東海地方は海の日に梅雨明けし、いよいよ夏休みシーズン到来。子どもたちは、海へ山への楽しい時期を過ごすのだろうが、それに合わせて水の事故も増える。水にさらわれるのは、妖怪・河童(かっぱ)の仕業という言い伝えが各地に残るのも悲しい話だ。きょうは芥川龍之介の命日・河童忌。

芥川は昭和2年7月24日、自ら命を絶った。昭和元年は大正15年12月末の1週間のみだから、改元約半年後の出来事。35歳4か月の人生だった。太宰の命日が晩年の著作と季節にちなんで桜桃忌とされたように、芥川のそれも同様な名づけ方だ。
彼の小説「河童」は、ある精神病患者が上高地から穂高に登山する途中で河童の国に迷い込み、人間とは真逆の社会に住む河童たちと交流する様子を描くことで、人間社会の愚かさを風刺した佳作。死の直前の作品には、彼の病理が表れている気がする。
初期の理知的で古今東西の膨大な博識を土台に構築された作風が、晩期では変質し、最後はシニカルになっている。死への憧憬と忌避の葛藤がこの時期の作品には目立つように僕には読める。
よく知られているように、芥川は遺書に「唯ぼんやりした不安」と書いて、主治医である歌人斎藤茂吉(作家で医者の北杜夫の父)からもらった睡眠薬を多量服薬した。軍靴迫りくる時代の変遷の中で彼が何を考えていたのか、、、。


クリニックに来院する患者さんのうちで一番多いのは「うつ状態」の人たちだ――寝られない、気分が落ち込む。やる気が出ない。些細なことで気がいら立つ。あちこちが痛い、しびれる、めまいがする、動悸がする、吐き気が止まらないなど身体症状が内科的検索で異常ない――。
そんななかで、彼/彼女らに目立つのが「不安」。以前は不安神経症と呼ばれていた不安障害が合併している場合が多い。両者の関係は数学のベン図でいうA⋂Bである。病的不安(たとえば消防車のサイレンが聞こえると自宅が火事だと思い込んでしまう)のある人がうつ病になるリスクは、そうでない人の何倍かになる。脳の中で同じ場所が関係していることはわかっているが、さらにその奥の原因や根本治療法となると、精神医学・脳科学の今後に期待、というところ。ただし、水源が不明でも清流の水を飲むことはできる。治ることは十分可能なのだ。

芥川は幼少時、実母が精神を病み、養子に出されている。つねに”発狂”の不安があったという。僕の座右の銘のタネ本である彼の警句集「侏儒(しゅじゅ)の言葉」にはこうある。「わたしの持っているのは神経ばかりである」。歯痛を取り除くには神経を抜くことだろうが、彼の不安を取り除くには、、、やはり、自死の道しかなかったのだろうか?
日本にはよいことわざがある。「水に流す」。森と土に水。日本は本来、自然に恵まれた国である。近代文学の天才である芥川にして克服できなかった不安に悩むみなさんに伝えたい。水に流そう。