今年もまた8月がめぐってきた。今上天皇の皇太子時代、日本人として忘れてはならない四つの日として挙げられたのが、6月23日の沖縄戦終結の日、8月6・9日の広島・長崎原爆投下日、8月15日の終戦の日。そして、僕がいつも想い出すのが、ある絵本のことである。

「八月がくるたびに」(おおえひで作 篠原勝之絵 理論社、初版1971年)

たしか小学4年生の夏休みだった。宿題の読書感想文コンクール課題図書に、長崎原爆投下で苦しんだ兄妹と家族を描いた「八月がくるたびに」(以下「八月」)が選ばれた。おそらく児童出版文化賞を受賞したため選定されたのだろう。
夏の宿題はさっさと片づけるか2学期直前に慌てるかのどちらかだったが、この本は何日も格闘した記憶が残る。その理由は初めて戦争に直面し、考えさせられたせいだったと思う。
当時の「八月」は残っていないので、今回Amazonで購入した。残念だったのは、初版バージョンは絶版になっていて、1978年以降の愛蔵版は絵がサマ変わりしてしまったことだ。
どちらの版も描いたのは、クマさんの愛称で有名な「ゲージツ家」篠原勝之氏。いま手元にあるのは、防空頭巾をかぶった主人公の”きぬえ”が焦土を逃げる姿を描く愛蔵版。しかしその表紙を透徹して僕の視線にあるのは、43年前の、かすれて消え入りそうなペンタッチで描かれた”きぬえ”の茫然とした肖像画だ。
顔と肌は紙の地のままの白色、髪のおかっぱは黒の輪郭のみで描いてこれも白色。手には黄色の麦わら帽子。周囲は黒、紅蓮(ぐれん)、暗黄緑色と、どこかシャガールふうの色使い。こども心にも原爆投下の野原に立つ薄幸の少女を連想させる表紙だった。
インターネットで検索したところ、「八月」に思い入れを持つ人たちはいるようで、初版本のイラストをネット上にアップしながら、「やさしく」改訂されてしまったことを嘆く文章が散見された。
それらを見ると当時の記憶がさらに甦(よみがえ)った。愛蔵版では削られたコラージュの数々。スーツ姿の人の首から上が、きのこ雲の写真に置き換わり、わきに「だれが・・・どうして?」の文字。右足先写真の踝(くるぶし)が紅のケロイド状にぐるぐる塗られ、わきに「8月が くるたびに・・・」。そして裏表紙には「原爆 げんばく ゲンバク ATOMIC  A bomb ヒロシマで25万人が ナガサキで10万人が 死んだ」―――「ゲンバク」。カタカナ4文字の底知れない迫真力―――

今年は第一次世界大戦開戦から100年。テレビでは、昨今の世界情勢は第一次大戦前夜に似てきていると警鐘を鳴らす識者もいた。歴史は繰り返す。3・11以後の日本では、「八月」は必読書と思う。文部科学省にはもう一度、初版本を推奨選定してもらい、まず原発再開を唱える”戦争を知らない大人たち”に夏の課題として読んでいただこうか。もちろん、部屋のエアコンは切ること。