2015年01月

「いっぷく」しようよ

団扇(うちわ)を配って大臣を辞めた国会議員がいたが、きょうは内輪(うちわ)の話題をお贈りします。

木村忠嗣(ただつぐ)さん(39歳)は当院に勤めるナース喜代子さんの長男。忠嗣さんは生まれつきのハンディキャップを抱えている――ダウン症候群。その彼が一宮市内のブティックで絵画個展を開いたので、スタッフと見学した。
父の隆行さんは二科会同人。その影響もあり、5歳で心臓手術をしたころからちぎり絵を始めた。中学では美術の先生から絵画の手ほどきを受けた。特別支援学校では楽しいことばかりではなかった。絵筆や貼り絵用の色紙が、かけがえのない友の代わりとなった。
卒業後、一般の会社に入った。パン粉製造の仕事。頑張った。しかし、理解が遅く行動もマイペースな個性は、周囲の人間すべてにウエルカムという訳ではなかった。二十歳の時、決意した。「好きな絵をみんなに観てもらおう」。こつこつ作り貯めた貼り絵の作品群。家族の協力。油絵は完成まで半年を費やした。ついに市内画廊で個展を開くことができた。テーマは四つ。『元気・健康・笑顔・優しい気持ち』。以来、律儀に5年おきの開催を続けてきた。継続は力なり。

ここで、ダウン症候群(以下ダウン症)について説明しよう。
ヒトの細胞はおよそ60兆個あるが、そのすべてが同じ遺伝子を持っている。それが折りたたまれて細胞の中心(核)に保存されている。細胞分裂するときに分かれ出る”糸”の塊が染色体だ。生物によりその数はまちまちだが、ヒトでは23対(46)ある。そのうちの一対が同じXXだと女性、XYだと男性になる。その21番染色体が分裂の際、2本でなく3本になってしまった場合(トリソミーと呼ぶ)がダウン症だ。独特の顔貌や心臓奇形、知的障害などの問題を抱えたケースを報告した医師の名前がたまたまダウン氏(英国)だった。知的障害はイコールではなく、ダウン症が占めるのは1割ほどとされる。イコールと思い込んでいる人も多いようなので、ここで指摘しておく。
いま、ダウン症は遺伝医学(出生前診断)・産婦人科学の世界でトピックに上っている。
以前はダウン症を出産前に知るには妊婦のおなかに針を指す羊水検査が必要だった。それが、わずかな量の血液検査で同等の診断がつくようになったのだ。これにより”命の選別”が行われないか、医師の間でもケンケンガクガクの議論が起こった。背景には妊婦の高齢化があるのは間違いない。米国統計では母親が20歳代ではダウン症の発症確率は1/1562, 30歳代後半では1/214と上昇、45歳以上では1/19と跳ね上がる。


瀟洒なビルの狭い階段を上ると、3階フロアの壁全面に木村さんの作品19点が展示されていた。福井県若狭町の障害者アート展特別賞を受けた作品『水族館』では、水槽で泳ぐ魚たちの側から見た作者自身の姿が描かれている。彼の作品は全部、動物が主人公だ。「友達と遊んで、楽しんでいる姿を動物で表しました」。
質問してみた。「忠嗣さん自身を動物でたとえると、なんになる?」――「う~ん、ウサギかフクロウ。謙虚にやっていきながら、羽ばたく!」。好きな動物は「ペンギン」。実際に触ったときの「ぬるぬるした違和感が好き」なのだという。
僕が一番目についた油彩画があった。50号のキャンバスに左から赤色の猿、右にはクリーム色に黒斑点の豹、その上には鮮やかな緑色のカメレオンが長い舌を巻いている。題名は『いっぷく』。観ていると、なるほど、一服したくなる。
百聞は一見にしかず。この個展は昨日終わってしまったが、今年8月4日から9日まで一宮市浅野字駒寄12-3 ギャラリー葵(電話0586-76-8511)で再度個展が予定されている。どうぞ足を運んでみたら。


いかなる星の下でも

日本列島に暮らす者にとって、「1・17」は「3・11」と共に忘れられない月日として心に刻まれる。きょうで阪神・淡路大震災から20年。災害について改めて考える。

災害・災難の英語disasterの語源は、悪い星回り(否定;dis+星;astrum)。つまり、占星術が母体だ。古代から人は運勢を星の運行と結びつけて考えてきた。これは洋の東西を問わない。それが近世になりケプラーら天文学の発展につながっていく。
天体と運命と聞いていつも思い起こすのが20世紀末のノストラダムス大予言だ。16世紀フランスの医師・占星術師だったノストラダムス(本名ノートルダム)。四行詩で予言した内容が実現するということで有名になり、時の国王にも重用された。
日本では著作家の五島勉氏が新書で紹介(1972)、有名な「1999年7の月、空からアンゴルモアの大王が降ってくる」という謎の詩は世紀末地球滅亡の予言として、少なくとも当時の少年に多大な影響を与えた。わずか30年足らず先にこの世が無くなる!刹那的な気分に陥った思春期、このフレーズが口をついて出たものだ。
予言の5年前――平成7年1月17日午前5時46分。”アンゴルモアの大王”が地下から神戸周辺を襲った。一瞬にして半世紀前の焦土が再現され、6400人余の命が失われた。
そのころ僕は長野県松本市の医学部で学んでいた。なぜか直前に目が覚めた。揺れは微かに、しかし確かに感じた(気象庁記録では震度2)。TVニュースでドミノ倒しになった阪神高速道路や、ミルフィーユのように押し潰された阪急伊丹駅の映像に心を奪われた。妻の実家がすぐそばだ。
時の村山内閣の自衛隊救援要請が遅れたと批判されたが、当時の防災体制では何党政権でも似た結果に終わっただろう。むしろ、特筆すべきは民間結束力の強さだ。
山田和尚(本名明)さん。震災翌日に神戸入りし、炊き出しや障害者の見守りをする団体「神戸元気村」を立ち上げ、災害民間ボランティアの先駆けとなった。それ以後、新潟県中越地震や東北大震災などでボランティアが常態化したのは周知のとおり。残念なことに和尚さんは今月63歳で亡くなった。
医療の分野ではクラッシュシンドロームが知られるようになった。倒壊した家具や家屋に体を圧排され、筋肉が挫滅し、毒素が全身に回る恐ろしい病態。震災直後に救護すれば500人が助かった可能性があるとの研究を機に、国立病院機構に設置されたのがDMAT(Disaster Medical Assistance Team)。「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」。地震の巣上に生活する日本人にとっては必要不可欠な部隊だろう。フィクションの世界では30年前に国際救助隊(名作サンダーバード)が存在していたが、、、。
いまやDMATの精神科部門も整備されつつある。隔世の感あり。
これらの動きに伴い、各都道府県で災害拠点病院が指定されている。わが愛知県一宮市には2つの総合病院があるが、もう一つ紹介したい。社会医療法人杏嶺会一宮西病院。ベッド数400床の総合病院で、市北西部郊外に建つ。僕の前任病院の同一法人で始終行き来していた。病院見学の時、やけにだだっ広い1階吹き抜けロビーのワケを聞いて感じ入った。
ロビー壁に等間隔で絵画が幾つも掛かっている。それら絵の裏には酸素接続用コネクタが隠れている。災害での患者さん受け入れ時に臨時ベッドが並ぶのを想定してあるのだ。他院でもこうした備えはあるのかもしれないが、その後東北大震災が起こり、地域医療の役割の重大さを改めて想った。東南海地震ではこの装置がきっと活躍するのだろう。
かつて物理学者寺田寅彦はこう言った。「天災は忘れたころにやってくる」。今の日本では「忘れる前に」やってくるという方がふさわしい。地球上で発生する地震の約1割が面積わずか0.3%の国土を襲う理不尽。しかし、それが日本の”星回り”なのだ。そこで暮らしていくしか、術(すべ)はない。


 

人に成ることの難しさ

「成人の日」の前日に学区主催の成人式があり、町会役員として赤飯作りに参加した。地元小の体育館で催された会は、振り袖姿の新成人が司会や校歌伴奏を担当したりと、手作り感漂う好感の持てる式次第だった。きょうは成人について考えてみたい。

成人式のもとは奈良時代に始まった元服である。冠婚葬祭の四字熟語に残る通り、おとなになった証しとして冠(烏帽子)をかぶる儀式。この通過儀礼の実施年齢は時代や身分によりまちまちだが、おおよそ15歳前後だった。(古事類苑によると、天皇の元服は11~15歳)。
もちろん往時の子どもが現代っ子よりはるかに早熟だったゆえの制度ではない。社会的擬制が要求された背景には平均寿命の短さがあったと僕は推理する。たとえば武士は家督を継ぐことが人生の一大事だった。後継者の育成が家の存続に関わる。つまり早く結婚して子どもをもうける、さもなくば養子を取って後を託す者を決めておかないと、いつ疫病や戦さでお家断絶の危機が訪れないとも限らない。
それ以上に重要な元服の意義は、形式が内容を規定することでの集団社会の安定化にあるのではないか。役職に就くことで仕事ぶりばかりか人柄まで変わる人がいる。「きょうから一人前になれ」と強制されることが精神を強靭にする引き金になるのだろう。刀となるべき鋼(はがね)に焼きが入り、強くしなやかになるように。
いっぽうで、そのプレッシャーに負けてしまう若者がいるのも事実だ。

継野以矢男さん(32)は町工場の2代目を父にして育った。仕事は自動車製造の部品作り。手作業も必要で職人技的なスキルも必要になる。ベテラン従業員は先代からの雇い入れ。親子で勤めて来た者もいる。
継野さんは漠然と大学で工学部を選んだ。理数系の方が得意だったから。家業を継ごうという意識は当初はなく、一回は普通の事務系会社に就職したが、「人間関係がいや」で1年で辞めた。その後はアルバイトを繰り返しながら20代後半になり、「このままではいけない」と思ってはみるものの、自宅でぶらぶらする生活が続いた。
家業の帳簿をやりくりする母親亜希子さんの助言で、これもなんとなく実家の仕事に納まった。一応知識はある。なんとかなるかな、、。そこに立ちはだかったのが、父親の継野一鉄さんだった。
「甘い気持ちでやってもらっては困る」「もういっぱしの成人なんだからな」――”成人”という父の言葉が耳にこびりついて消えない。ほかの従業員の手前もあったのだろう。あの「巨人の星」の父、一徹ばりの雰囲気を醸し出していた。わずか3か月で仕事に出られなくなった。
亜希子さんは言う。「4つ下の弟が生まれて、しばらく手がかけられなかったんです。長男だし、勉強、勉強と言い過ぎたのかも、、」。以矢男さんは小学校6年の時、90点の算数テストを母に見せて「あと10点どうして取れなかったの?」と言われたことが今も頭から去らない。「そんな子どものときのことにこだわる自分が情けない」。
3年前に僕の勤める病院を受診した以矢男さんは、うつで1回入院し、いったん回復したかに見えたが、その後症状がくすぶり続ける。抗うつ薬と休養だけでは無理と判断。臨床心理士によるカウンセリングを始めた。僕が開業して、一宮むすび心療内科に移ってからもカウンセリングを継続している。まだ、出口は見えない。

彼の成人式がどんなだったか、次の診察で訊いてみようと思う。そしてあの歌、『人として』(作詞武田鉄矢、作曲中牟田俊男)を贈ろう。
「♪ 私は悲しみ繰り返す そうだ 人なんだ ♪」 
ゲーテ先生も言っている。「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない」とね。

年頭所感~ひつじ年にうし年男がご挨拶~

あけましておめでとうございます。一宮むすび心療内科は昨年開院してから初の正月を迎えました。年末年始は(第一日曜含め)6日間のおやすみを頂きました。患者さんたちにはこの間、無事に過ごされたことと思います。なかには調子を崩された方がいらっしゃったかもしれません。今日からの診察ではそのあたりのことを教えてください。また、特に今週は予約が混んでおりご迷惑をおかけするかと思います。何とぞご容赦のほど、お願い申し上げます。

さて、今年は未(ひつじ)年。なにか年頭に気の利いた話題はないものかと頭をひねってみても、なかなか念頭に浮かばない。このコラムが羊頭狗肉となってはいけないと自戒しつつ、テレビリモコンをつけたらNHKスペシャルで「ネクストワールド」を放送していた。
技術革新の各分野を取材し、近未来を予測する3回シリーズもので、今回は第2回『寿命はどこまで延びるか』。3Dプリンタが臓器移植に革命をもたらした。ナノテクノロジーを医療応用した「ナノマシン」により、通常の千倍濃度の抗がん剤を20万分の1ミリという超微小高分子カプセルに閉じ込めて癌細胞のみを狙い撃ちする――
同じ医療の世界で働く端くれとしても、驚異の内容の連続。なかでもコンピュータ技術の発達で膨大な医療情報を利用できるようになった恩恵の話題はすごかった。このビッグ・データを活用すれば、人の寿命の予知ができるというのだ。アルブミン、VLDL(悪玉コレステロール)など4つの検査データでその人が「いつ死ぬかがわかる」というのだ。こりゃ、おニイさんは参った魂消(たまげ)た
2045年には平均寿命が100歳に達するという(本当か?)。30年後には寿命を延ばすどころか若返りの治療が現実化し、その治療を受けるかどうかという議論をテーマとした番組内ドラマも考えさせられた。荒唐無稽ということはできない。平成27年現在でも、わずか数滴の血液から癌のしるし(マーカー)をチェックし、胎児に先天異常があるかないか判明してしまうほど医療技術は進歩している。
問題は、こうした技術にひとの「こころ」がついていけるかどうか、というところにあるのではないだろうか?
考え始めると、地下鉄がどこから入るのか考えて「夜も眠れなくなっちゃう」と笑いを取っていた春日三球・照代夫婦の漫才を思い出して、こちらまで眠れなくなりそうだから、本日はこの辺りでグッドナイトとさせてください。
もし眠れなければ、、、羊を数えることにしようか。(不眠に関する話は近いうちに書きます)。
では、みなさん、本年もよろしくお願いいたします。グッドシープ、いやグッドスリープを zzzzzzz
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