、複雑なネットワークを通じて情報をやりとりし、記憶された情報を基にその都度最適行動を選択するシステムだ。D.Lでは、この仕組みを模倣したという。僕流に噛み砕けば、以前のコンピュータが”木を見て森を見ず”式のブルドーザーだったのが、D.Lでは”1を聞いて10を知る”式に洗練されたわけだ。疲れ知らずの計算力に人間の直観力を加味すれば、まさに鬼に金棒。
実際、D.Lはいろいろな場面で応用されている。自動車の完全自動運転研究もそのひとつだし、医療でも最近目を見張るニュースが届いた。脊髄損傷で手足のまひした患者が頭(こころ)で思い描いた動きをAIを備えた装置が読み取り、電極を埋め込んだ手を動かすことに成功した!思わず、バビル二世のサイコキネシスを思い出した。

以前、ある友人に「趣味は囲碁」と伝えると、辛気臭い年寄りの慰み、みたいな表情をされたことがある。いまや鉄道や歴史好きの女性(”鉄女”や”歴女”)に交じって、囲碁好き女性のことを”囲碁ガール”とよぶそうな。囲碁人口の減少するかたわら、碁好きの若者が増えたきっかけは、週刊ジャンプの漫画『ヒカルの碁』(ほったゆみ原作)だろう。作品は主人公の少年が天才囲碁棋士の霊に導かれ、”神の一手”を目指す成長物語として描かれる。
ぼやぼや生きている”昭和好き”の僕がしょぼくれるころにはAIだらけの社会になっていることだろう。そのとき、神の一手を打つのはやはり、コンピュータでなく井山七冠のような「人間」であってほしい。

僕は17年監禁された~戸籍のない人生~

埼玉県朝霞市の女子中学生誘拐監禁事件。2年ものあいだ、少女を自室に閉じ込めたのは、アニメ・ゲーム好きの千葉大工学部生の男だった。このニュースを聞いて、16年前の新潟少女監禁事件を思い出した方も多いのではないか。あのときは9歳の女子が9年2か月にわたって監禁されたので、衝撃を持って報道に接した記憶がある。実は、一宮むすび心療内科に受診する男性も17年間“監禁”された過去を持つ。今日は本人の了解を得て、ありのままを記す。[固有名詞は仮名]。

室田居留男さん(23歳)。昨年9月、「眠れない」と訴えて、当院を訪れた。もちろん、「じゃあ、睡眠薬ね」で返すはずもないが、治療のためこれまでのいきさつを聴いて耳を疑った。それほど常識では推し量れない人生を送ってきたのだ。彼が話した内容をまとめると――
もっとも古い記憶は2、3歳頃のもの。両親?との食卓を囲む風景だ。次の記憶は4歳頃。知らない家に預けられ、「おじさん」との2人暮らしが始まった。
ある年の8月某日。おじから突然言われた。「お前は今日で5歳だ」。下の名前はおじから教わったが、名字は知らされなかった。後に脱出したとき、家の表札を見てわかったのが室田姓だ。外出しようとすると烈火のごとく怒られた。一戸建ての2階部屋に幽閉されて育ち、小学校も通わなかった。
歌手のつのだひろに似た長身のおじは自宅でコンピューター関係の仕事をしていたらしく、1階居間にはパソコンが並び、時々関係先の男女が家を訪ねてきた。ずっと2階にいたので、気づかれたり不審に思われたりといったことはなかった。勉強はおじから渡された参考書やドリルで独学した。話し方はおじの目を盗んで観たTVニュースで学んだ。実際、診察でのやり取りに全く齟齬(そご)はない。

なぜ、逃げなかったのか?ぶしつけな問いかけに、ゆっくり答えてくれた。
「暴力はなかったし、食事は出してくれました。なにより、物心ついてからずっと住んでいたようなもので、違和感を感じなかったのかもしれません」。
そんな室田さんだが、一昨年の夏、”誕生日”を前に思い切って家を出た。おじの外出中に、おじの財布から少しずつ抜き取って貯めた金を手に脱出。野宿放浪し、ただひたすら歩いた。熱中症にかかったのだろう、愛知県のある街のショッピングセンターで気を失った。行き倒れとして入院。治療を受け、警察・役所の職員に話をしたときは「そんなことがありうるのか」と驚かれた。その後、生活保護を受けながら、受け皿としてNPO法人を紹介され、現在は法人事務所に仮住まいの日々だ。
もう一回、ぶしつけな質問を投げかけた。なぜ、逃げたんですか?
「夜中にテレビで幼児虐待のニュースをみました。家に閉じ込められ、自分と境遇が似てるなって。別の日に違う虐待ニュースをみて、このままの生活はおかしい、ここにいたら危ないと、、、」。
だから、今回の埼玉監禁事件で、(最近は鍵の外せる部屋にいた)少女は逃げ出すチャンスはあっただろう、といぶかる世間にたいし、室田さんはこう言い切る。「2年間もずっと”縛られて”きて、急に放される瞬間があったとしても、逃げられない。その気持ちは痛いほどわかります。マインド・コントロール?まさにそれです」。

「おじ」が室田さんを監禁した目的はわからない。ひょっとしたら、世間には言えない仕事をしていて、その後継として彼を育てていたのかもしれないが、推測の域を出ない。はっきりしているのは、本名もわからないひとりの人生が、そのかけがえのない時間が失われたという事実だ。

最後にひとつ。室田さんには戸籍がない。両親も本名もわからないのだから当然といえば当然で、だとしたら救済措置が取られるべきだろう。[いま、行政手続き中という]。わが国の無国籍者は公式には533人(法務省2015年)だが、それは氷山の一角で実際は1万人規模だ、という見方もある。室田さんのような人がカウントに入っていないのだから、ありうる数字だ。

つらい内容ばかり書き連ねてきた。いっぽうで良いことがある。室田さんは定期的に当院を受診し続けてくれ、不眠は改善し、薬は不要になった。仕事もアルバイトを続けている。なにより表情に生き生きとしたものがある。
希望を捨てないこと――17年間監禁されても、こころの扉は閉じなかった彼にエールを贈ってあげてください。





facebook の皆様にお知らせ

一宮むすび心療内科2周年も無事迎えることができました。4月8日は研修で外来休診となり、患者さんにはご迷惑をおかけしました。ついでに?パソコンも調子を崩し、このブログとfacebookの連携がうまくいかなくなり、今接続しなおしました。なので、今回は純粋なお知らせブログです。今後とも、当院と当ブログをよろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます。院長軽薄(誤植訂正。軽薄に二重線を引き、「敬白」)。

四季をむすんで、ふたまわり

桜流しの雨も止み、うららかな4月8日の朝を迎えた。きょうで一宮むすび心療内科は開業2周年。振り返ると、あっという間のことだったように感じる。この院長Blogも数えて123本目とはビックリ本(ポン)。前々回のコラムで書いたように、今年はいよいよイチニノサン!でジャンプする年と願いたく候。[本日は外来休診し、スタッフ研修に充てるため、関係の皆様にはよろしくお願いいたします]

さて、日本ほど季節の移り変わりが魅力的な国も少ないだろう。この風土こそが国民性を培っているという考えには思わず共感してしまう。
お釈迦様の生誕日とされる4月8日は、四季を分けた二十四節気でいう「清明」と呼ばれる。
「すべてのものが清らかで生き生きとするころのこと。若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節」(日本の七十二候を楽しむー旧暦のある暮らしー東邦出版)
なんとすがすがしい言い方だろう。僕などは、清明君という名前の知り合い、いたっけな?などと脱線してしまうのだが、、。そんな俗な人間でも、モノゴトの節目には襟を正すべきと考えている。それで昨日、雨の中クリニックから徒歩8分の真清田(ますみだ)神社に出掛けた。

この地は古くから木曽川の灌漑用水で育まれてきた。ゆえに、真に清く澄んだ水の田というのが神社名の由来で、その歴史は平安時代にさかのぼる。御本尊は天照大御神(アマテラスオオミノカミ)の孫神・天火明命(アメノホアカリノミコト)。神社の宝物である五鈴鏡が一宮市の市章になっている。
由緒ある神社で、行事も有名な七夕祭り[アーカイブ2015.7.26『還暦七夕・一宮の法則』をお読み下さい]を始め、春秋にわたって繰り広げられる。そして、4月上旬に例大祭として開かれるのが桃花祭。桃の枝には霊力が宿るとされ、神社南面の楼門わきに立つ桃の木はいまや花盛りだ。

清明心とは神道の核心を衝いた言葉。大陸から日本への仏教伝来は6世紀だが、有史以来、八百万(やおよろず)の神を信じてきた我ら祖先は、道端の草花にも頭(こうべ)を垂れる心を持っていた。明き心とは赤き心のことで、赤ん坊の赤[曇りのない純粋無垢]と同語源。[この反対が黒き=暗き心]。
江戸時代、『古事記伝』を著した本居宣長は、それを「やまとごころ」と表現し、「もののあはれ」こそ日本人の心の通底音と見定めた。彼は思想家であると同時に市井の医師でもあった。

さあ、次の一年に向けて歩き出そう。日々の事どもはまた、このコラムで紡いでいきたい。結び目には四季の薫りが漂うように。






 

今日は誰の日?

ホケン[ho-ke-n]と聞いて漢字を思い浮かべる時、あなたは保険派だろうか、それとも保健派だろうか?
Googleでネタ探しをする時によく使う「今日は何の日?」を見てみると、4月7日は世界保健デーと出てくる。WHO(World Health Organization: 世界保健機関)が戦後定めた記念日。そこで今日は保健派の人のためのお話をしよう。

保健室という言葉には独特の響きがある。まだ木造校舎だった小学生時代。保健室でのツベルクリン注射は鮮明に憶えている。あの濃紺の、鉛筆の太さの注射器を打たれた後のずんとくる痛み。
2年の時、板張り廊下で鵜飼君と相撲を取ってケガをした。保健室で赤チンを塗ってくれた大宮先生の優しい顔がクレゾール臭とともに脳裏に浮かぶ。大宮先生のことを皆、養護の先生と呼んでいた。医者になってから知ったのだが、保健室で働く“先生”は教師でなく、保健師なのだ。
ホケンシ、と聞いても多くの人はピンと来ないのではないだろうか? 実は保健師は、助産師と並んで看護師の資格がないとなれない国家資格。保健師助産師看護師法という長い名称の法律で定められていて、大きく行政保健師、学校保健師、産業保健師に大別される。学校に勤務する保健師が養護の先生というわけだ。

以前産業医の話を書いた。(アーカイブ2014.7.20『会社のお医者さん』)。目まぐるしくコンピューター技術の進む現代日本。テクノストレスに悩む多くの従業員を抱える会社にとって、いまや産業医は必須の職業といえる。ただし、その際忘れてはならないのが産業保健師の存在だ。
躁うつの波のためしょっちゅう休みを繰り返す社員、発達障害のこだわりから周囲と壁ができてトラブルメーカーになってしまう社員、、。そうした人たちを産業医だけで対応する事は至難の技だ。そこに助太刀してくれるのが保健師さん。時間を割いて丁寧に話を聴き、生活記録をチェックしながらひとりひとりに合うようにアドバイスする。医療の必要なレベルと判断すれば産業医に相談する頼もしい存在。
僕がクリニック休診日に通うT社でも大和撫子(ヤマトナデシコ)たちが働く。3,000人規模の本社健康推進センターで看護師と別個に配置されており、会社が社員の健康管理に気を配っていることが分かる(注文を付ければ、専門職である彼女たちの待遇はもっと上げてもバチは当たらないだろう)。
厳しい勤務条件をモノともせず、TさんとKさんは今日も社員の面談に奔走している。こちらも頭の回転をトップギアに入れて仕事せざるを得ない働きぶりだ。

WHO(世界保健機関)の設立時(1948年)の憲章前文に健康が定義されている。
「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病や病弱さのない事ではない」
さらに1999年総会ではこの文章の前半に「霊的(スピリチュアル)」が足された。
これはまさに僕の信奉する心身医学の目指すところと完全に重なっている。

保健とは文字通り健康を保つこと。これは誰(WHO)にとっても、大切な“キホンのキ”だろう。
 
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