いま医学分野で一番の話題といえば、エボラ出血熱だろう。西アフリカで死者が千数百人にのぼり、日々感染が広がっている。実際の患者数はこの発表分を大きく上回るため、WHO(世界保健機関)が緊急声明を出している。

人類の歴史は、疫病との格闘の歴史でもある。天然痘、ハンセン病、マラリア、、。中でもペストは14世紀、ヨーロッパ全人口の3分の1の命を奪うほどの猖獗(しょうけつ)を極め、黒死病と恐れられた。日本では明治時代に流行し、今でも世界のどこかで患者が発生している。
120年前、フランス・パストゥール研究所の細菌学者アレクサンダー・イェルサンと、細菌学の父と呼ばれるロベルト・コッホの弟子、北里柴三郎が同時期に、それぞれ独立にペスト菌を発見した。きょう8月25日は北里がそのペスト菌を見つけた日。そこで考えたいのは “ 命の選別 “ についてだ。

法学部1年生が最初に学ぶ法倫理に「カルネアデスの板」がある。
ギリシャ時代の逸話が下地なのだが、あるとき舟が難破した。海に投げ出された若者が浮き板につかまり命拾いしたと思うや、溺れかけた別の男がその浮き板にしがみつこうとしている。2人がつかめば沈んでしまうのが明らかなとき、若者は男の手を板から剥がすことが許されるか?
法律用語では緊急避難と呼び、ここから正当防衛の理路が導き出される。

西アフリカで猛威をふるうエボラ出血熱だが、特効薬はまだなく、補液など対症療法が中心。なので、十分な設備のない状態で治療にあたる医療関係者のリスクは大きい。現地応援でエボラウイルスに感染した米国人医師に未承認薬が投与され、回復の様子が報道された。
ここで問われるのが、先ほどの倫理。数少ない薬をどういう基準で誰に与えるべきか?
こうした問題に一般解はないだろう。ケースバイケースとしか言いようのないもどかしさ、気の重さ。
ただ往々にして、こういった場合に後回しにされるのが少数者(人種や宗教、思想信条)とはいえまいか?。虐げられし無辜(むこ)の民。「一将功成って万骨枯る」ーー

こころの病も少数者の代名詞に算入すべきだろう。メンタル不調と呼べば聞こえは良いが、精神疾患と言い換えた途端に引いてしまう人がいることも事実だ。しかも、こころの病にかかっている当人やその家族が偏見を持つことすら稀ではない。かつてはそれが結核であり、AIDSだったのだが。「隠喩としての病」とスーザン・ソンタグは書いた。社会構造の変革まで見通して語るべき課題なのかもしれない。

伝染していくのは、感染症ばかりではない。知らぬ間に”こころの浮き板”に掛かる手を剥がしてはいないか?自問し続けていきたい。