きょうは大晦日(おおみそか)。おお味噌が、無い!
久しぶりの駄洒落で笑っていただいた方の割合が消費税率より多いことを願いつつ、本年最後のコラムの始まりはじまり。
年の区切りが冬至直後にあるのは故(ゆえ)あることだ。一番昼の短い日に至るので、冬至。中国の易経では「一陽来復」という。漢方コラムでも説明したように、かの国では陰陽論が思想の源流だった。森羅万象ことごとく対になって存在するという考え方。月と太陽、女と男など陰陽バランスがすべての出来事を左右する。一陽来復は、夜(陰)が極まった後に昼(陽)が勢いを回復する意。転じて、不運続きのあと幸運に向かう時に用いる。
大晦日の恒例で、朝刊中面に今年亡くなった各界有名人の追悼記事が載っている。今年はやしきたかじんさん(64)からロック歌手ジョー・コッカ―氏(70)まで総勢106人。最年少は交通事故で亡くなったサッカー元日本代表の奥大介さん(38)。最高齢は童謡詩人まど・みちおさん(104)。
まどさんに次ぐ天寿を全うしたのが囲碁の呉清源(ご・せいげん)さん(100)。囲碁を知らない方はご存じないだろうが、僕のように休日ネット碁に興じるご同輩には神様のような存在だ。「昭和最強の棋士」といって誰からも異論が出ない。野球でいえば長嶋茂雄さんにあたる。
名前からわかる通り、呉さんは中国福建省出身だ(その後日本帰化)。官吏の父が若くして結核で亡くなる直前、三男の呉さんは形見としてなぜか碁石をもらった。9歳だった。長男は書籍を譲り受けて官吏の道を継ぎ、次男は小説を渡され文学の道へと進んだ。その後の人生は、僕と同期の新聞記者である桐山桂一君が著書にまとめている(『呉清源とその兄弟 呉家の百年』岩波書店)。
中国人ゆえの差別的扱いを受けたこともあったが、囲碁の世界で突出した才能を開かせた呉清源にとっては、乗り越えられる壁だった。
呉先生によると、囲碁は二千年の歴史を持つが、碁盤と碁石はそれ以前からあったという。「昔は紙がなかったために、碁盤と碁石を使って種々の学問を教えました。陰陽、、四象、、八卦、、天文、医学(漢方)、、を教える教具として、盤石は甚だ便利でした」(現代の名局 呉清源上巻より)
碁盤の目は361(19路×19路)あるが、これは天文気象の数と一致するとのことだ。(路の中心は天元と呼び、真空を表現)。さらに鍼灸のツボ数にも一致する。そしてこれが肝腎なのだが、先生は「囲棋(囲碁)は陰陽の調和である」と喝破される。
以前のコラムでスティービー・ワンダーとポール・マッカートニーの名曲『エボニー&アイボリー』を紹介したことがあった(8月13日付「黒と白、左と右」)。黒人への人種差別はいまだに現在進行形だが、陰陽の調和を目指す理想がいかに困難かと思えてくる。
今夜は”おおつごもり”(大月籠りのつづまりで、大晦日と同じ意)なので、院長コラムは、2本分になりまあす!
大晦日の恒例行事といえば、NHK紅白歌合戦、である。昭和26年から続く国民的イベント。(細かいが大晦日開催となったのは28年から)。
正月準備を終え、家族皆が茶の間のコタツに足を突っ込み、ミカンをむきながらテレビ画面に食い入るという構図は、およそ昭和50年代までは共通認識だったように思う。出稼ぎの都会から帰省した次男・三男坊に声をかける田舎の親きょうだいという光景も、番組終了後の「ゆく年くる年」中継画面とダブって容易に想像できる。要するに、日本人の”こころのふるさと”の原点なのだ。
事態が変わり始めたのはいつごろからなのか?
一番分かりやすいのが視聴率(記録の残るのは1962年以降)。最高は昭和38年(1963)の81.4%、オイルショックまではほぼこの数字をキープし、昭和50年代は70%台を守っている。(先ほどの僕の印象を裏付けるものだろう)。見る見る下がっていったのが1980年代後半から。バブルに突入していく時代だ。2部制に分かれた40回目、平成初の紅白ではついに50%を割り込んだ。21世紀に入ってからは、前半は30%台、後半で40%前半。
こう見てくると、紅白の視聴率は高度成長以降、一貫して低下してきたとわかる。しかも低下は景気変動と連関していない。むしろ国政選挙での一貫した投票率低下との相関の方が大きい。おそらくこれは、日本人のライフスタイルや家族観が昭和時代とは本質的に変わってきた証左なのだろう。大衆から分衆の時代といわれて久しい。携帯主役の座がガラケーからスマホに移り、家族の細断化は一層進んでいるように思える。(息子は今朝「友達と会ってくる」と言って、スマホ片手に出て行った)
それでも、事態打開の柱が「歌」であることに変わりはないと思う。政治の源流が政事(まつりごと)=祭祀(まつり)であることをおもえば、歌の出自は神様への願掛け(祝詞)であり、そこには必ず「祈り」を伴う。紅白が国民的行事となり得ない時代になっても、歌の神通力は失われないと信じたい。
その意味で今年、中島みゆきが12年ぶりに紅白出場したことは、個人的には快事だった。
高校の時に『わかれうた』を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。暗かった気持ちに追い打ちをかけるような歌詞、声質。みゆき節に慣れ、あの詞の本当のすごさを知るにはまだ若すぎた。
いまなら、わかる。だから、落ち込んでいる患者さんにこう伝えるときがある。「そうか、つらいんだね。中島みゆきを聴きなさい。もっと落ち込んでもいいから。そこから何かを掴みなさい」と。
こう書きながら同時進行で第65回紅白歌合戦を観ていたら、ご本尊登場前にみゆき(呼び捨て御免)の作歌をうたう男性がいた。クリス・ハート『糸』。名曲。そして、年が改まる前、本人が画面に現れた。『麦の歌』。みゆきは、歌いながら祈っているように映った。「♪麦に翼はなくても、歌に翼があるのなら♪」。
中島みゆきの本名は中島美雪。平成27年元日の天気予報は雪模様だ。ことし1年、悲しみに沈んだ皆さんへ。みゆきネエサンの歌を聴いて、降る雪に祈りましょう。来年は良い年でありますように。
久しぶりの駄洒落で笑っていただいた方の割合が消費税率より多いことを願いつつ、本年最後のコラムの始まりはじまり。
年の区切りが冬至直後にあるのは故(ゆえ)あることだ。一番昼の短い日に至るので、冬至。中国の易経では「一陽来復」という。漢方コラムでも説明したように、かの国では陰陽論が思想の源流だった。森羅万象ことごとく対になって存在するという考え方。月と太陽、女と男など陰陽バランスがすべての出来事を左右する。一陽来復は、夜(陰)が極まった後に昼(陽)が勢いを回復する意。転じて、不運続きのあと幸運に向かう時に用いる。
大晦日の恒例で、朝刊中面に今年亡くなった各界有名人の追悼記事が載っている。今年はやしきたかじんさん(64)からロック歌手ジョー・コッカ―氏(70)まで総勢106人。最年少は交通事故で亡くなったサッカー元日本代表の奥大介さん(38)。最高齢は童謡詩人まど・みちおさん(104)。
まどさんに次ぐ天寿を全うしたのが囲碁の呉清源(ご・せいげん)さん(100)。囲碁を知らない方はご存じないだろうが、僕のように休日ネット碁に興じるご同輩には神様のような存在だ。「昭和最強の棋士」といって誰からも異論が出ない。野球でいえば長嶋茂雄さんにあたる。
名前からわかる通り、呉さんは中国福建省出身だ(その後日本帰化)。官吏の父が若くして結核で亡くなる直前、三男の呉さんは形見としてなぜか碁石をもらった。9歳だった。長男は書籍を譲り受けて官吏の道を継ぎ、次男は小説を渡され文学の道へと進んだ。その後の人生は、僕と同期の新聞記者である桐山桂一君が著書にまとめている(『呉清源とその兄弟 呉家の百年』岩波書店)。
中国人ゆえの差別的扱いを受けたこともあったが、囲碁の世界で突出した才能を開かせた呉清源にとっては、乗り越えられる壁だった。
呉先生によると、囲碁は二千年の歴史を持つが、碁盤と碁石はそれ以前からあったという。「昔は紙がなかったために、碁盤と碁石を使って種々の学問を教えました。陰陽、、四象、、八卦、、天文、医学(漢方)、、を教える教具として、盤石は甚だ便利でした」(現代の名局 呉清源上巻より)
碁盤の目は361(19路×19路)あるが、これは天文気象の数と一致するとのことだ。(路の中心は天元と呼び、真空を表現)。さらに鍼灸のツボ数にも一致する。そしてこれが肝腎なのだが、先生は「囲棋(囲碁)は陰陽の調和である」と喝破される。
以前のコラムでスティービー・ワンダーとポール・マッカートニーの名曲『エボニー&アイボリー』を紹介したことがあった(8月13日付「黒と白、左と右」)。黒人への人種差別はいまだに現在進行形だが、陰陽の調和を目指す理想がいかに困難かと思えてくる。
今夜は”おおつごもり”(大月籠りのつづまりで、大晦日と同じ意)なので、院長コラムは、2本分になりまあす!
大晦日の恒例行事といえば、NHK紅白歌合戦、である。昭和26年から続く国民的イベント。(細かいが大晦日開催となったのは28年から)。
正月準備を終え、家族皆が茶の間のコタツに足を突っ込み、ミカンをむきながらテレビ画面に食い入るという構図は、およそ昭和50年代までは共通認識だったように思う。出稼ぎの都会から帰省した次男・三男坊に声をかける田舎の親きょうだいという光景も、番組終了後の「ゆく年くる年」中継画面とダブって容易に想像できる。要するに、日本人の”こころのふるさと”の原点なのだ。
事態が変わり始めたのはいつごろからなのか?
一番分かりやすいのが視聴率(記録の残るのは1962年以降)。最高は昭和38年(1963)の81.4%、オイルショックまではほぼこの数字をキープし、昭和50年代は70%台を守っている。(先ほどの僕の印象を裏付けるものだろう)。見る見る下がっていったのが1980年代後半から。バブルに突入していく時代だ。2部制に分かれた40回目、平成初の紅白ではついに50%を割り込んだ。21世紀に入ってからは、前半は30%台、後半で40%前半。
こう見てくると、紅白の視聴率は高度成長以降、一貫して低下してきたとわかる。しかも低下は景気変動と連関していない。むしろ国政選挙での一貫した投票率低下との相関の方が大きい。おそらくこれは、日本人のライフスタイルや家族観が昭和時代とは本質的に変わってきた証左なのだろう。大衆から分衆の時代といわれて久しい。携帯主役の座がガラケーからスマホに移り、家族の細断化は一層進んでいるように思える。(息子は今朝「友達と会ってくる」と言って、スマホ片手に出て行った)
それでも、事態打開の柱が「歌」であることに変わりはないと思う。政治の源流が政事(まつりごと)=祭祀(まつり)であることをおもえば、歌の出自は神様への願掛け(祝詞)であり、そこには必ず「祈り」を伴う。紅白が国民的行事となり得ない時代になっても、歌の神通力は失われないと信じたい。
その意味で今年、中島みゆきが12年ぶりに紅白出場したことは、個人的には快事だった。
高校の時に『わかれうた』を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。暗かった気持ちに追い打ちをかけるような歌詞、声質。みゆき節に慣れ、あの詞の本当のすごさを知るにはまだ若すぎた。
いまなら、わかる。だから、落ち込んでいる患者さんにこう伝えるときがある。「そうか、つらいんだね。中島みゆきを聴きなさい。もっと落ち込んでもいいから。そこから何かを掴みなさい」と。
こう書きながら同時進行で第65回紅白歌合戦を観ていたら、ご本尊登場前にみゆき(呼び捨て御免)の作歌をうたう男性がいた。クリス・ハート『糸』。名曲。そして、年が改まる前、本人が画面に現れた。『麦の歌』。みゆきは、歌いながら祈っているように映った。「♪麦に翼はなくても、歌に翼があるのなら♪」。
中島みゆきの本名は中島美雪。平成27年元日の天気予報は雪模様だ。ことし1年、悲しみに沈んだ皆さんへ。みゆきネエサンの歌を聴いて、降る雪に祈りましょう。来年は良い年でありますように。