10月10日は体育の日

10月10日と聞いて「体育の日」を思い浮かべる人は、いまどれくらいいるのか。(目の愛護デーや銭湯の日もあるが)。ハッピー・マンデーという埒(らち)も無い制度で2000年以降、10月第二月曜に移動させられたが、その由来が東京オリンピック開会式の日であることは周知だ。
あれから半世紀。この日には僕自身、特別な思い入れがある。

三つ子の魂百まで。一番若いころの記憶を問われると、必ず「東京オリンピック」と答える。しかし、実際にテレビで見た記憶なのか、その後のニュース映像で見た記憶が混じり、すり替わっているのかはわからない。いずれにせよ、僕の脳裏には次のような光景が残像として在る。
――白黒テレビでは漆黒に映ったエチオピアの聖者ランナー、アベベが42.195㎞のテープを切った後、国立競技場のトラックで柔軟体操をする様子。鬼の大松監督が率い、東洋の魔女と称えられた日本女子バレー軍団が、ソ連チームのタッチネットで金メダルを勝ち取った瞬間(視聴率66.8%)。重量上げで筋骨隆々の三宅義信が、ぶるぶる震えながら金メダルのバーベルを持ち上げた時の背筋のそり具合――
開会式での日本選手団の鮮やかな紅白ユニフォーム姿は色つきの記憶なので、後年の特集映像の影響だ。東京の次のメキシコ五輪のころ、「どうして野球はオリンピックにないんだろう」と思いながら、父とキャッチボールをした記憶も湧き出てくる。

無邪気な小学生時代過ぎし後、中学1年の担任となったのが長谷川金明先生だった。クラスの誰もが本名の「かねあき」ではなく、「きんめい」のニックネームで呼んだ。体育が専門で、当時の教師のご多分に漏れず、”鉄拳制裁”もときにあったが、別の体育教師のようにゲンコツではなく、平手ビンタだった。
何より、つねに生徒を笑わせ、和ませる雰囲気を醸し出していた。道徳の時間、近くの公園にクラス皆で遊びに出たり、体育の時間に雨が降ると授業そこのけで、教壇で手拭いをかぶり、安来節を唄いながらドジョウすくいを踊って見せた。
僕が中3に進んだ春、きんめい先生が病気で休んだ。大腸癌だった。そして、体育の日の直前に死んだ。まだ27歳だった。
先生が休む前、「こうするとハライタが治る」と言って体育館で逆立ちしていた姿を思い出した。葬儀には、地元が同じで一学年下のラジオパーソナリティ、つボイノリオ氏も参列した。あの日の空の青さは、きっと東京オリンピックのときに匹敵する秋の青だった。
後日談がある。きんめい先生には年子の妹さんがいる。つボイ氏の同級生。彼女から聞いた話だ。
今伊勢中のバスケ部で、坪井後輩を鍛えた先生は、一宮高では陸上部に入った。専門は中距離。その秋、つまり東京オリンピックの年に、先生は聖火ランナーとして、一宮市内を走った。

だから、体育の日は10月10日でなければならないのだ。

縁結びの神様に誓う

早や10月。8日に一宮むすび心療内科は開院半年を迎える。お蔭様で大過なくここまで来られたことに感謝したい。きょう午前は台風18号迫りくる中、市内NPO法人「まごころ」でうつ病のお話をした。聴いて下さった40人のスタッフ、介護ボランティアの方々の熱気に、会場は冷房が必要なほどだった。

最初にうつ病のレクチャー。後半は更年期うつ病のお母さん役を選び、家族役とともにロールプレイをしてもらった。うつは体内の恒常性リズムが乱れているのが問題で、その回復のための処方箋について解説した。とくに中高年女性のうつ病には、食事療法として青魚と豆類が有効との内容が関心を呼んだ。参加者はやはり女性が多数派を占める。
生化学的にはω(オメガ)-3脂肪酸といって、イワシ、サバやサンマ、マグロなどに豊富に含まれる抗酸化物質がうつからの回復に一役買っている。TVの健康番組でもよく特集されるので、聞いたことのある方も多いだろう。医学研究データも豊富にある。また、大豆が含有するダイズサポニンは女性ホルモン様物質で、ストレスに良いという報告もある。
これからの時季に抑うつが悪化する「季節性感情障害」(頭文字をとってSADという)も女性に多い非定型うつ病のひとつだ。これには日照時間が関わっているとされる。防止法は起きたら朝日を浴びる事。「早起きは三文の得」はこのことを指していたと僕は推測する。体操などしながら20分過ごしてください。そんな時間はない?余裕を持った生活が予防の第一歩です。

今回は、最近話題に上ることの多い”新型うつ”も詳しく説明した。
従来型のうつは、メランコリー親和型と呼ばれて几帳面な中高年に多いのと比べ、新型はディスチミア親和型とも呼ばれ、周囲より自分に関心が向く自己愛型で、青年層に目立つ。
苦労や困難を回避し、責任を他者に向ける傾向が強い。「僕がうつになったのは、上司にパワハラされたせいです」。ときには「私、うつなので1ヶ月の診断書書いてください」と要求される。休職中に海外旅行を楽しむひともいるようだ。
これは明らかに従来型とは異なる。薬があまり効かない。症状がくすぶり、なかなか完治しない。ただ、単なるなまけやさぼりとは違うのは、何らかのストレス体験を契機に生じ、回復すれば別人のように変わることだ。周囲はただ本人の問題点を指摘するだけではなく、まず傾聴し、状況によっては叱咤激励することも必要だろう。
「まごころ」では、高齢者の介護サービスとともに、若い年齢の発達障害の人たちを支援していると聞いた。彼らの中に、適応障害から新型うつになって悩んでいる人がいるのも確かだ。

旧暦で10月は神無月。全国の神様が出雲国(島根)に集まって留守にするのでこの呼び名がついた。なので出雲では神在月(かみありづき)と呼ぶのだが、そのご当地、出雲大社の権宮司・千家国麿氏と高円宮家次女の典子さまが本日結婚された。同大社は縁結びの神様で名高いが、この「縁」は婚姻だけではなく、すべての関係を結ぶのにご利益(やく)があるということだ。
一宮むすび心療内科もこれから、患者さんとの結びつきを大事に診療していきたい。

山が動くとき

御嶽山が噴火した。28日夜現在、心肺停止者が31人いると伝えられており、残る入山者の救出を祈りたい。
実は「おんたけ山」は国内にいくつもある。通常は長野・岐阜県境にある3067mの活火山のことを指すが、わが国の山岳信仰の大きな柱としてこの御嶽山がある。思うに、あの雄渾(ゆうこん)な山容が信仰の土壌に繋がったのだろう。敬老の日に小欄で、小説「楢山節考」の姥捨て伝説に触れたが、日本人の「山」への敬虔(けいけん)な思いは深く独特なものがあると思える。そのルーツは古事記の海彦・山彦にまで遡ることができる。

偶然に驚いたのが、火山列島ニッポンの報道一色のきょう、元衆議院議長の土井たか子氏が亡くなったと報道されたことだ(20日死去、肺炎。85歳)。
土井さんといえば、社会党(現社民党)の顔であり、護憲運動の中心として当時の中曽根首相と対峙。そして消費税・リクルート問題で揺れた平成元年参院選挙での躍進時の発言、「山が動いた」が代名詞となった。55年体制の終焉期に、選挙民という名の巨大な山を動かし、自民一党支配体制の修正を迫る舵切り役となった。
若い人には「土井たか子、Who(誰)?」ということになろうが、法学部卒の自分にとって、彼女は大きな存在だった。彼女はもともと憲法学者だったからだ。

東京・早稲田で学んでいたころ、あるサークルに入っていた。憲法を知り、守るのが目的のマイナーな集団。日本は民主主義国家だが、それはほぼ法治主義国家といってもよい。そして星の数(約2000)ほどある法律の極北に輝くのが憲法である。まだケツの青かった若造は、法学部で学ぶことイコール憲法を学ぶことだと考えていた。
基本的人権や平和主義について、よく深夜までケンケンガクガクの議論をしたものだ。もちろん、そのかたわら四人で卓を囲んで中国語(ポン・チー・ロン)も勉強した。

「おたかさん」の愛称で呼ばれた土井さんは、筋を通すことで知られていた。「ダメなものはダメ」も、彼女を語る時のフレーズとしてよく使われる。おそらく、憲法学者としての職業的資質とでもいうべき性格から来たのだろうと思う。男女差別の問題にも敏感で、女性初の衆議院議長として登壇した当時、男性議員も「さん」づけで呼んだ場面は今も耳に新しい。ジェンダーという考え方を知ったのも彼女がきっかけだった。

時は川のように流れる。いっぽうで川の湧出源となる山は、いっけん動かざるかのごとくに見える。しかし、いずれも自然の循環のなかでのこと。今回の御嶽山のように、噴火は起きる。山の神にしてみれば、ときおりくしゃみをするような事に過ぎないのだろう。人間の時間の尺度だけでものを考えないことも時には必要なのかもしれない。犠牲者を人身御供として神話化するだけではない知恵を、ひとは持てないものか。

ギャラリー