2014年07月

Re: Born のために

Bruce Osborn(ブルース・オズボーン)という写真家をご存じだろうか? 僕はきょう初めて知った。
コラムのネタに迷うとき、よく開く検索が「きょうは何の日?」。そこに、「7月第4日曜は”親子の日”」とあった。

彼、オズボーンは1950年アメリカ生まれ。30歳で来日し、「親子」写真をライフワークとし、いろいろなジャンルで作品を手掛ける。日本人の妻と、2003年から「親子の日普及推進委員会」を発足、愛・地球博でも親子写真展を開催した。
オズボーン氏はいう。「この日を通じて、すべての親子の絆が強められたら素晴らしい」。5月第2日曜が母の日、6月第3日曜が父の日だから、親子の日は”ゴォ、ロク、シチガツ、ニィ、サン、シィニチヨウ”と相成った。洒落が好きなのは落語好きの日本人ばかりではないのだ。(ここで桂三枝(当時)のテレビCMを思い出す人は僕と同年配以上なハズだ。ハッキリ、クッキリ、グゥッ)。ちなみに親子の日は日本記念日協会から公式認定されている。

その親子の日翌日にあたる28日、こんな患者さんが一宮むすび心療内科を訪れた。
傷奈寧子さん(仮名・18歳)。生まれてすぐ、アルコール依存の父から虐待を受けた。双子の姉も一緒だ。父のふた周り年下の母は、父の稼いだ預金通帳を持って男と蒸発。寧子さんたちは施設に預けられ、中学に入ると、父方の親戚に預けられた。
高校入学後は、父のもとで暮らす羽目になる。それでも頑張って卒業だけはすると、逃げるように就職。パチンコ店の寮に住み込み、働いたが、上司からちょっと厳しい言葉を受けるとビクつき、いらいらし、連絡なしに寮を飛び出した。彼氏のもとに走るが「自分で播(ま)いた種」と手厳しすぎる対応をされ、インターネットで探した当院にたどり着いた、というもの。
下手なドラマでもこういう筋書きは書かない。あまりにも、の展開だからだ。しかし、現実にはこういったケースはまれではない。精神科・心療内科で働いていれば、こうした経験を持つ医療者は多いハズだ。

悲劇の星の下に生まれる、という表現はノンフィクションでは使い古しの言葉だ。彼女の星は、と嘆くより、過酷な運命を少しでも良い方向へ導く手助けをするのが、僕らの役目と心得る。道は遠く、険しいが。
親子の日発案者のオズボーン氏ならどういう言葉、いや写真を撮るのだろう。寧子さんとアルコール依存から立ち直った父がツーショットで微笑む写真を見てみたい。その写真の署名欄にはひとこと、こう添えてほしい。
Reborn のために。

河童の不安を流すには

東海地方は海の日に梅雨明けし、いよいよ夏休みシーズン到来。子どもたちは、海へ山への楽しい時期を過ごすのだろうが、それに合わせて水の事故も増える。水にさらわれるのは、妖怪・河童(かっぱ)の仕業という言い伝えが各地に残るのも悲しい話だ。きょうは芥川龍之介の命日・河童忌。

芥川は昭和2年7月24日、自ら命を絶った。昭和元年は大正15年12月末の1週間のみだから、改元約半年後の出来事。35歳4か月の人生だった。太宰の命日が晩年の著作と季節にちなんで桜桃忌とされたように、芥川のそれも同様な名づけ方だ。
彼の小説「河童」は、ある精神病患者が上高地から穂高に登山する途中で河童の国に迷い込み、人間とは真逆の社会に住む河童たちと交流する様子を描くことで、人間社会の愚かさを風刺した佳作。死の直前の作品には、彼の病理が表れている気がする。
初期の理知的で古今東西の膨大な博識を土台に構築された作風が、晩期では変質し、最後はシニカルになっている。死への憧憬と忌避の葛藤がこの時期の作品には目立つように僕には読める。
よく知られているように、芥川は遺書に「唯ぼんやりした不安」と書いて、主治医である歌人斎藤茂吉(作家で医者の北杜夫の父)からもらった睡眠薬を多量服薬した。軍靴迫りくる時代の変遷の中で彼が何を考えていたのか、、、。


クリニックに来院する患者さんのうちで一番多いのは「うつ状態」の人たちだ――寝られない、気分が落ち込む。やる気が出ない。些細なことで気がいら立つ。あちこちが痛い、しびれる、めまいがする、動悸がする、吐き気が止まらないなど身体症状が内科的検索で異常ない――。
そんななかで、彼/彼女らに目立つのが「不安」。以前は不安神経症と呼ばれていた不安障害が合併している場合が多い。両者の関係は数学のベン図でいうA⋂Bである。病的不安(たとえば消防車のサイレンが聞こえると自宅が火事だと思い込んでしまう)のある人がうつ病になるリスクは、そうでない人の何倍かになる。脳の中で同じ場所が関係していることはわかっているが、さらにその奥の原因や根本治療法となると、精神医学・脳科学の今後に期待、というところ。ただし、水源が不明でも清流の水を飲むことはできる。治ることは十分可能なのだ。

芥川は幼少時、実母が精神を病み、養子に出されている。つねに”発狂”の不安があったという。僕の座右の銘のタネ本である彼の警句集「侏儒(しゅじゅ)の言葉」にはこうある。「わたしの持っているのは神経ばかりである」。歯痛を取り除くには神経を抜くことだろうが、彼の不安を取り除くには、、、やはり、自死の道しかなかったのだろうか?
日本にはよいことわざがある。「水に流す」。森と土に水。日本は本来、自然に恵まれた国である。近代文学の天才である芥川にして克服できなかった不安に悩むみなさんに伝えたい。水に流そう。

会社のお医者さん

光学機器会社リコーが、希望退職に応じなかった社員約100人に命じた出向・配置転換を取り消すことになったと、新聞記事に出ていた。このうち2人との間で裁判となり、「人事権の乱用」と和解判決(東京地裁)が出たのがきっかけという。
僕は以前から産業医をしている。多くの人は医師というと、臨床現場で働く”お医者さん”のイメージしかないと思われるので、この機会に少し書いておきたい。

産業医とは、会社で働く医者のことである。仕事内容は、ひとことで言うと、職場の安全・衛生管理、従業員の健康管理。たとえば、工場内の気温が30℃を超えるような環境なら、エアコンを入れるよう経営側に促すといった具合だ。最近はメンタルヘルスに関する需要が高まっており、人間関係の調整が産業医業務となることもある。昨今の2大長期休職者は、慢性整形疾患とメンタル不調者が占めている。
労働法に基づいて所定の資格を持つ医師が選ばれるが、現実には産業医を選定していない小規模事業所もある。ひとつは、産業医の必要性が労働現場でしっかり認識されない実態があったと推測される。コスト・パフォーマンスの問題は無視できないが、法律では50人以上の従業員を雇う事業所ごとに産業医の選任が義務付けられている。
医師の側にも、医学の王道は臨床医もしくは基礎研究医という風潮がないかというと、否定はできないだろう。(産業医科大学という産業医育成機関があることを記しておく)。

産業医の一番の特徴としては、会社の立場と従業員の立場の調整役が挙げられる。ことをメンタルに限定していうと、臨床の精神科医は患者さんの治療の際、会社の都合は基本的に考えない。彼 / 彼女が休職することで会社にどれだけ影響が出るか、などと考える必要はないからだ。
いっぽう、メンタル担当産業医はそういうわけにはいかない。社員のメンタル休職で業務に支障が出て、めぐり巡ってその社員の立場が難しくなり、結果的に本人に不利益になる、ということはよくあることだからだ。裁判になぞらえてみれば、被告人(=患者)を挟んで、弁護人(=精神科医)と検察官(=産業医)が対立する図式といえる。

メンタル担当産業医としては、上に書いたように、長期休職者の対応には頭を悩ます。「うつ」によるものが最多だが、うつにもいろいろある。これは後日、別稿でお伝えしたい。
リコーの件は記事を読んだだけだが、なんだか堺雅人の”倍返し”を思い出していた。いやな言葉だ。お利口(りこう)さんだけが得をする世の中であってほしくないと感じるこのごろ。



「せいぎのぎせい」を避けるには

三日続きの猛暑日。涼を求めて昼、たまに行くうどん屋の暖簾(のれん)をくぐった。私見では地元いちばんの味噌煮込みを出す「K」。今日のお目当ては冷やしうどんの「ころ」だ。

民芸風の落ち着いた造り。隣席ではビールで顔を赤くしたおじさんが、上機嫌で野菜テンプラをつついている。ほどなく運ばれた「ころうどん」につゆをかける際、向かいの座席越し頭上に畳大の仕切り暖簾が目に入った。
和紙様の生地に太鼓腹の中年男性が描かれている。明らかに手描き。半袖短パンで椅子に腰かけてビールジョッキを掲げている。そのわきにひとこと「真夏生」。
「まなつ、なま。後ろから読んでも、まなつなま。回文だね」と、両脇のお客さんに気づかれない声でつぶやいた。
笑ったのは、その直後だ。中年男の足下にも回文が書いてあった。「ダメだ 総理ウソ ダメだ」。

一瞬、集団的自衛権の説明で、国内と海外で方便を使い分ける安倍首相の顔が浮かんだ。がしかし、この暖簾はその前から描かれたものかもしれない。もはや新聞記者でない身には、店の人に取材しようとは思いつかなかった(こうやってコラムを書いている今は、訊いておけば文章に”厚み”が出たのに、とくだらないことを考える)。
もちろん、改めて考えるまでもなく、”安倍ちゃん”の前の顔ぶれを思い浮かべても、暖簾の回文は十分通用するのだ。


さて、件(くだん)の暖簾男である。上等のつるつるしこしこうどんを喉に流し込みながら、即席回文を考えていたが思いつかなかった。韻(いん)を踏むのならできると、こしらえたのが「戦争、よそう」。そして、しげしげと暖簾の男を眺め直すと、胸の真ん中のキャラクターがなんと、アンパンマン! 
作者のやなせたかしさん(享年94歳)は戦争従軍経験からあのキャラクターを思いついたというエピソードは有名だ。やなせさんはこう言っていた。「ほんとうの正義というものは、決して格好のいいものではないし、そのために必ず自分も深く傷つくものです」。

心と体を病む人々を、「治療」の名のもとに医療者の論理の世界にからめとることはしていないか? やなせさんの言葉を知ったとき、つねに問いかけられる気がしたものだ。「正義の犠牲」を出すことはしたくない。そうおもいながら、明日も外来を続ける。

雨ニモ負ケズ

予想以上の速さで日本列島を駆け抜けた台風8号。おかげで、11日(金)は晴天のもと外来を開くことができたが、翌日興味深い患者さんを診察したので報告する。

雨羽弥太郎さん(仮名25歳)は5月、母に連れられ当院を訪れた。主訴は「雨や人混みで体が動かなくなる」。
こうした場合の常で、あちこちの内科やメンタルクリニックを経てやってきたケースだ。紹介状はない。以前ついた診断は解離性障害や発達障害など。大学病院では知能検査も行われ、IQは95。(下位分類の細かい内容が知りたいが不詳)。いずれにせよ、ひとつところで落ち着いて治療を続けることができなかったようだ。

雨羽さんは2人兄妹の長男。幼少時に両親が離れ、母親に育てられた。プラモデルが趣味で、ボール投げは苦手。中耳炎を繰り返す体質で、頭痛持ち。ずっと雨が苦手だったかははっきりしないが、傘をさすのは嫌いだった。人付き合いはおくてで、友人は少なかったという。
特記すべき出来事は19歳での事故。雨の日に自転車に乗り、彼が赤信号で交差点に突っ込み、乗用車とぶつかった。記憶がないため詳細は不明。その後しばらくしてから、いやなことがあると記憶が飛ぶ。いきなり暴れることもあるという。

心理検査では他者配慮に欠ける面があり、それと好対照に事実に忠実な点や、これまでの経緯を合わせると、以前の診断で大きな齟齬(そご)はない。問題は症状がよくなるかどうか、の一点。
発達障害のなかには薬剤に極端に過敏なひとがいる。僕はある非定型抗精神病薬を通常の10%の量から始めた。副作用なし、効果もなし。徐々に増量し、20%で有効、ただし1日持続しない。40%で有効かつ持続した。当然、彼の訴えを傾聴する精神療法も併用である。
結果、今回の台風のなかレンタルビデオ店にひとりで行けたと喜ぶ。硬かった表情に笑顔が出てきた。

最近、京都大医学部の研究グループがリウマチ患者2万人以上のデータを統計解析し、腫れや痛みと、症状の出る3日前の気圧に相関関係があることを解明した。僕にも、「雨が降る前に頭痛がするので私は天気予報ができる」という患者さんが何人かいる。

つねづね主張しているように、ひとは自然の一部である。気圧や天候といった外部環境と患者さんの体の内部環境はつながっていると考えるのが心身医学である。今回、雨羽さんが新薬でよくなった理由の分析は必要だが、心身一如(しんしんいちにょ)の態度で患者さんに接していくことが”基本のき”であることには変わりがない。









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