断食の月・ジュライ到来

以前、スポーツジムで見知らぬ女性から「ハーフの方ですか?」と訊かれたことがある。どうやら中近東系とみられたようだ。母方祖母は鼻筋が通り、コーカサス地方の老女のような風貌だったので、案外そうなのかもしれない。
今年の7月、イスラム教ではラマダーンで断食の月に当たる。大相撲の大砂嵐(エジプト出身)が食を断って本場所に臨んでから世間でも知られるようになった。この一か月間、かの教えに従う人々(ムスリム)は日中何も飲み食いしないわけだ(日没から夜明けまでは飲食が許され、幼児、老人や病気の者は免除される)。

心療内科と断食がどう関わるのか? 心身症はこころの問題から、からだに症状が出る疾患の総称だが、代表的な心身症のひとつに「過敏性腸症候群」がある。英語の略語でわれわれは「IBS」と呼ぶ。要はストレスで下痢をしたり腹痛に悩む病気で、軽いものなら多くの人に当てはまるだろう。
このIBSやアトピー皮膚炎などの治療法に絶食療法がある。民間では断食療法として広まっている。やっかいなのは、ときおり断食で逆に悪化し、最悪死に至る場合がある。これは糖尿病や摂食障害(やせ症)の重症者に無理強いして起こることが多い。これと違い、心身医療としての絶食療法は、適応を選び厳格な治療環境の下で行うためむしろ薬物療法より安全で、9割の治癒率を示す医学報告もある。

原野駒留さん(40)は看護師で、幼少時から緊張するとすぐ下痢をする体質だった。不規則勤務で不眠となり睡眠薬常習の彼女は、夜勤明けなど脚がむくむので利尿薬も服用していた。下痢に対しては西洋薬の頓服(ロ〇ミン)や漢方薬を試すが、なかなか効かない。
相談を受け、僕が勤務していた病院で絶食療法を行った。肝臓や腎臓に異常のないことを確認し、1週間点滴のみで過ごす。その後、ゆっくりとおかゆから普通食に戻していく。
ポイントはただ食べないだけでなく、退屈ですることのないベッド上で、ノートを用いて自身の人生を振り返る「内観療法」だ。親や周囲の人たちからしてもらったことに感謝するための手段。禅の修行のにおいがするが、もともとそこから借りてきた治療法なのだ。
驚くことに、いや当然の帰結として、彼女のIBSは改善した。しかも、持病である甲状腺の病気の抗体価まで正常になり、内分泌内科の主治医を不思議がらせた。

以前このコラムで、うつの時は食欲がなくなる理由を説明するという”宿題”を自分で出したままになっていたが、今日がその回答日となった。じつは、真の理由はまだはっきりしない。ただ、脳の中心部に視床下部という食欲を管理する中枢があり、そこが機能不全を起こすことは疑いがない。セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質が関与しているのも確実だ。
そのなかで、僕が考えているのは次の仮説だ。、うつで食欲がなくなるのは、擬似的に断食と同じ状態を生じさせ、、心身の免疫力を回復させることにあるのだろうと。だから、うつの急性期には、むしろ何もせず、食べられる以上は食べずに、無理をしないこと。自然に任せることが治療のおおもとなのだ。

さて、きょうの夕飯のおかずは、、、おっといけません。ムスリムかもしれぬご先祖様を想いながら、こんばんは食事を控えてみようか。

”メディア”としての河野義行さん。

その日もまた、蒸した梅雨の夜だった。――20年前の今日起きたオウム真理教による松本サリン事件。8人の命を奪い、翌年の地下鉄サリン事件につながる特筆すべき惨事だ。犠牲者の一人に信州大学医学部生がいた。僕は当時、この大学の学生で、彼女は先輩だった。毒ガスが撒(ま)かれた空き地から僕の下宿は数百メートルの場所にあった。

そう、一歩違えば、自分が被害者になっていた。しかし、今夜書きたいのはそのことではなく、事件の第一通報者で容疑者となった河野義行さん(64)についてだ。周知のように河野さんはマスメディアから犯人扱いされた。自宅に化学薬品があったことなどから疑われたことは、薬理学の先輩からの「風の噂」で知った。もちろん医学生とて、サリンがどういうものかは知らないし、当初は原因すら同定できていなかったのだ。
普通に考えれば、河野さんに「動機」は見当たらないし、家族を犠牲にしてまで薬品を撒く道理などないことは自明のはずだが、事件の重大さ、類(たぐい)なさの前に、警察情報のみに頼るマスメディアは盲進するのみで、僕自身もそれを盲信していた。河野さん、すみませんでした。

その後、大学を卒業した僕は、医師として、元マスメディアの端くれとしてサリン事件の行方を眺めていた。東大医学部を出た医師の関与がわかり、河野さんの冤罪が明らかになる中で、際立っていたのは彼の発する言葉と行動だった。新聞やTVの情報だけでの判断だが、つねに冷静さを失わず、むしろ見方によっては「どうして?」とおもえるほど公平な態度をとる。オウム関係者の極刑を望んでも不思議でないのに、「死刑にしては殉教者をつくるだけ」といえる強靭さ。同時に、事件で意識不明となった愛妻の介護を続けた。その献身的な姿がドキュメンタリーで流されるのをみたが、怒りや恨みといった感情のかけらも読み取ることはできなかった。

おそらく、彼の「ひととなり」は平均的な日本人の枠をはるかに超えている。これは邪推だが、かれのその偉大さがかえって、警察の誤捜査・メディアの誤報を誘発した面はないか?事件から20年のインタビューにも河野さんは淡々と応じ、「事件は風化します。その中で残せる教訓を整理していくことが重要」という趣旨の発言をしていた。彼でなければいえない言葉、とおもう。

化学では、酸とアルカリを中和すると水が精製される。異なるものを混ぜて益のある変化を起こす役割が媒介物(メディア)である。マスメディアは河野さんに”メディア”の本質を学ぶべきだし、精神科医は彼に心療の神髄を見るべきだろう。もちろん、僕自身にもそれは当てはまる。鹿児島で釣り糸を垂れて”余生”を送る河野義行さんの表情に仏を見た心地がした。


こころを温め、清くする飲み物

21日は夏至。1年で最も昼の長い日、つまり紫外線(UV)が最も多く降り注ぐ時季だ。(曇りでもかなりのUV量になるので要注意)。蟹座生まれの僕は、暑さには馴れていると思ってきたが、ことしは気がつくと口内炎ができていた。そこで話題は、漢方にうつる。

振り返れば、子どもの時分から口内炎には悩まされてきた。オレンジ色の玉が鮮やかなチョ〇ラBBはいつも鞄にしのばせていた気がするし、無口な性格の一部には口内炎が寄与していると、こじつけることも可能だ(しゃべると痛い)。塩気の濃い味つけが嫌いなのも多分関係している。(因幡の白兎の話を思い出してほしい)。
あれは確か医学部に入り直したころのこと。風邪と口内炎でかかった医者から初めて漢方を処方された。それが「温清飲(うんせいいん)」だった。アルミのパッケージに入った顆粒を1日3回食前服用。漢方といえば草木の根っこなど煎じて飲むイメージだったから(今でもそれはある)、最初は半信半疑だったが、のんでみてびっくり。今までの、どの治療よりよく効いた。2週間近くの憂鬱な日々が半分以下に短縮されたのだ。
それ以来、漢方の虜(とりこ)になり、自学自習に加え、医者になってからは各地の勉強会で先達の教えを乞うた。何より実地で試すのが一番といわれ、精神科の患者さんに処方しだした。当時は、こころの病に漢方なんてとおもう医者が大半だったと記憶する。それがいまや、医学部講義の必修科目に上がっているのだ。

①温清飲はなかでも漢方の考え方がよく表れた処方だ。かいつまんで説明しよう。
東洋医学は病気をそのひとの弱点が表れ出た結果と考える。風邪は、外邪(=現代医学ではウイルス)が悪さをして、本人の弱点に出る。僕の場合なら口内炎のように。その邪(=炎症)をまず鎮めるのに②黄連解毒湯(おうれんげどくとう)という冷まし薬を使う。と同時に、免疫力の足りない部分にたいし(=漢方では血虚(けっきょ)と呼ぶ)、逆に温める作用を持つ③四物湯(しもつとう)を使う。実は温清飲は両者の合方(ごうほう)なのだ。②+③=①というわけだ。
これは西洋医学では思いつかない発想だろう。ふつうなら(+)+(-)=(±)つまり0 と考えるのが西洋医学だからだ。しかし、以前にも書いたが、人間の体は「自然」の一部であり、理屈通りには運ばない複雑系である。
西洋医学ではこう考える。紫外線を浴びると免疫系に影響を与えることがある。膠原病では日光を浴びすぎると病気が悪化することがある。口内炎は膠原病の一部にあらわれる症状でもあるので、検査して、、と分析的なアプローチを行う。かたや東洋医学では、そのひと全体をとおして病気を診断、治療する(これを随証治療という)。だから、温めて同時に冷やす(清)のは、体のバランス(恒常性)を整える意味では当然なのだ。(バカボンのパパなら”これで、いいのだ”)。

今日は( 括弧 )の多い読みにくいコラムになってしまった。決して恰好づけているわけではなく(苦笑)、漢方の魅力、考え方を皆さんに伝えたかったのだが、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感なきにしもあらず、といったところか。さて、キーボードに向かっているうちに肩も凝ってきた。ここらで筆を擱(お)いて温清飲をのもう。



ギャラリー