内閣府が若者の自殺者を日付ごとに分析して公表した。18歳以下の自殺者数は過去42年間で1万8千人余。最多は9月1日の131人で、以下4月11日、4月8日、9月2日、8月31日と続く。新学期の始まる前後に集中していることがわかる。特に長期の夏休み明けは子どもたちにとって”鬼門”になっている。
当院でもこの時期は中高生の受診が目立つ。不登校の「病名」のつく患者さんにどう対応していくのか。悩みは尽きない。
真名美泡酢君(17歳)は、高2の夏、当院にやってきた。主訴は「学校に行けないのがつらい」(行きたいのだが行けない)。
中学2年の夏休み明け、不登校になったのが始まりだった。「人間関係のトラブル」としか教えてくれなかったが、クラスでのいじめ経験が言葉の端々から伝わる。朝になると体がだるく、月曜は特にひどい。両親は共働きで、5歳上の兄は関西の大学に下宿しているので、昼間はひとり。自然と生活リズムは乱れ、昼夜逆転パタンになる。そのときは不登校支援センターに相談し、秋から出られるようになった。
今回は自分でも理由がよくわからない。部活の剣道は土日も稽古で、やすみは月に一回。それに疲れたのか?母から「お願いだから学校に行って」と泣かれるとつらい。申し訳ないとも思う。でも体は家に留まろうとする。
診察を繰り返した後、抗うつ薬を敢えて処方した。一定の効果はあるが、それですべて解決するわけはない。カウンセリングを予約したが午前だったためか来院できず、不安定なまま2学期を迎えることになった。
彼のような生徒がほかに何人も受診しに訪れる。おおかた、まじめで要領が悪く、対人関係は不器用だ。診察で僕はこう言う。「それは君のいいところでもある。周りに無理に合わせなくてもいいよ」。
学びの場が「合わず」となったときの逃げ場が必要だ。泡酢君が利用した不登校支援センターなど、体制としてはかつてより整ってきているが、何かが足りない。それは譬(たと)えて言えば、よく練れた讃岐うどんのような(家族を含めた)共同体のしなやかさ、復元力だろう。そのおおもとが、自然と接する機会の減っている生活とおもえる。
『Stand by Me』 (1986 ロブ・ライナー監督) というアメリカ映画をご覧の方も多かろう。
1950年代、オレゴン州の片田舎で、こころに傷を持つ4人の少年が死体探しの旅に出るひと夏の冒険譚(たん)。鉄道線路沿いに30㎞先の森まで歩く4人に待ち伏せる難関。性格の違う4人がそれぞれに助け合い、成長していく姿は、甘酸っぱい少年時代の記憶を呼び起こす。映画の最後で語り手の主人公はこう呟(つぶや)く。「僕は12歳の時に出会ったあの4人のような友達をあれ以来、持ったことがない。」
不登校を救うのは、薬でも学校でもなく、あの悪ガキ4人のような、自然と渾然一体となった”友”、ではないか。