2016年01月

おむすびの日

きょう全国で50万人以上の若者が大学入試センター試験に取り組んだ。エールを送るとともに、彼らには「1・17」が「おむすびの日」であることを伝えておきたい。

21年前の1月17日午前5時46分、阪神・淡路大地震が起き、6400人余の命を奪った。30万人以上が被災した大規模災害。冬の被災地で人々を助けた原動力の一つがボランティアによる炊き出しや援助だった。
寒さに縮む体に一杯の温かいご飯がどれほどありがたいかは、経験者でないとわからないだろう。
コメ関連企業とJAで発足した「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が今世紀に入ってから、阪神・淡路大震災の日を 「おむすびの日」に設定した。
お握りでなく、お結びの語を選んだところに協議会の意図は見て取れる。2011年、未曾有の被害を生じた東北大震災では「絆」が話題となったが、地震列島に住まうわれら日本人はその16年前から「結」をキーワードにしていたのだ。一宮むすび心療内科の名前を考える時、きずな心療内科も候補にしていた。 きずなが傷(きず)を連想させるかなあと廃案にした経緯がある。
もう一つは、わが敬愛する向田邦子がおにぎりと言わず「おむすび」を使っていたことも理由だ。
むすびの語源として「むす」 が産まれると同じという有力な説も名付けで調べた時に学んだ。アサリの酒蒸しの蒸すとも同じだ。あの蒸気がふつふつと生じるさまを思い起こしてほしい。
起源は古事記や日本書紀に遡ることができる。 即位前の神武天皇が熊野から大和国に侵攻する場面で 夢の中に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)として登場する。

数日前に診察したAさんは以前「御巣鷹のPTSDアーカイブ2014.8.12」で紹介した40代の男性だ。親に捨てられ、ひとり暮らしの神戸で21年前、阪神・淡路大震災に遭遇し、心の傷を負った。その後ビルの工事現場で働いていた時に転落し奇跡的に助かったが、以後フラッシュバックなどに悩まされる。
毎年正月は調子を崩す。無意識に当時のことを思い出すからだ。今年も大震災の当日に産まれた青年の特集をテレビで観て、フラッシュバックを再度体験した。前の病院で最初に診た時には自分の名前すらわからない状態だったので、それと比べればよく頑張っていると思う。
おそらく、国内にはAさんと同じように心の病と向き合い続けている人が多くいるに違いない。
われら小さなクリニックではあるが、Aさんのように絆を求めて訪れる人たちの“結び目”になれたらと思い、ポスト大震災の日々を歩んでいこうと思う。
 

続・人に成ることの難しさ

きょうは「成人の日」。前日に学区主催の成人式があり、昨年同様町会役員として手伝いをした。(アーカイブ2015.1.11.をぜひご覧ください)。小学校単位なので出席者は約100人。式典は新成人による司会、振り袖女性のピアノ伴奏での君が代斉唱など、整然と進行したが、日本列島全体を見渡してみるとそうばかりではないようだ。

産経新聞ネット版によると、茨城県水戸市の成人式で10日、焼酎を飲んで参加した男性らが議事進行を妨害。1900人いた会場のスピーカーを壊して暴れ回り、県警察の出動する騒ぎとなった。沖縄ではやはり新成人がバイク、車で暴走行為をし、8人が逮捕された。こうした光景は毎年繰り返され、平成の風物詩となった感がある。
なぜこうしたことが後を絶たないのか?成人とは何なのか?当欄読者にも考えてほしいのだが、少し思うところを綴ってみよう。

新人類と呼ばれた僕らの子ども時代、キーワードは”努力と根性”だった。中学3年の時、校庭に作られた銅像の名称は「根性の像」。実際はモヤイ像顔の男が直立してうつむき、もの思いにふける印象しか持てない彫刻だった。スポ根ブームの洗礼を受け、うさぎ跳びで腰を痛めた世代。体罰という発想すら乏しかった。
その反動か、4、5歳下の年代は校内暴力が国じゅうを席捲した。この世情を反映したのが、TVドラマ『3年B組金八先生』(原作・小山内美江子)だった。第2シリーズ(1980~1981)では、直江喜一と沖田浩之演じる中学生2人の乱闘事件の記憶が生々しい。直江演じる加藤優が校内で警察に手錠を掛けられる場面。セリフなし、中島みゆきの挿入歌『世情』の流れる中、加藤の連行される様子がスローモーションで映し出される。
その後、「腐ったミカンは排除するしかない」と言う教頭に、金八先生役の武田鉄矢が力の限り叫ぶ。
「我々はミカンや機械を作ってるんじゃないんです。人間を作ってるんです!人間の触れ合いの中で我々は生きてるんです!!」。――思い出すたび目頭が熱くなる。
このころ、俳優・穂積隆信の娘が非行に走り、家族崩壊していくさまを描いた『積み木くずし』がティーンエイジャーのすさんだ心を代弁し、ベストセラーになった。結局、覚せい剤に手を出した娘は亡くなった。若者が荒れた80年代――

この時代を象徴するロック歌手が、尾崎豊(1965-1992)だ。
防衛庁職員の父と保険外交員の母のあいだに次男として生まれた尾崎は、転校を機にいじめに遭い不登校となった。ギターを弾き始めていじめは収まったものの、生徒会副会長を務めた中学時代、みずから喫煙で停学。青山学院高に進んでもオートバイ事故や大学生との乱闘騒ぎで停学を繰り返し、自主退学した。
そのことを詞にしたことがきっかけで1983年シンガーソングライターとしてデビューした。
♪夜の校舎窓ガラス壊してまわった♪(『卒業』)はその代表曲。校内暴力が蔓延した時代の追い風を受け、若者のカリスマ的存在となる。結婚し子供もできたが、覚せい剤乱用とされる肺水腫で夭逝した。享年26歳。
精神医学的にはボーダーライン心性の強いことが見て取れる。尾崎に会った人はほぼ例外なく真摯でまじめな好青年と評価するが、コンサート中に高さ7mの舞台から飛び降りて骨折するなどハチャメチャなパフォーマンスとの落差が単なる演技だったとは思えない。死の直前、尾崎は世間の評価とのギャップに悩む心うちを吐露している。あえて言えば、80年代日本が尾崎豊を作り出したのだろう。
尾崎を慕う若者の心の奥をたどる取材をしたのが共同通信の先輩記者西山明さんだった。(彼が追いかけた”アダルト・チルドレン”については別の機会に書く)。尾崎の死と前後して日本経済はバブル崩壊を迎える。

時が過ぎ、三島由紀夫が予見した平成ニッポン社会が現れても、成人式の乱痴気騒ぎは続く。尾崎豊の時代と異なるのは、若者たちも二極化してきたような気がする点だ。
社会的、経済的条件に恵まれた若者はいまの社会体制を維持する肯定派に向かい、劣悪環境に苦労する若者は絶望、というより諦観したかのように首をうなだれて生きる。その中で”ヤンキー”と呼ばれるノリの連中が昔同様のパフォーマンスを演じる構図。

分析の結果は後年、歴史が証明することになろう。いずれにしろ今年の参院選から選挙権は18歳以上となり、成年の意味も時代とともに変わっていくだろう。
そうそう、昨年のコラムで取り上げた継野以矢男さん(33)はその後も当院でカウンセリングに通い続けている。上林記念病院のリワークプログラム「ほっぷ」に参加したのもよかった様子で、最近は父の自営する仕事の終礼に顔出しできるようになった。「妥協してもいい」と思えるようになったのは、治療の成果だ。次の診察で訊いてみよう。「おとなになるってどういうことだと思う?」

ようこそ申年

あけましておめでとうございます。平成28年の幕開けです。干支でいえば丙申(ひのえさる)。一宮むすび心療内科はきょう4日が仕事始め。豪華には遠く及ばないながら、門松と飾り餅で患者さんたちをお出迎えしています。(華麗折り紙の猿も待ってるモンキー)。

今年最初の患者Mさんは抗うつ薬がよく効いたと報告してくれ、当方ひと安心。それにしては目元が微妙な感じ、と思ったら「先生、便秘がひどくて何とかしてよ」。
もともと習慣性便秘の中年女性なので、漢方の麻子仁丸(ましにんがん)で通じは“マシ”になったと独りシャレていたのもつかの間、難治性うつ病によく効く三環系抗うつ薬を処方して有効な処までは良かったが、「放っておくと1ヶ月出ないかも」と言われては、変薬せざるを得ない。副作用は少ないものの、データ上有効性のやや劣る四環系に変更した。「神様、症状悪化無く便秘改善して下さい」と祈るのだった。

初診患者さんのトップバッターは20代の男性。「アスペルガーではないか?」が主訴。
最近、このテの質問を携えて来院される方が後を絶たない。最新の精神医学的分類ではASD(自閉症スペクトラム障害)と呼ぶようになった。要は、他人様(ひとさま)との交流に難のある人達を指す。こちらから伝えたことを一言でまとめると、「生活できていれば、大丈夫」。
もちろんそこに不安があるので受診に至るのだが、「イタリアで生まれていたら問題ないぐらいだよ」などと言って慰めることもある。もっとも会社や団体によっては許容範囲の狭い集団があるのも日本人の特徴かもしれない。

終診近くに顔を出したのは某学校の先生。歴史が専門で、網野善彦という偉大な歴史学者(高校の同級生のお父様と大学に入って知った。サイン貰っておくのだった!)をボクと共通の「師」と仰いでいる。その話になると診察時間が“伸び過ぎたラーメン”になってしまうのでいつもは封印しているのだが、今日は先生のお里、山口・下関の話となった。
下関と云えば、河豚。新聞記者時代には高級料亭で食べてみたいと思いつつかなわなかった高級魚。「まあ、フグに当たって死ぬことが無いだけ幸せさ」と負け惜しみを言っていたら、今日の先生の話を聴いてビックリ。地元では河豚は大衆魚。こちらの1、2割の値段で食べられるのだそう。
獲れたて新鮮フグを地元で消費して、東京・築地など全国に出回る水揚げ量を調節して値崩れを防いでいるのだとか。世の中はなんとドライにできていることよ、、、。

というわけで、今年も皆さん、よろしくお願い申し上げます。院長軽薄、いや違った院長敬白

*おまけ*「意馬心猿」:走り回る馬や騒ぎ立てる猿のように、煩悩や情慾、妄念のために心が混乱して落ち着かないことのたとえ。

ギャラリー