2014年08月

メメント・モリ

降ったりやんだりの「終戦の日」となった。約300万人の犠牲者を出した太平洋戦争終結の日。いまや戦後生まれ人口が8割にのぼる69回目の夏に、ある本から、想う。

Memento -Mori (メメント・モリ)。ラテン語で、死を想え、という意味。僕がこの言葉を知ったのは昭和58年、同名の題がついた写真集でだった。著者は「東京漂流」で衝撃を与えた写真家・藤原新也氏。インドに取材し、大地に横たわる裸の遺体の足をかじる犬のフォトに、”ニンゲンは犬に食われるほど自由だ”のキャプションをつけ、物議を醸(かも)した。
昨日、久しぶりに書店巡りをして手に取ったのが、25年ぶりに写真・コピー文を追加した21世紀版(三五館発行)。表紙の色が黄金色から銀色に変わり、よく見ると紙幣の透かしのように、花が写っている。いっぽう僕が持っている旧版は、27刷のロングセラーとカバー裏返しに記されている。皆さんのなかに読まれた方がいたら、感想を教えてほしい。

「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」の一行で始まる序文。「いのち、がみえない。生きていることの中心(コア)がなくなって、ふわふわと綿菓子のように軽く甘く、口で嚙むとシュッと溶けてなさけない」と続く。
以降、乳海(ちちのうみ)から天鏡(てんのかがみ)まで6章にわたり、国内・アジアで撮影した73作品が並ぶ。薄暮なのか全天が鈍(にび)色の下、水平線まで波頭がきらきら輝く1枚目。右端に「死の瞬間が、命の標準時」とある。
この本は、写真集というにはあまりにも文章が脳髄に突き刺さる。
おそらくインド・ガンジス川岸辺での死者の野焼き風景。足の裏からのアングルショットに添えられたコピー文を引用する。
「ニンゲンの体の大部分を占める水は、水蒸気となって空に立ち昇る。それは、雨の一部となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。何パーセントかの脂肪は土にしたたり、焼け落ちた炭素は土に栄養を与えて、マリーゴールドの花を咲かせ、カリフラワーを育てるかもしれない」
全編の中で、20代当時の僕の脳裏に焼き付いているのは、次の二つ。
*前垂れをつけたお地蔵さんの胴体だけの群れ。百数十体並ぶわきに
「墓につばをかけるのか。それとも花を盛るのか。」
*ふくよかなアジア系女性がトップレスで四つん這いになるのを右横アングルから狙う。顔だけカメラ目線で歯を見せ、垂れる乳房を左手で押さえる。濃すぎるアイシャドーの笑顔が途轍もなく自然に映る。
「人間は肉でしょ、気持いっぱいあるでしょ。」

久しぶりに、墓参りに出かけた。そこには、昭和20年7月ビルマで戦死した祖父や、終戦の2か月後7歳にして疫痢で没した叔父が眠っている。正午には降っていた雨もやんだ。用意した手向けのホオズキを供え、合掌した。

黒と白、左と右

昔からマイノリティー(少数派)への関心が他人よりも高いと思っていた。その最大の理由はおそらく、僕自身が左利きだから。8月13日は「左利きの日」。(イギリスの支援団体代表者の誕生日らしい)

部屋を見渡してほしい。はさみ、缶切り、ゴルフクラブ、iPadのロック解除の方向、、、。みな、右利き用。文句をつけているのではない。左利きの割合は古今東西1割かそれ以下だ。どちらかのためとなれば、選択肢は決まっている。
国別に比べると日本は左利きが高いほうで、アメリカは数%というデータもあるが、政治のトップは逆。安倍晋三首相は”右”(ナルホド)、バラク・オバマ大統領はレフティーだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチは有名で、彼からの類推もあるのか、左利きには天才が多いという俗説がある。厳密に調べた研究をご存知の方がいたら教えてほしい。大脳半球の左右差に根拠を求めるのがどこまで科学的なのか。

僕の世代なら、麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」(千家和也作詞)を真っ先に思い出すだろう。彼女は後年こう述懐した。「このタイトルで大丈夫なの?と思った」。1973年の曲発表当時はまだ左利きに対する偏見が残っていた。「ぎっちょ」という言い方が普通だった時代。
少し下って、ピンクレディーの「サウスポー」(1978阿久悠作詞)になると風向きは変わる。今やSKE48が「キスだって左利き」(2012秋元康作詞)と堂々歌う。

影響を受けたレフティー有名人は、ポール・マッカートニーとシルベスター・スタローンら。高校1年の下校途中、名駅シネマに「ロッキー」(ジョン・G・アヴィルドセン監督)を観に行った記憶は生々しい。
明け方、牛乳に生卵を(僕は一つ)入れて飲み、部活の朝練に励んだ。日曜、ポールの「バンド・オン・ザ・ラン」を聴きながら、冷凍倉庫に吊るした牛肉の代わりに、柱にぼろ布を巻いて突きを入れていたっけ。

今日の外来最後の患者さんは左出蹴留造さん(42歳)だった。自分を主張することが苦手。いつも家族の尻にひかれたような状態で煮え切らない。診察には妻でなく、男まさりの女友達がついてくるので、わけを聞くと「趣味のキックボクシングで知り合った」という。びっくり仰天の助、という印象。ナイーヴすぎる性格を蹴りで発散しているのかもしれない。
何となく感じるものがあったので、聞いたらやはり「左利きです」という。利き足を尋ねるのを忘れたが、おそらく左なのだろう。キックの鬼・沢村忠とは逆だ。

「♪あなたに合わせてみたいけど、わたしは右きき、すれちがい♪」―――白人のポールが作った黒人歌手スティービー・ワンダーとのデュエット曲「エボニー・アンド・アイボリー」(1982)は、黒と白の鍵盤がピアノの上で調和共存しているのに比べ、どうして私たち人間は、、、と嘆く。
右と左。 Right  だけでなく Left も ”正しい”時代が来るのはいつか。

御巣鷹のPTSD

1985年8月12日午後6時56分、日本航空(JAL)羽田発大阪行123便は、群馬県・上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員520人が死亡する単独飛行機事故史上最悪の惨事となった――

その夜、盆休みで帰省した僕は何気なくテレビを見ていた。午後7時何分かまでは覚えていない。速報テロップが流れた。「ジャンボ機がレーダーから消えた」。すわっ、一大事!新幹線で東京に取って返すと、翌早朝に群馬に向かった。
東京社会部新米記者として命じられたのが、藤岡市の病院待機。生存者到着の情報が入ったからだ。奇跡的に助かった女性4人のうち、吉崎博子(当時34歳)美紀子(同8歳)さん親子が担架で運ばれてきた。
以来、吉崎母娘の担当となった。当初は、練馬の実家に各社押しかけた。1年後の8月12日、居間まで上がり込んでインタビュー記事を載せたのは、ウチ(中日新聞社)だけだった。その時のことを今もありありと思い出す。
あごの傷あとがなければ、どこにでもいそうな親子と祖母が、ごろ寝でくつろぐ。テレビCMで「亭主元気で留守がいい」というのを聞いた美紀ちゃんが博子さんを見上げていった。「ママ、ひどいね」。美紀ちゃんはあの事故で父と兄妹を亡くしているのだ。
そして、祖母の言葉。「マスコミは節目、節目っていうけどさぁ、悲しみに節目はないじゃんねぇ」。

PTSDという精神疾患がある。Post  Traumatic  Stress  Disorder の略。心的外傷後ストレス障害と訳される。
天災や事故、犯罪など命に関わる恐怖にさらされ、心身の統一が保てなくなり、フラッシュバック(当時の記憶の想起でパニックになる)などの症状が表れる。
ポイントは、誰もがかかりうる疾患であることだ。特効薬的な治療法はないが、有効とされる技法に認知行動療法やEMDR(リズミカルな眼球運動などを利用し、つらい記憶を非侵襲的な性質に変える心理療法の一種)がある。
吉崎母娘が東京に搬送され入院しているとき、震度5の地震が起きた。病室の窓から見える東京タワーが揺れた。あの日のことを思い出し、恐怖に震えた。ジャンボ機の垂直尾翼が吹き飛んだのが18時24分。墜落までのダッチロールの32分間が、地震で甦った――

一宮むすび心療内科には、PTSDの患者さんが何人も受診してこられる。ある40歳の男性は、幼少時親に捨てられ、阪神大震災で罹災し、その後働いたビル建設現場の5階足場から転落し、途中で引っかかって一命を取り留めた。僕が初診で見たときは、自分の名前が言えない全健忘状態だった。今は、ひとりで何とか生活している。
こころの傷、とひとくちにいう。現実は、なま易しいものではない。しかし、希望はある。インタビューの日、吉崎美紀子ちゃんは事故後始めた一輪車で5,6回漕げるようになったと教えてくれた。37歳になった今、何回まで上達しただろうか?


風雲灸を据える

台風11号が高知県に上陸した。その前夜、「野球(8・9)の日」の甲子園開幕が延期、などと考えていたら、8月9日は「鍼灸(はり・きゅう)の日」でもあることがわかった。で、本日はそのお話。

「ハリ」とか「ツボ」という言葉を聞いたことのない人は、いない。もっとも、その精確な意味を知っている人は意外と少ない気がする。
鍼灸(しんきゅう)は、中国(前漢から後漢の時代)発祥の経験医療。皮膚のある点を刺激すると、体が反応することを利用して、痛みやつらさを取り除く技法。陰陽五行説といって、自然(木・水・土・金・水)と人体は呼応しているという思想をもとに理論が組み立てられた。それが日本にも伝わり、独自に発達した。
漢方医学で、薬草を煎じて内服させる体内からの治療法に対し、触覚を利用した体表からのアプローチ法として、視覚障害者の生業としても貢献した。
明治維新で西洋医学一辺倒となったのちも民間医療として継承。戦後の東洋医学復権とともに専門学会が設立され、科学的な検証を含めた進展が期待されている。鍼(はり)が金属の細い針を使うのに対し、灸(きゅう)は、ヨモギの葉で作る艾(もぐさ)に点火して体表のツボに温熱刺激を与える。

とまあ説明すると、難しくとらえられがちだが、論より証拠。僕自身がその効果を実感している。4年前の冬に階段から転げ落ち、右足の腱を損傷した。その後、ときおり古傷が痛むが、そのつど市内の鍼灸院で治療してもらっている。
面白いのは、キズの痛みが取れるだけでなく、体調も回復するということだ。
人体には361のツボがあるとされる[経絡(けいらく)と呼ばれる]。この数字は1年(365日)とほぼ一致するが、これは偶然ではない。人間は自然の一部であり、体内には人体のエネルギーの素である「気」と、その物質化した「血」の通路があるとする考え方が背景にある。その通路が、地下鉄マップみたいに、からだじゅうを巡っているのだ。だから、足が痛いのに、そこから離れた背中に鍼を打つことで痛みがとれるというわけだ。

元禄2年春、松尾芭蕉は江戸を出るとき、お灸をした。「三里に灸すうるより、、、」。三里とは膝頭の少し下、外側にあるツボで、疲労困憊でもそこに灸を据(す)えれば、文字通りあと12㎞は歩けるとされた。全行程600里、150日の旅路は「おくのほそ道」を読めばよい。
書き綴るうちに、テレビで台風情報が告げる。避難勧告が40万人以上に出ている。風雲急を告げるがごとし。
古傷が痛みだす前に、手持ちのもぐさで灸を据えよう。




青天の霹靂

せいてんのへきれき。青く晴れ渡った空に突然激しい雷鳴が起こることから、予期しない突発的な事件が起こること(故事ことわざ辞典より)

広島原爆忌の6日、愛知県扶桑町の誠信高校グランドで野球練習試合中、突然落雷がA投手を直撃し、落命する悲劇があった。新聞記事によると、大雨でいったん中断した第2試合再開後、晴れ間の下で雷に打たれた。2回裏最初の打者へ第3球を投げた瞬間、ダイヤモンドは稲光に包まれた。倒れたA 君の野球帽が焦げ、ユニフォームは胸の部分が裂けていた。
当時、愛知県全域には雷注意報が出ていたが、雨は上がり、太陽が雲間から覗いていた。バックネットには避雷針が12本。試合再開は不用意だった、とまではいえまい。少年野球経験者として言えば、普通なら試合をしたいに決まっている。要するに、事故だ。A君にはたいそうお気の毒だが、、、。

突然、といえば、その前日、日本中を騒がす出来事があった。こちらは自らの「意思」で行ったことだから、同列に扱うのはどうか、という考えもあるのは承知で記す。
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井副センター長の自死。小保方ユニットリーダーのSTAP論文の実質的執筆者として、半年前はメディアの寵児として迎えられた。わずかの間での凋落。事実憶測ないまぜとなった報道の嵐にさらされ、飲み込まれた。
僕自身、読んでいて憤慨するような扇動記事もあり、暗澹たる心持ちになっていた。その記事を支持する”普通の人々”、、、。遺書の内容を報道するメディアもあるが、この段階で”公表”されても、他人の不幸を蜜のように舐めまわす人々の材料になるのみと思う。せめてもの救いは竹市CDBセンター長が「彼は早くから責任を感じ、副センター長辞任を申し出たが、事情で適わなかった」と述べたことか。
副センター長は心療内科に通っていた、という。 助けられなかった医師の気持ちをいま、僕はおもんぱかっている。「なぜ、彼はその道を選んだのか?」。
うつ病極期の時のヒトの脳は、自分の「意思」ではコントロールできない地点にまで人を運んでしまうことがあるのは、心・脳の専門家なら先刻承知だ。世界レベルの科学者である彼が、それを知らないはずはなかった、と思いたい。

雷に打たれたA君の対戦相手高と笹井芳樹君、そして僕の出身高校は同じだ(笹井君とは同級)。その偶然が、今日のコラムを書かせた原動力だ。青天の霹靂。まだ、こころが痺(しび)れている。
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