2014年04月

降る雨や 昭和は、、、

昭和の日が過ぎようとしている。平成の御世(みよ)を迎えて四半世紀が経ったことに感慨にふけるのはおそらく、むすび院長より上の世代だろうが、今夜は少し、昭和天皇の言動と絡めて考えてみたい。
入江相政侍従長日記によれば、昭和天皇はあるとき、皇居で侍従長らが刈り取った草について「雑草という草はない」と話したという。生物学者としての側面を持つ昭和天皇は、ひとつひとつの草々にも固有の名前があることをいわれ、名も無き人々への思いを込められたと解釈されて、かなり有名なエピソードの一つとなっている。
今でこそSMAPの「世界にひとつだけの花」を思い起こさせ、なんということもない内容に思えるが、平成バブルを経験する前の”昭和人”にとっては、これはかなり重大な意味を含んでいたと考える。それは、昭和20年をさかいに、国家の君主(臣民という”赤子の親”)から、国民の象徴(民主主義の忠実な信奉者)への転換の意義を顕わす発言としてである。
平成時代のものの考え方として、昭和のそれとは大きく異なると感じることがある。キーワードは「環境」そして「多様性」。地球温暖化を学ばぬ中学生はいないし、DNAが遺伝に関わることを知らぬおじさん・おばさんもいない(はずだ)。金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」はSMAPのうた同様、若者の人口に膾炙(かいしゃ)している。医学の世界でも足並みはそろっており、STAP細胞の話題も、多様性を生み出す同一細胞のフシギが大きなテーマである。つい最近、なるほどと膝を打った医学ニュースを紹介しよう。心臓は体内で唯一、勝手に、しかも規則正しくリズムをうつ細胞でできている(これが乱れると死に至る)。その細胞群が実は一つ一つは全く違った性質の細胞の組み合わせであり、同じ性質にそろえると、自律性は失われてしまうというのだ。これは見方によってはすごいことである。マスメディアはオボちゃんばかり追っていてはいけない。
違いから、同一性が生まれること――いまだにスマホに馴染めず、機種変更を渋っている昭和アナログ人間から最後に一首。         降る雨や /  昭和は靄(もや)の /  彼方なり  (中々クサッ田 男)

コイの季節、奮起せよドラゴン!

公園の桜も目にやさしい青葉色となり、ツツジやフジの咲き並ぶ姿が外出を誘う陽気となりました。今年は「飛び石」となったゴールデンウィークの開始ですが、昔、木曽川で戯れた石切りで15回の記録を作ったのを思い出します。(遊んだことのない御仁のために;平べったい石をサイドスローで川面に投げ入れ、石が跳ねた回数を競う。今回ネットでチェックしたら世界記録は51回らしい)。
GW後半のこどもの日に向け、むすび心療内科近くの本町商店街には、立派な鯉のぼりの群れがアーケードの下、泳いでいます。かたや、プロ野球のセリーグでは広島東洋カープが絶好調。カープは鯉のこと。虎や大男軍団を抑えて首位を走り、鯉の滝登りならぬペナントレース街道まっしぐらです。
本題はここからなんですが、われらクリニックにも野球キチ、、もとい、大好きおネエさんがいまして、これが根っからのドラキチでやんす。この点では院長との波長はばっちグーでありまして、今季から監督兼任となった谷繁捕手にエールを送っているんですが、彼女いわく、「シゲシゲ(谷繁をこう呼ぶ)もセンセイ(僕のこと)も、プレーイング・マネージャーで一緒だね」。う~ん、なるほど。そのとおり。となると、スタッフは選手、患者さんは観客。ナゴヤドームに足を運ぶ皆さんに、いかに満足する野球を見せられるかが、ドラゴンズ選手たちには課せられているわけで、つまり、むすびスタッフにも同じことがいえるのです。日々の診療の”勝率”を上げるだけでなく、納得のいく治療をして、帰っていただくか。
野球と診察をいっしょくたにするなよ、と思われるブログ読者の方には、こう言いたいのです。「たかが野球、されど野球(江川名言)」 「たかが診察、されど診察」。その道は、途轍もなく遠いのを自覚しつつ、、、。
 註;中国の故事で、鯉は滝を登ったあとに変身するのですが、その姿こそ、竜!

1984+30=?

認知症の91歳男性が徘徊で列車にはねられ、死亡した末、家族がJRから損害費用請求された訴訟の控訴審判決が出た。名古屋高裁は介護認定を受けている85歳の妻に監督責任を認め、360万円の支払いを命じた――
やるせない、という表現しか思い浮かばなかった。今回の事案でポイントはいくつかある。キーワードの一つが「責任」だが、認知症という(程度にもよるが)自分で自分の責任を負えない病気の人の責任はどうあるべきか(もし男性が生存していたら、損害請求は本人にいくのか?)。家族がその責任を負うとしたら、それは成熟した法治国家として当然の姿なのか?徘徊老人の保険料は今後どう計算されるのか?――
しかし、ここでは次の点を挙げて考えたい。キーワードは「監視社会における人と人の結びつき」。今回の訴訟で一審判決は「自宅出入り口のセンサーを作動させなかった落ち度」を家族に求めている。徘徊自体は病気の症状だから仕方ないとしても、それによる社会的損失を防ぐ手立てがあり、それを実行しなかった点に過失があると断じているのだ。なんだか、うそ寒く感じるのは、むすび心療内科院長だけだろうか?徘徊老人をGoogleマップ上の記号に転化することで、行方不明の危険から救出できることも承知の上で、院長は訴える。「好きにさせい!!」。控訴審にしても、JRにも安全向上に努める責務があるとした点で、一審より評価すべきなどというレベルの問題ではない。
スフィンクス曰く、人には3種類ある。4本足のひと、2本足のひと、3本足のひと。近代社会では人と呼ばれるのは2本足だけであり、より自然に近い4、3本足は排除される定めにある。ジョージ・オーウェルの「1984年」から人類は30年も生き延びてきたが、そろそろ限界なのかもしれないと、今回の出来事に沈む院長であった。

スシ食いねェ!

アメリカのオバマ大統領が来日し、安倍首相と銀座のすきやばし次郎で「寿司会談」をした。日米関係の新たな構築に向け、首相は大統領の好物である寿司をネタに、TPP交渉や沖縄・尖閣諸島問題などの新たな糸口を模索するもようだ。[某新聞配信記事を編集]
いきなりここで話題は院長の好物にワープします。とある銀行のインターネット口座では最近、本人特定の関門として、個人的質問をするようです。「好きな食べ物は?」とネット文字が訊いてきました。僕の答えは「すしとスイカ」。その理由(わけ)を最近までこう思っていたんです。
――幼稚園に上がる前、寿司屋の乗用車にはねられた。幸い入院せずにすむ怪我だったが、相手が見舞い寿司とデザートの西瓜を大盤振る舞い。そのとき周囲から心配され優しくされた。以来、すしは僕の大好物。深層心理的には、弟ができ、甘えたくとも甘えられない時期にじっとガマンしていた男の子に降ってわいた天佑(てんゆう)。その時の味覚は、プルーストの描いた、紅茶に浸したマドレーヌのように、記憶の奥底に沈潜し、いまも好物となって再現される。
精神医学をかじり、医者となって分析気取りのこともする立場ではあるのですが、先月、父親の葬式で親戚が集まった際に、身内の話題が続き、「そういえば、おまえさんとこの博ちゃん(父の名前)もじいさんも酢飯がすきだったよなあ」。えっ?ガックリ!。
――結局、ボクの事故体験はカンケイなかったの?そういえば、親父は寿司が好きだったよなあ。いまごろ、なに言ってんだろう、このオレは。いやいや、転んでもただでは起きぬのが身上。きっとこれは、多くの病気がそうであるように、体質因(酢を好む好酸性?) × 環境因(エディプス期の事故)=スシ食いねェ。(渋柿亭監修)。

Kが有るか、Kが無いか

久しぶりのお湿りでした。開院後初めてのまとまった雨は、朝の診察前には上がり、午後診の前には晴れ上がっていました。お日様が燦燦(さんさん=sunsun)と降り注ぐのは気分がよく、雨なんか降らなければ、とも思いがちですが、考えてみれば、生きとし生けるもの、光と水の両方があるからこそ輝きと潤いを保てるのです。お肌の曲がり角に悩むわれらむすびスタッフにとっても(苦笑)。
前置きが長くなりました。HPでお読みの方はご存じでしょうが、僕は以前、新聞記者をしていました。いま、たまに患者さんに訊かれます。「先生、どうして全然違う職業に代わったの?」――おそらく、ふつうの人は、新聞記者は文系で医師は理系だから違う、記者さんはいろんな事件・事故と関わる仕事なのに、お医者さんは病気・病人が相手でしょ、と考えていそうです。でも 僕にとってはどちらも「ひと」を扱う職業という点でほぼ一致しているんです。地球温暖化で北極の氷が解ける取材だって、それによる人間への影響がどうかという点においては「人事」なのです。
医者と記者。医の旧字体は醫。これは、昔、治療には矢じりや酒に浸した薬草を使った名残りです。僕の精神科研修時代の恩師は開業した医院の字体に使い「○○醫院」としています。もっと古くは医療すなわち呪(まじな)いでした。いっぽう記は記録としてしるし、残すこと。記者の栄誉ある別称・ジャーナリストのジャーナルは日誌のことです。
地域心身医療にとって、日々の患者さんとの”格闘”を記録し続けることと、薬や言葉を駆使して治療することのあいだに、本質的な差はありません。――そう、せいぜい、「K」の頭文字がある(記者)か、ない(医者)かの違いくらいです。KOIDEかOIDEか。まあ、難しく考えずに、困ったら、小出のクリニックにおいで(苦笑)。おあとがよろしいようで。

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