2016年03月

京都参禅記〜打たれて結構、いやもう一歩進んで打ってもらおう〜

諸用で京都に出かけた。御苑・近衛邸跡に咲く枝垂れ桜の見事な枝ぶりにしばし魅せられた。その後、ある思いを持って座禅を体験した。きょうはその報告コラム。

京都駅からJR奈良線でひと駅にある東福寺。鎌倉時代、栄西が伝えた臨済宗の大本山。 その塔頭寺院のひとつ、勝林寺で毎日開かれているのが坐禅体験だ。企業トップたちの禅への想いをビジネス雑誌が特集していたが、僕自身座禅には小学校時代から思い入れがある。

『巨人の星』(梶原一騎原作、川崎のぼる画)。おそらく僕と同世代なら説明不要だが、そうでない人達のために 解説を。
ーープロ野球巨人 の名三塁手となるはずだった星一徹は太平洋戦争に召集され、肩を壊して帰国し巨人を追われた。自分の夢を息子の飛雄馬に託すべく、幼少時からスパルタ教育を施す。頑固親父に反発しつつも、飛雄馬はサウスポー投手として栄光の巨人軍に入団。しかし、小柄な体格から来る球質の軽さをライバルに見抜かれ、左門豊作にホームランを打たれて二軍落ちした。失踪した飛雄馬の向かったのが鎌倉の禅寺だった。川上監督がスランプ時に試みた座禅を真似て活路を求めたのだった、、、。

時は下り平成の世、場所は鎌倉ではないが、『巨人の星』に多大なる影響を受けた僕は、京都の禅寺で坐禅体験をしたくなった。日々の診療に益するなんらかのヒントがあればという下心もあった。
四百六十年の歴史を持つ勝林寺の畳敷に50人の老若男女が集った。小学生もいる。市川海老蔵似の住持 が長さ1mを超える手のひら幅の木板(警策)を両手に持ち、結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる足組みをして座る参禅者の前を何度も往復する。
これまで、心が乱れてふらついた時に警策を打たれると思っていたが、実際は自分が打って欲しい時に 住持にお辞儀をすると、両肩を叩いてくれる。
体験なので15分足を組んだ後5分休憩し、再度15分坐禅するというプログラム。僕は住持が一回通り過ぎて二回目の時にお辞儀をした。「ピシッ」 。痛いと言うより、ジンとくる刺激だった。昼食後の眠気と、結跏趺坐の姿勢からくる股関節痛がいっぺんに吹き飛んだ。

『巨人の星』 に戻ろうーー鎌倉の禅寺で脚を組む飛雄馬に容赦なく坊主の警策が襲いかかる。そこへ通りかかる住持が語りかけた。
「打たれると痛い。これは理の当然じゃな。しかし打たれまいとすれば五体に硬さが出てよけいガタガタする」「コチコチじゃ。その若さでどうしてそうしゃちこ張りなさる。ほっほほほ」 
これを聞いた飛雄馬は腹を立てる。
「クソッ、参禅してまで球場と同じ笑い物か。勝手にしろっ。こんな負け犬の逃亡者などいくらでも打ち据えろっ」 
その後、警策の音は鳴りをひそめた。住持が言う。
「打たれまい打たれまいと凝り固まった姿勢ほどもろいものはない。打たれて結構、いやもう一歩進んで打ってもらおう。この心境を得た時むずかしく禅などといわんでも悩み苦しむ人生の森の迷路におのずと道も開けると思うのじゃがいかがかのう」 

これを僕が読んだのは小学3年生の頃だった。文字通り背中に電気が走った。
もちろん、哲学的なことを考えていたわけではない。だが、それは自分の人生の生き方の指針となるべき一大事と言えた。 
この禅寺での啓示を元に、飛雄馬は大リーグボール1号を発明する。
勝林寺での坐禅体験で一宮むすび心療内科院長がどう変わるのか? 答は患者さんに訊くしかあるまい。
 

桜三月三歩道

桜が開花した。日本人にとって花と言えば桜、と決まっているのはなぜか?と考えた時、多くの人はその咲き様に理由を求めるのではないか。三寒四温で蕾を膨らませたかと思うと一気に花弁を広げ、半月も経たずに散ってしまう。その潔さに凜と張りつめた武士道の世界を想起させる。
「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」 
「武士道とは死ぬ事と見つけたり」 
決定的なのは春が別れの季節であるということだ。正月とは別に、弥生が年度区切りとなるのに違和感を持たないのは、ひとえに桜の存在ゆえといってよいだろう。
我が国では、自殺者の最多月が3月である事実も指摘しておかなければならない。今月は自殺防止強化月間であり、3月25日は俳優・古尾谷雅人が45歳で自裁した命日ーー

映画『ヒポクラテスたち』(大森一樹監督1980)。医学部出身の大森監督が学生時代を振り返り製作した青春グラフィティ。医聖ヒポクラテスはギリシャ時代、人間を4つの体液で性格分類した事で知られる。そのひとつ、黒胆汁優位の人間はメランコリー(憂鬱)気質で神経質な人間を指す。
『ヒポクラテスたち』の主人公荻野愛作を演じたのが古尾谷だった。荻野はいわば黒胆汁の要素を持つ医学部6年生。心を病んで卒業できず精神科に入院する。柄本明や内藤剛志ら実力派が脇を固め、キャンディーズ引退後の伊藤蘭も同級生役で出演している。全共闘華やかなりし政治の季節に挫折した生真面目な青年を古尾谷は好演しているが、実生活でも似たような経過をたどった
幼少時に両親が離婚し、父と継母の下で育った古尾谷は高卒後、靴メーカーで2年働いたあと劇団に入る。松田優作を敬愛しており、『ヒポクラテスたち』が実質的デビュー作。以後演技派俳優としての道を歩む。僕の故郷一宮を舞台にした『宇宙の法則』(井筒和幸監督)でも主人公の機織り職を演じている。(アーカイブ『還暦七夕・一宮の法則2015.7.26』をお読み下さい)。妻の女優、鹿沼絵里さんの手記によると、1990年代に入ってトレンディドラマ全盛となっても、古尾谷は硬派役にこだわったため出演が減り、億単位の住宅ローンが残った。
もともと手洗い強迫のあった古尾谷。死の1年前に父が亡くなり、継母との相続問題も出て、昼夜逆転、酒浸りの生活が続いたという。こだわり派が選んだ“死に時”が桜咲く春だったーー

身長188㎝の古尾谷雅人の翳りある横顔を思い描く時、僕の脳裏をよぎる幾つもの「顔」がある。
精神科・心療内科を長年続けてきて、何人かの患者さんが自死をされた。当然事情はそれぞれだが、この時期にそのことを想い出すと、なんとも言えぬ悔恨の情が湧き起こる。
違う接し方をしていれば、彼/彼女は命を絶たなかったのではないかーー
とてつもなく重い問いかけを十字架のように背負って、それでも治療は続けなければならない……

井上陽水に『桜三月散歩道』(作詞長谷邦夫、作曲本人)という名曲がある。
♪ ねえ君  二人でどこへ行こうと勝手なんだが  川のある土地へ行きたいと思っていたのさ 町へ行けば 花がない…♪
3番ではこう歌われる。 ♪ …町へ行けば人が死ぬ …今は君だけ想って生きよう  だって人が狂い始めるのは  だって狂った桜が散るのは三月 ♪
散歩は、メンタル面の回復には欠かせない治療手段と思っている。辛さ、悲しさを背負いながら、とにかく歩き始めること。最初の一歩[ホップ]が次の二歩目[ステップ]につながり、それが三歩[ジャンプ]に発展していく…どんなに道が険しくとも、それしか他に方途(みち)は無い。
桜舞い散る道で、新たなる自分と出会うために。




 

続・良き眠りのために

3月18日は春の睡眠の日(秋は9月3日)。去年の当欄では睡眠薬について、とくにベンゾジアゼピン(BZ)系薬の危険性について解説した。きょうは睡眠にまつわるいろいろなお話。

なぜ人は眠るのか? 考えてみると、睡眠とは不思議な現象である。
むかし、春日三球・照代という夫婦漫才師がいた。定番ネタ「地下鉄の電車はどっから入れたんでしょうねえ?それ考えてっと、一晩中眠れなくなっちゃう」で思い出し笑いできる方は僕と同じか上の世代。でもどうして夜寝なきゃいけないんだろう、、。
地球が誕生して46億年。1日の長さ、つまり自転周期は24時間だが、これは古今東西一定なわけではなく、段々長くなっているのだ。理由は主として、衛星である月が1年に3㎝ずつ地球から遠ざかる「潮汐作用」によるもので、地球誕生のころ1日はわずか5時間程度だったという。6億年前でようやく22時間に伸びる。
その後、魚類が出現する。さらに進化した生物は陸に上がり、内部環境(=細胞)を外部環境に合わせないといけなくなった。昼と夜に合わせ生存するために遺伝子が対応した結果、体内時計が発達した。その際、ヒトは1日を25時間にセットしたため、毎朝太陽光を浴びて体内時計をリセットしているのだ。
ヒトの細胞60兆個すべてに遺伝子は組み込まれており、それらを管理する”親玉”細胞が眼球奥の視交叉上核(しこうさじょうかく)にある。そこからメラトニンというホルモンの一種が分泌され、昼行性のリズムが生まれる。
しかし、夜の地球を撮影した人工衛星画像をご覧の方には一目瞭然なように、現代都市の夜は昼と同じだ。24時間ネット社会で睡眠リズム障害に悩む人が増えるのは自然の成行きといえる。
さいわい、メラトニン受容体の刺激薬(ロゼレム)が発売され、寝坊助の学生や睡眠リズムの乱れたお年寄り(年を取ると眠りは浅くなる)に処方させてもらっている。

1年前にも書いたように、患者さんに最も多い誤解が「最近夢ばかり見てるんです。寝れていないので睡眠薬下さい」というもの。毎日のようにこの質問が診察室で繰り返されるので、ここで再度説明したい。(アーカイブ2015.3.18.「良き眠りのために」参照)
睡眠は単なる休息ではない。むしろ脳のある部分は睡眠中、覚醒時よりも血流が豊富なのだ。睡眠脳波を測定すると5段階に分かれる。入眠するとまず深い脳波となり徐々に浅くなってREM睡眠に入る。寝ているのに眼球の動くこの時間に夢を見る。その後再度深い睡眠となり、このサイクルを一晩に4~6回は繰り返す。REM睡眠時に目覚めると夢を覚えている。この時期は副交感神経が優位なので、喘息発作は起こしやすいが、夢見のときに起きたからと言って害はない。早朝勃起もこの時期に起こる。なので、”エッチ度”とは無関係デス。もちろん薬も要りません。
研究では、進化した動物ほどREM睡眠は多い。赤ん坊のREM睡眠は半分ほど。一体どんな夢を見ているのか興味はあるが、夢には覚醒時の情報処理の役割があるようだ。
フロイトは精神分析理論で性的欲動(リビドー)を基に、夢分析の分野を打ち立てた。その弟子のユングは人類に共通の無意識があると仮定して理論を構築していった。夢はこれからも医学・科学の分析対象となっていくのだろう。

僕の盟友の医師に名市大睡眠医療センター長の中山明峰先生がいる。中日新聞の毎週火曜医療面で「ぐっすりGood Sleep」というコラムを担当している。耳鼻科が専門の明峰先生は最新コラムで、メニエール病と睡眠時無呼吸の関係を世界で初めて報告したことを載せていた。
いまや不眠と高血圧、糖尿病など生活習慣病との関連も定説になっている。睡眠というありふれた現象の奥に深い洞窟が広がっている。
イルカは脳の半分だけ眠りながら泳ぐ。(全部寝たら溺れてしまう)。なので、ウインクしているイルカを見つけたら、それは寝ていると思ってよい。そんなのイルカって?寝ながら考えてみてください。

文明災と喪の作業

「あの日」も金曜日だった。平成23年3月11日午後2時46分、上林記念病院B棟4階にいた僕は突然、めまいに襲われた。吐き気を伴ったので一瞬、小脳梗塞を疑ったが、原因はすぐに判ったーーあれからちょうど5年。東日本大震災という未曾有の災害に遭った人たちの「喪の作業」が続いている。

災という漢字は冠の「巛(せん)」と「火」の組合わせから成る。巛は川の水が流木などでせき止められて溢れる様子を表し、もともと水害、洪水を意味する。まさしく、千年に一度の地震による大津波[巛]と、東京電力福島第一原子力発電所(福島原発)の炉心溶融[メルトダウン]による放射性物質拡散[火]の両者を示すのに、災ほど的確な字は無い。
哲学者の梅原猛氏は福島原発事故のことを文明災と呼んだ。飛行機や原発など文明の利器は、人類をより遠くへより速く運び、より多くの財を生産するのに役立って来た。反対に、それら事故の損害が甚大なのを想像し、主張できる者は多くない。人は見たくないものには目をつむる動物でもある。
物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやって来る」という名言で知られる。実際に寺田が警告したのは、文明が発達すればするほど、天災の被害は大きくなるという逆説だ。シベリアやサハラ砂漠の真ん中でマグニチュード9の地震が起きても震災にはならない。
英語のcivilizationを文明と訳したのは福沢諭吉だが、その語源はギリシャ語の都市化から来ている。人が集まって都市が出来れば、その“反作用”として文明災が生じるのはやむを得ない事とはいえ、福島原発事故を経験してなお、仕方がなかったとは言えない。

災害のあとには復興が求められる。なかでも被災者の心の傷を癒やすことは文明災の大きな課題だ。
人は喪失体験によって怒りや悲しみなどの感情を呼び覚まされる。それは体が傷ついた時に痛みを感じるのと同質の働きだ。いわば警告信号で、長期に続くと弊害(=うつ状態)が表れる。それを緩和するのが喪の作業(モーニングワーク)だ。
精神分析医のフロイトが提唱した喪の作業。悲しみを表すことを厭わず、泣きたい時には涙する。これは共同体で死者を弔うため喪服で生身を隠し、ある期間蟄居(ちっきょ)する慣習と対(つい)の関係で、コインの裏表になっている、と僕は考える。
服喪習慣は、ラグビー五郎丸選手が祈りポーズで示したルーティーンワークの典型と言ってよい。地位や身分に関係なく、すべてを黒(=無)に統一してメンバーの動揺を抑え、共同体の損失を最小限にする古人の智恵。
一方の喪の作業では、感情を表出してカタルシスを得る事で、溜まった悲しみ、ストレスを吐き出し、喪失体験による心の傷を小さくするのが目的だ。

震災後5年を経ても、17万人の被災者が避難生活を強いられ、2,561人の住民が行方不明のままだ。福島原発周辺の帰還困難地域でも、放射能汚染した土に眠る方々が見つかるのを待っている。
南相馬市の上野敬幸さんは両親と子どもふたりを亡くし、いまだ見つからない長男を捜し続ける。大津波に流されず残った一本松の前で、テレビのインタビューに答える作業着姿を観て、涙がこぼれた。上野さんにとって「喪の作業」は現在進行形だ。





 

見ザル言わザル聞かザル

暖かな桃の節句となった。申(サル)年の3月3日と掛けて、日光東照宮の三猿と解くーーこころは、「見ざる言わざる聞かざる」で、耳の日には”聞か猿”がお似合いです。ーー

小泉八雲の短編集『怪談』の代表作「耳なし芳一」。中3の夏休み、英語の宿題で読まされた記憶がある。
盲目の琵琶法師・芳一が、壇ノ浦に消えた平家武士の怨霊にたぶらかされ、安徳天皇の墓前で琵琶の弾き語りをさせられる。案じた和尚は小僧に命じ、芳一の体中に般若心経を書き込ませる。経文があると相手に見えないのだが、耳だけ書き忘れたため、怨霊にさとられて耳介をちぎられてしまう話。
この 怪談、題名から勘違いしそうではあるが、芳一は耳が聴こえないのではなく、目が見えないのだ。それはさて置き、見ることと聴く事は、動物にとって外界の情報把握の中核となる感覚だ。そこがやられれば、生き延びる術を失いかねない。
一昨年、現代のベートーヴェンと話題を呼んだ佐村河内守氏は、そこを逆手に取った。全聾者のフリをして「心の中から湧き上がった」旋律を交響曲に仕立て上げる異能の人に成りすました。黒子(ゴーストライター)として作曲家の新垣隆氏を利用し、メディアの寵児となるや、新垣氏の良心によって野望はついえた。

人間を一個の機械と見立ててみよう。眼や耳など感覚器官から情報を入力し、脳というコンピューターで演算して出力する。具体的には筋肉を使った運動 が出力にあたる。運動には発声も含まれる。
当院に通う小江賀伝三さん(33歳)はある日突然、声が出なくなった。妻が自分に毒を盛るという妄想が出たあとの事だった。すったもんだの挙句に離婚 となり、子供もないので、ひと段落すれば症状は回復すると家族も思っていた。
ところが 、体調は戻り気分も安定して妄想のモの字も無くなったのに、なぜか声が出ないのだ。耳鼻科での精査は異常なし。薬物療法や丁寧に話を聴く精神療法は無効。ニューロフィードバックという脳波に直接アプローチする治療を始めると調子は上向いた(少なくとも本人はそう感じている)。
残るは声のみ。診察は筆談で行う。仕事を休んでいるので、このままだと本人には不利益な状態が続く。時折、器質的に異常のないのに目が見えなくなったり耳が聞こえなくなる人がいる(転換性障害と呼ぶ)。たいていの場合、疾病利得といってその方が本人に利益をもたらす(家族に心配してもらいたい、など)。
しかし、小江賀さんの場合はどう見ても当てはまらず、しかも声を除けば元気そのものなのだ。気掛かりがあるとすれば、両親との交流に乏しい点だろうか。確かに、ひとの話に耳を傾けない雰囲気はある。

日本人論一般にギロンを飛躍させるのは気がひけるものの、「長いものには巻かれろ」「出る杭は打たれる」などのことわざを 豊富に持つ日本語を駆使する脳味噌の構造、という問題は僕にとって関心の的とならざるを得ない。
小江賀さんの快癒には東照宮まで出掛け、三猿を拝みながら泉下の左甚五郎さんに お伺いを立てるしか無いのだろうか。
ギャラリー