2015年11月

続・手袋を探して生きる

小学校時分、登下校の子供達の間で流行っていた遊びがある。「てぶくろの反対は何?」と訊いて「ろくぶて」と答えた瞬間、手背を6回叩くのだ。今でもやる子たちはいるのか?それともこんなことでもいじめ扱いされるのだろうか?押しくらまんじゅうや馬乗りなど身体を使った遊びには、いじめのエスカレートを防いでいた面があると思っている。確かに弱い子が狙われた。一方で、どこまでで止めるのか?という境界を文字通りからだで憶える時代だった。今日は「手袋の日」。

去年の当欄で向田邦子著『手袋を探して生きる』を紹介した(アーカイブ2014.11.23)。20代で血気盛んだった向田さんの人と“なり”がよく伝わる秀逸エッセイだ。あの文章を読んだ多くの人が、自分にとっての手袋とは何かを自問したことだろう。
僕の心に強く残るのは、彼女に人生の転換点を示唆した良き上司がいた事だ。上役風を吹かすことなく、さりげなく食事に誘い、向田邦子という女性の生き方の核心を突いたつぶやきを漏らすーーなかなか出来る芸当ではない。そういった上司に巡り会う運も実力のうち、なのかもしれない。
その向田さんに『ゆでたまご』という文章がある。四百字詰原稿用紙4枚に満たない小品だが、読後感のとてもホカホカする佳作と思う。概要を小欄で紹介したい。

◇小学校四年の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。Iは足だけでなく片目も不自由でした。背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。ゆとりのない暮らし向きとみえて、衿があかでピカピカ光った、お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。性格もひねくれていて、かわいそうだとは思いながら、担任の先生も私たちも、ついIを疎(うと)んじていたところがありました。
 たしか秋の遠足だったと思います。
 リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばに、Iの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。かっぽう着の下から大きな風呂敷包みを出すと、
「これみんなで」
 と小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。
 古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。ポカポカとあたたかい持ち重りのする風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げているIの母親の姿にいやとは言えませんでした。
 歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。Iの母親は、校門のところで見送る父兄たちから、一人離れて見送っていました。
 私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかいゆでたまごのぬくみと、いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。◇(精選女性随筆集十一向田邦子 小池真理子選 文藝春秋より)
エッセイではこの後、運動会の徒競走で足を引きずり、よろけたIが走るのをやめようとした時、気難しい年輩の女性教師がコースに出てIの伴走をし、ゴールするやIを抱えて校長の前に進み出で、ほうびの鉛筆をもらったエピソードを回想している。そして、最後にこう締めくくるのだ。
◇私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。◇(同上)

この文章を読んだとき、脳裏に浮かんだのが40代の女性患者、Hさんだった。子どもが自閉症でしばしば入院するほど大変なのに母子で頑張り、いつもニコニコと診察室を訪れる。うつで落ち込んだ時さえ、遠慮して話すHさんには、「これみんなで」と向田さんにゆでたまごを差し出したIさんの母を彷彿(ほうふつ)とさせる雰囲気がある。
向田邦子が探した”手袋”の正体は、この小さくもあたたかな、心にぬくみを与える”ゆでたまご”だったのではないか?そう思えた。

烏鷺うろ人生秋深し

ハロウィーン熱狂の夜が明けて、霜の降りる月となった。ラグビー、野球に続く当欄スポーツの秋シリーズの締めくくりとして、本日の主題は「秋と囲碁」。なぜ碁がスポーツか?それは、最後まで読めばわかります。

「秋深き 隣は何を する人ぞ」   (元禄七年、松尾芭蕉・笈日記)

今から321年前の新暦11月15日、病床に伏した51歳の芭蕉が弟子に書き送った最晩期の作。
秋と聞いて思い浮かべる俳句は、この句と正岡子規の「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。
当方も”人生の秋”真っ盛り、という感じで生きている(つもりな)ので、ますます名句が身に沁みるのだが、夜が長くなるこの時期は、心療内科の患者さんにとってはつらい季節でもある。
SAD(Seasonal Affective Disorder)。季節性感情障害。ひらたく言えば、冬季うつ病。
「悲しい」の英訳(sad)にひっかけたこの命名、よくできていると思う。12月冬至に向け、北半球では日照時間が短くなる。毎年この時期に気分が落ち込み、抑うつ状態に陥る人たちを指した疾患名だ。
女性に多い。月経前に調子を崩す人に多い。つまり、生物学的な要因でうつになりやすいタイプがあるわけだ。
治療法は、基本の休養と抗うつ薬に加え、「光」がカギとなる。日照時間の短縮で、メラトニンというホルモンが減少するのと関係があるので、それを補う。要は、早起きして日光を浴びましょうということ。春になると、自然に回復することが多く、それまでの時を待つ姿勢も重要だ。
もう一つ大事なのが、運動。前回コラムでお伝えしたように、一定以上の強度の運動で脳内ホルモン(BDNFなど)が分泌され、回復を助ける。その時に役立つ方策のひとつが囲碁や将棋などの知的ゲームだ。

源氏物語や枕草子にも記述のある囲碁は中国から伝わり、わが国の伝統的娯楽として時代を超え継承発展。戦後の高度経済成長時代にはサラリーマンにも広まった。囲碁の打ち方戦略を企業経営の参考にするトップも多かった。
ほかのボードゲームに比べ、ルールは単純なのに成行きが複雑で、二度と同じ局面が現れない。単なる陣取りゲームではなく、19X19路の盤上は宇宙にも比せられる。ある計算では、盤面状態の種類はチェスで10の50乗、将棋の71乗に対し、囲碁のそれは400乗と桁違い。なので、最強コンピューターがチェス、将棋のトッププロに勝って力を示したのと異なり、囲碁用コンピューターソフトの実力はアマチュア低段レベル。4段の僕と対戦しても勝てないだろう。そこに碁の奥深さがある。
最近「脳トレ」がはやりだが、その意味では、囲碁は最高の脳のトレーニングなのだ。実際、囲碁を知的スポーツとして捉える動きが主流になりつつある。いまや世界中の国々の人が楽しむ時代となった。いっぽう日本での囲碁人口は30年前の一千万人規模と比べ、激減している(レジャー白書では2014年が280万人)。

先日、出身高校の同窓会(鯱光会)囲碁部門の寄合があり、参加した。皆、僕より年配の大先輩たち。50代おじさんの小生に「若いから頑張ってね」と励まされ、恐縮した。会場の日本棋院中部総本部で、高校大学の後輩にあたり、プロになった青葉かおり4段に指導碁を打って頂いた。幸運にも5子で中押し勝ちを収め、ご褒美に青葉プロ直筆の扇子を贈られた。「美手」と揮毫されており、たおやかな筆跡に感激した。
囲碁のことを別称で「手談」という。手で打って会話するという意味だ。また、「烏鷺(うろ)」とも言い習わされる。黒石をからす(烏)、白石をさぎ(鷺)に見立てた言葉。幼稚園の時に父から教わり半世紀。人生の秋にまだ”うろうろ”しているが、今晩は『烏鷺朋(うろとも)』という名古屋・栄の碁会所で秋の夜長を過ごそうか。





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