「危険ドラッグ」が原因で救急搬送された人は過去5年半で4469人に上ることが消防庁の全国調査で分かった。初年度が30人、一昨年は1785人と急増しており、当初の「脱法ハーブ」という緩やかな表現も手伝ったのか、またたく間に日本中を席捲した。
しかし、その成分の危険度は麻薬・覚せい剤並であり、リスクを冒して摂取する若者が後を絶たず、交通死亡事故も目立つ。ついに警察は、危険ドラッグ常用の疑いだけで免停を命じることができるようになった。

危険ドラッグで思い出すのは、30年以上前の映画「セーラー服と機関銃」(相米慎二監督)だ。ヤクザの組長を継いだ女子高生役をまだ初々しかった薬師丸ひろ子が演じ、最後にセーラー服姿で機関銃をぶっ放して「カ・イ・カ・ン」とつぶやくシーン。
その10年後、わが高校の後輩服部剛丈君が米国留学中に射殺され、銃社会論議に火が付いたが、いまだに状況は変わらず、同様事件が繰り返されている。

哺乳類としてのヒトは、進化するにつれて脳を大きく、複雑化させた。たとえて言うと、アボガドの種にあたるのが脳幹で、呼吸や体温など生存に不可欠な中枢がある。その周囲の実の部分が辺縁系と古皮質。ここに感情や記憶など人間が社会的動物として生きるための司令塔がある。さらにその周囲の皮にあたるのが大脳新皮質で、感情を司る知性・理性の宿る場所だ。
ドラッグ、アルコールなどさまざまな依存物をヒトは利用する。人間は他の動物と違い、ただ生きるだけでは物足りなくなった。おかげで文明を発達させ、この地球でわがもの顔をするようになったはいいが、その反面で危険を顧みることなく地球環境を破壊してきた。つまり、自分で火をつけては消す”マッチ・ポンプ”を繰り返している愚かな生き物でもある。
動物にも殺し合いはあるが、それは種の保存の観点から必要最小限なものに限られ、とくに同種どうしでの殺戮は、霊長類ではヒトとチンパンジーのみといわれる。
最近、京大霊長類研究所などのグループが行った研究によると、チンパンジーの仲間殺しは、人間による森林開発など人為的要因に関係なく、所属する群れや自らの利益のために本能的に備わっているものだという。彼らとヒトは同じ祖先から枝分かれ進化したことはわかっており、人間の暴力性の起源は、そこに遡ることができるのかもしれない。やっかいなのはヒトの場合、危険を冒すことが快感につながる場合のあることだ。

Danger(危険)の文字は、多くの人には災難を避ける警告となるが、ある者にとっては、逆に蠱惑(こわく)的にうつるのだろうか?虎穴に入らずんば虎児を得ず。危険ドラッグの使用者には、罰則よりもタイガーマスクの”虎の穴”を経験させるべきかもしれない。