昨日からの「台風並み冬の低気圧」は、文字通り日本列島を震撼凍結させた。けさ、駐車場で自家用車のルーフに積もった雪を測ったら手のひらの幅(約22㎝)あった。12月としては記録的な量だ。

今年を振り返って、記録といえば思い出すのが、小保方晴子女史の「STAP細胞は、ありまぁす!」。そして「200回以上作りました」という発言だ。亡くなった笹井芳樹理化学研究所総合研究発生・再生科学副センター長が論文指導したという事実から、大方の人はSTAP細胞の存在を一度は信じた。(少なくとも斯界の権威である雑誌Natureがそうだった。彼を知る僕は言うまでもない)。ただし、彼女の”200回発言”を聞くまでは。
昔、民俗学でこんなことを教わった記憶がある。熱帯ジャングルに住むある民族には、数を数える言葉として「1、2、3以上(たくさん)」しかないと。それで生活が成り立つのなら、それでよいのだろう。自分がいて、目の前に言葉を伝える相手がいて、それ以外は何人いても同じこと。なるほど。
小保方さんが”現地”で完結した生活をしているのなら問題はなかった。仮説のままで、研究者の仲間うちで興味あるトピックを今も提供していたことだろう。しかし、ここまでハナシが大きくなってしまったからには(それにはバーガンディ元教授やマスメディアの責任もあるとおもうが)、彼女には説明責任がある。本当にSTAP細胞を見つけたのなら「いつ、どこで、どのように」見つけたかを言わねばならない。科学者ではない者だってそのくらいは知っている。まあ、その結果が、今回の「ありませんでした」ということなのだろう。
科学において、新発見の輝きは無数のチリの山の一片に過ぎない。それがときおり、一人の天才や一つの偶然から生み出されるように見えるのはよく聞く話だが、実はその背後には無名の科学者の累々とした努力の積み重ねがある。
笹井氏の名声は同級生仲間から漏れ伝わって聞いていた。しかし、その努力の跡まで知るほどの親交はなかった。きょう偶然、インターネット上で彼の20年来の友人である阿形清和京都大教授の話を読み、合点がいった。(以下産経新聞から引用)
阿形氏は言う。「彼は『孤高の天才』なんです」。山岳小説家新田次郎の『孤高の人』主人公モデルの登山家加藤文太郎(1905~1936)に笹井氏をなぞらえた。加藤氏は複数で登山する当時の常識を覆し、単独登頂を次々打ち立てた天才クライマーだったが、自分を慕う後輩に懇願され、未熟な計画を立てたパーティを迷った末に組んで、厳冬の北アルプスで命を落とした。「笹井も他人の仕事に手を貸したため、悲劇に遭った」。
笹井氏がノーベル賞候補になったとされる大きな理由は、20年前の米国留学時代に神経誘導のタンパク質を発見したことだ。高校生物の教科書に載っているシュぺーマンの予想した物質の正体を70年ぶりに明かしたのだ。「笹井は『自分が謎の物質を特定する』と渡米し、予告通り実際に発見して帰ってきた。天才を絵に描いたような男だった」。
惜しむらくは、笹井氏が小保方女史と出会ってしまったことだったのか?
彼の家族には酷な言い方かもしれないが、やはり、死んでほしくはなかった。生きて、「STAP現象がある」と信じていることを科学的に検証してほしかった。よしんば、結果が否定的なものになったとしても誰もそれを咎めることはできないだろう。
風雪に耐えるということはいかに難しいか。明日は氷点下になりそうだ。