2014年10月

エジソンの末裔

今年のノーベル物理学賞で、青色LEDの開発に寄与した日本人学者3人受賞の報せはまだ記憶に新しい。LED(Light  Emitting  Diode)、つまり発光ダイオードはまさしく、”プロメテウスの火”を手にして以来の人間の歴史を語るうえで画期的な発見、発明であり、科学技術立国ニッポンの将来にとって明るいニュースだ。10月21日は「あかりの日」。トーマス・エジソンが135年前、効率的な白熱電球を開発した日だ。きょうはそのエジソンにちなんだ話。

明治の文明開化の象徴は、ザンギリ頭に牛鍋、そしてガス灯。それからわずか10年後にエジソンが改良したのが、日本産の竹をフィラメントに使い、世に広まった白熱電球だ。彼は、よく誤解されるように白熱電球を”発明”したのではなく、より使いやすくしたのだが、1世紀以上を経た今では同じようなものだろう。そして生涯で1300もの発明をものにした。電球のほかに蓄音機、活動写真、株式相場表示機、トースター、アイロンなど。(書き連ねるうちにドクター中松を思い浮かべてしまった)。
エジソンはそれら発明の一方、数々の失敗をしている。直流送電にこだわり、交流は危険としてあらゆる手段でライバルを妨害したのは有名な話だし、電力会社を立ち上げたが仲間割れを起こし、会社から除名処分を受けたりと、毀誉褒貶(きよほうへん)著しい。
僕のこども時代はナイチンゲールや野口英世らとともに偉人として並び称され、電気ならぬ伝記を読んで感化された記憶がある。それが平成になり、エジソンに対する価値観の転換が起きた。

ADHD(Attention  Deficit Hyperactive Disorder)は、精神科疾患でも最近とみに注目されている。「注意欠陥多動障害」と訳されてきたが、僕はむしろ「注意散漫症候群」とすべきと思う。世間では「片づけられない症候群」として有名になった。注意できない(欠陥)のではなく、ひとつのことに注意を持続するのが苦手(散漫)。
いっぽうで気に入ったことになると、とことんのめり込む性質もある。要は「気が多い」人たちで、芸能人にも多い。(徹子の部屋を続けている玉ネギおばさんなど)。
このADHDの援助を目的としたNPO法人の名称が「えじそんくらぶ」。かのトーマス・エジソンにちなんだものだ。理由は彼がADHDだったから。
そう、偉大なる発明王は障害者でもあった。小学校のとき「1+1=2」の意味がわからず、なぜ物が燃えるのかを確認するために、藁を燃やして自宅納屋を全焼させた事件など普通に考えたら「なに?この子!」というエピソードに満ちている。教師から「君の頭は腐っている」と匙を投げられ、3か月で退学。その後独学で発明の道に入る。他人との交流では過干渉になりがちで、上記の送電トラブルや会社除名事件などはADHDの症状ともいえる。

一宮むすび心療内科にも「私はADHDではないか?」と来院する患者さんが後を絶たない。
粗井注意君(33歳)もそのひとり。高校を中退後アルバイトを転々。結婚したが、相手もADHD(おそらく)で衝突し離婚。いまは宅配便の社員として忙しく働く。じっとしていられないので、運送関係が合っているのだ。
最大の悩みは朝、起きられないこと。怠けとは関係ないレベル(=脳の機能の問題)なのだが、普通の人にはわからないのが難点だ。それを補うのが飛びぬけた空間把握能力。初めての仕事でも先輩の身振りを観察するだけでこなし、ナビなしで目的地に到着してしまう。なので、新入2年目で係長に抜擢された。
それを支えるのがメチルフェニデートという薬物。ただし、これは依存作用があり、医師の指示をきちんと守る必要がある。さいわい、粗井君とむすび院長の相性は悪くないようで、今のところ”2人3脚”でやれている。(予約時間に来られないのは目をつぶっている)。

進化論的にいえば、ヒトが進化してきた原動力がこの新奇追求性だろう。アフリカ大地溝で生まれた人類は、ほかの 哺乳類にはない好奇心の塊の詰まった脳を携えて、五大陸に拡散していった――
エジソンの”遺伝子”を多くの現代人が持っていることに気づけば、ADHDの人たちへのまなざしも変わることだろう。


飽き満ちることのない食欲

スポーツの秋とくれば、お次は食欲の秋。きょう10月16日は「世界食料デー」。1981年、国連の食糧農業機関(FAO)が「すべての人に食料を」を合言葉に制定した。毎年、世界各地でフェスティバルなどが催される。今年は「家族農業:人々を養い、地球にやさしく」をテーマに、小規模農業の役割に注目したイベントが繰り広げられている。

農林水産省のデータによると、日本の食料自給率はカロリーベースで39%(2010年)と先進国中で最低だ。米国(123%)、フランス(173%)などと比べれば一目瞭然。島国という似た環境の英国でも69%(各国数字はいずれも2005年)。この比較は飼料の計算方法など議論の余地はあるにせよ、日本人の7割がこの数字に危機感を持っていることは留意すべきだろう。
そのなかでも近年とくに注目されているのが廃棄食材の問題。年間900万トンの食料が捨てられている。ある研究では生ごみの可食部分は4割近くに上り、11%が買った状態での廃棄で、その6割が賞味期限前のものという。スーパーで手にした賞味期限近くのヨーグルトを陳列棚に戻してしまうことのある身としては、こころ痛い問題だ。

心療内科で多い患者さんの病気に摂食障害がある。世間では「拒食症」「過食症」として知られている。この表現だと、自分の”意志”で食べなかったり、食べ過ぎたりという印象を持たれがちだが、そうではない。拒食の女性(男性の10倍以上)はむしろ、食べたくてしょうがない部分を抱えている。拒食の背景にある心の問題のために体にストップをかけようとするが、そこで無理が生じるのだ。
医学的にいうと、大脳皮質、とりわけ前頭前野が辺縁系・視床下部に指令を送る。だが、それは虚しい努力となる。なぜなら、ひとは理性より感情や習慣のほうが強制力が大きいからだ。周囲の方に理解してほしいのは、彼女たちは好きでこの病気になったのではないということ。最近は出産後に過食に陥る女性も増えている。
治療は長期間にわたる。往々にして、拒食から過食に転じるのも上記の理由から。だから、家族にお願いしたい。食べない娘に「食べろ!」と言わないでほしい。過食してはもどす妻に「吐くな!」と命じないでほしい。彼女たちに覆いかぶさるのは、心と体の関係がよじれた結果としての食行動異常だ。
必要なのは、寄り添うこと。だまって、彼女たちの声なき声に耳を傾けること。そして、食行動異常の背景にある”なにか”を掴むこと。難しい作業だが。

摂食障害で苦しんだ八瀬野良子さん(23歳)のことを書こう。
身長160㎝、体重28㎏。命に関わる状態で僕の勤める病院に連れてこられた。詳細は省くが、入院を含め懸命の治療をして体重35㎏まで戻したものの、過食嘔吐も目立ち、そこから先は進まない。治療から1年以上経ち、家族関係は緊迫し精神的にも不安定な日々が続いた。
そんなころ、八瀬さんの祖母との関係は悪くなく、祖母は畑をやっていた。僕は彼女に”宿題”を出した。「おばあちゃんの畑を手伝うこと」。結果は上々だった。体重こそほとんど変わらなかったものの、八瀬さんの表情に生気が甦ってきた。彼女は言った。「土に触れることで、私は生かされてるんだなあって実感した。今までの自分の悩みがちっぽけに見えたら良くなった」。

過食の治療の一つに食べた物を列記したり、コンビニのレシートを張り付けたノートでの会話(認知行動療法という)がある。最近、僕が考えているのは、”食料廃棄率”(口にした分のどれだけを嘔吐、下剤で排出したか)の計算の導入だ。自分の過食の内容をきちんと振り返ることで、わが国の食料事情を憂える日本人のように、自分を見つめ直してもらおうという算段である。

秋の語源の一つに、穀物の収穫が「飽き(あき)満ちる」からくるという説があるそうだ。飽くことのない食欲との闘い。冬が来る前の重いテーマ。

スポーツの秋にうつを吹き飛ばせ!

日本列島は2週連続の台風縦断となりそうだ。大型で強い規模の19号がゆっくり北上するなか、なんとか東海地方の空模様は持ちこたえ、18号で一週間延期された小学校学区運動会が行われた。今日のコラムは「スポーツの秋」にちなんだお題。

町内役員という立場もあり、何年かぶりに「大運動会」に参加した。以前は各町内ごとに得点順位を競ったが、少子化の波は地元にも押し寄せ、最近はいくつかの町内会をまとめたブロック対抗に変わってきている。
定番の綱引き、玉入れ、リレーなどに交じり、参加者に歓声が上がったのが借り物競争。メガネなどありきたりの物だけでなく、「ひげを生やしたおじさん」や「美人の人妻2人」といった指示が出て、応援席のフツーのママさんらが駆り出されていた。やれやれ、けさ髭を剃っておいてよかった。
いつも診察室で日がな一日座りっぱなしなのと比べ、太陽の下で丸一日過ごすと心地よい疲れに包まれる。うとうとして想ったのが「うつ病の運動療法」だ。

厚労省は3年前、がん、脳卒中、心臓病、糖尿病と並んで、精神疾患を「5大疾病」と位置付けた。背景には年間自殺者が3万人規模で推移した中、その大半を精神疾患、とりわけうつ病が占める現実がある。大規模な疫学調査では日本人のうつ病の生涯有病率は6.7%。15人にひとりが一度は罹るありふれた病気なのだ。他人事ではいられない時代。
その意味でうつ病治療は焦眉の急といえるし、そのなかで抗うつ薬使用量が増加しているのは事態を象徴している。一部では、製薬会社の戦略に乗せられた精神科医が抗うつ薬を過剰使用し、逆に患者を作っているとの批判もある。一聴に値するが、それがメインではないと考える。電信柱の数と経済成長が相関しているからといって、柱が増えたのが成長の原因とは言えないのと同じ理屈だ。
教科書的にいえば、典型的なうつ病治療の基本はやはり「薬と休養」。しかし、万人に有効な魔法の杖があるわけではない。ケース・バイ・ケースとはいえ、急性期を過ぎたうつ病患者さんに「良い」といえる治療のひとつが「運動」だろう。
いくつかの研究によると、BDNF(脳由来神経栄養因子)という記憶や学習機能などに深くかかわる神経伝達物質がうつ病患者では低下しており、その因子が運動によって上昇することがわかっている。米国の疫学研究では、スポーツや余暇活動の時間が長いほどうつ病の発症者が少ないという。また、やはり米国人女性約5万人を10年間追跡調査したところ、テレビを観る時間が長いと、運動とは独立して(=無関係にという意味)うつ病のリスクが高まることが判明した。
日本うつ病学会は2年前に治療ガイドラインで、軽症うつ病に対する薬物・精神療法の「併用療法」として運動療法を挙げている。「週3回以上、中程度以上の運動を一定時間継続」と示した。本格的な基礎・臨床研究が今後展開していくだろう。

僕の本棚に1冊の本がある。「脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方」(ジョンJ.レイティ、エリック・ヘイガ―マン著)。まだ、積ん読(つんどく)状態で埃をかぶっている。まず、一歩踏み出して読み始めよう。



10月10日は体育の日

10月10日と聞いて「体育の日」を思い浮かべる人は、いまどれくらいいるのか。(目の愛護デーや銭湯の日もあるが)。ハッピー・マンデーという埒(らち)も無い制度で2000年以降、10月第二月曜に移動させられたが、その由来が東京オリンピック開会式の日であることは周知だ。
あれから半世紀。この日には僕自身、特別な思い入れがある。

三つ子の魂百まで。一番若いころの記憶を問われると、必ず「東京オリンピック」と答える。しかし、実際にテレビで見た記憶なのか、その後のニュース映像で見た記憶が混じり、すり替わっているのかはわからない。いずれにせよ、僕の脳裏には次のような光景が残像として在る。
――白黒テレビでは漆黒に映ったエチオピアの聖者ランナー、アベベが42.195㎞のテープを切った後、国立競技場のトラックで柔軟体操をする様子。鬼の大松監督が率い、東洋の魔女と称えられた日本女子バレー軍団が、ソ連チームのタッチネットで金メダルを勝ち取った瞬間(視聴率66.8%)。重量上げで筋骨隆々の三宅義信が、ぶるぶる震えながら金メダルのバーベルを持ち上げた時の背筋のそり具合――
開会式での日本選手団の鮮やかな紅白ユニフォーム姿は色つきの記憶なので、後年の特集映像の影響だ。東京の次のメキシコ五輪のころ、「どうして野球はオリンピックにないんだろう」と思いながら、父とキャッチボールをした記憶も湧き出てくる。

無邪気な小学生時代過ぎし後、中学1年の担任となったのが長谷川金明先生だった。クラスの誰もが本名の「かねあき」ではなく、「きんめい」のニックネームで呼んだ。体育が専門で、当時の教師のご多分に漏れず、”鉄拳制裁”もときにあったが、別の体育教師のようにゲンコツではなく、平手ビンタだった。
何より、つねに生徒を笑わせ、和ませる雰囲気を醸し出していた。道徳の時間、近くの公園にクラス皆で遊びに出たり、体育の時間に雨が降ると授業そこのけで、教壇で手拭いをかぶり、安来節を唄いながらドジョウすくいを踊って見せた。
僕が中3に進んだ春、きんめい先生が病気で休んだ。大腸癌だった。そして、体育の日の直前に死んだ。まだ27歳だった。
先生が休む前、「こうするとハライタが治る」と言って体育館で逆立ちしていた姿を思い出した。葬儀には、地元が同じで一学年下のラジオパーソナリティ、つボイノリオ氏も参列した。あの日の空の青さは、きっと東京オリンピックのときに匹敵する秋の青だった。
後日談がある。きんめい先生には年子の妹さんがいる。つボイ氏の同級生。彼女から聞いた話だ。
今伊勢中のバスケ部で、坪井後輩を鍛えた先生は、一宮高では陸上部に入った。専門は中距離。その秋、つまり東京オリンピックの年に、先生は聖火ランナーとして、一宮市内を走った。

だから、体育の日は10月10日でなければならないのだ。

縁結びの神様に誓う

早や10月。8日に一宮むすび心療内科は開院半年を迎える。お蔭様で大過なくここまで来られたことに感謝したい。きょう午前は台風18号迫りくる中、市内NPO法人「まごころ」でうつ病のお話をした。聴いて下さった40人のスタッフ、介護ボランティアの方々の熱気に、会場は冷房が必要なほどだった。

最初にうつ病のレクチャー。後半は更年期うつ病のお母さん役を選び、家族役とともにロールプレイをしてもらった。うつは体内の恒常性リズムが乱れているのが問題で、その回復のための処方箋について解説した。とくに中高年女性のうつ病には、食事療法として青魚と豆類が有効との内容が関心を呼んだ。参加者はやはり女性が多数派を占める。
生化学的にはω(オメガ)-3脂肪酸といって、イワシ、サバやサンマ、マグロなどに豊富に含まれる抗酸化物質がうつからの回復に一役買っている。TVの健康番組でもよく特集されるので、聞いたことのある方も多いだろう。医学研究データも豊富にある。また、大豆が含有するダイズサポニンは女性ホルモン様物質で、ストレスに良いという報告もある。
これからの時季に抑うつが悪化する「季節性感情障害」(頭文字をとってSADという)も女性に多い非定型うつ病のひとつだ。これには日照時間が関わっているとされる。防止法は起きたら朝日を浴びる事。「早起きは三文の得」はこのことを指していたと僕は推測する。体操などしながら20分過ごしてください。そんな時間はない?余裕を持った生活が予防の第一歩です。

今回は、最近話題に上ることの多い”新型うつ”も詳しく説明した。
従来型のうつは、メランコリー親和型と呼ばれて几帳面な中高年に多いのと比べ、新型はディスチミア親和型とも呼ばれ、周囲より自分に関心が向く自己愛型で、青年層に目立つ。
苦労や困難を回避し、責任を他者に向ける傾向が強い。「僕がうつになったのは、上司にパワハラされたせいです」。ときには「私、うつなので1ヶ月の診断書書いてください」と要求される。休職中に海外旅行を楽しむひともいるようだ。
これは明らかに従来型とは異なる。薬があまり効かない。症状がくすぶり、なかなか完治しない。ただ、単なるなまけやさぼりとは違うのは、何らかのストレス体験を契機に生じ、回復すれば別人のように変わることだ。周囲はただ本人の問題点を指摘するだけではなく、まず傾聴し、状況によっては叱咤激励することも必要だろう。
「まごころ」では、高齢者の介護サービスとともに、若い年齢の発達障害の人たちを支援していると聞いた。彼らの中に、適応障害から新型うつになって悩んでいる人がいるのも確かだ。

旧暦で10月は神無月。全国の神様が出雲国(島根)に集まって留守にするのでこの呼び名がついた。なので出雲では神在月(かみありづき)と呼ぶのだが、そのご当地、出雲大社の権宮司・千家国麿氏と高円宮家次女の典子さまが本日結婚された。同大社は縁結びの神様で名高いが、この「縁」は婚姻だけではなく、すべての関係を結ぶのにご利益(やく)があるということだ。
一宮むすび心療内科もこれから、患者さんとの結びつきを大事に診療していきたい。
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