スシ食いねェ!

アメリカのオバマ大統領が来日し、安倍首相と銀座のすきやばし次郎で「寿司会談」をした。日米関係の新たな構築に向け、首相は大統領の好物である寿司をネタに、TPP交渉や沖縄・尖閣諸島問題などの新たな糸口を模索するもようだ。[某新聞配信記事を編集]
いきなりここで話題は院長の好物にワープします。とある銀行のインターネット口座では最近、本人特定の関門として、個人的質問をするようです。「好きな食べ物は?」とネット文字が訊いてきました。僕の答えは「すしとスイカ」。その理由(わけ)を最近までこう思っていたんです。
――幼稚園に上がる前、寿司屋の乗用車にはねられた。幸い入院せずにすむ怪我だったが、相手が見舞い寿司とデザートの西瓜を大盤振る舞い。そのとき周囲から心配され優しくされた。以来、すしは僕の大好物。深層心理的には、弟ができ、甘えたくとも甘えられない時期にじっとガマンしていた男の子に降ってわいた天佑(てんゆう)。その時の味覚は、プルーストの描いた、紅茶に浸したマドレーヌのように、記憶の奥底に沈潜し、いまも好物となって再現される。
精神医学をかじり、医者となって分析気取りのこともする立場ではあるのですが、先月、父親の葬式で親戚が集まった際に、身内の話題が続き、「そういえば、おまえさんとこの博ちゃん(父の名前)もじいさんも酢飯がすきだったよなあ」。えっ?ガックリ!。
――結局、ボクの事故体験はカンケイなかったの?そういえば、親父は寿司が好きだったよなあ。いまごろ、なに言ってんだろう、このオレは。いやいや、転んでもただでは起きぬのが身上。きっとこれは、多くの病気がそうであるように、体質因(酢を好む好酸性?) × 環境因(エディプス期の事故)=スシ食いねェ。(渋柿亭監修)。

Kが有るか、Kが無いか

久しぶりのお湿りでした。開院後初めてのまとまった雨は、朝の診察前には上がり、午後診の前には晴れ上がっていました。お日様が燦燦(さんさん=sunsun)と降り注ぐのは気分がよく、雨なんか降らなければ、とも思いがちですが、考えてみれば、生きとし生けるもの、光と水の両方があるからこそ輝きと潤いを保てるのです。お肌の曲がり角に悩むわれらむすびスタッフにとっても(苦笑)。
前置きが長くなりました。HPでお読みの方はご存じでしょうが、僕は以前、新聞記者をしていました。いま、たまに患者さんに訊かれます。「先生、どうして全然違う職業に代わったの?」――おそらく、ふつうの人は、新聞記者は文系で医師は理系だから違う、記者さんはいろんな事件・事故と関わる仕事なのに、お医者さんは病気・病人が相手でしょ、と考えていそうです。でも 僕にとってはどちらも「ひと」を扱う職業という点でほぼ一致しているんです。地球温暖化で北極の氷が解ける取材だって、それによる人間への影響がどうかという点においては「人事」なのです。
医者と記者。医の旧字体は醫。これは、昔、治療には矢じりや酒に浸した薬草を使った名残りです。僕の精神科研修時代の恩師は開業した医院の字体に使い「○○醫院」としています。もっと古くは医療すなわち呪(まじな)いでした。いっぽう記は記録としてしるし、残すこと。記者の栄誉ある別称・ジャーナリストのジャーナルは日誌のことです。
地域心身医療にとって、日々の患者さんとの”格闘”を記録し続けることと、薬や言葉を駆使して治療することのあいだに、本質的な差はありません。――そう、せいぜい、「K」の頭文字がある(記者)か、ない(医者)かの違いくらいです。KOIDEかOIDEか。まあ、難しく考えずに、困ったら、小出のクリニックにおいで(苦笑)。おあとがよろしいようで。

ハンバーグ弁当

駆け抜けた1週間でした。桜満開のなか日曜日の内覧会、「準備の時間がない!」と切羽詰まった月曜日、そして花祭りの開院。産業医の木曜休診を挟み、新患の続いた週末、、。
唯一のおやすみ日を前にして、なんだか真っ白な灰になった矢吹丈のような気分に浸っています。いやいや、まだ始まったばかりなのに最終回はないでしょ、ですね。前言撤回。お楽しみはこれからだ!
で、内輪話で恐縮ですが、われら医院の今週の楽しみは、土曜の昼食でした。一宮むすび心療内科の診療時間は平日午前9~12時、午後4~7時。土曜のみ午後が2~5時なので、スタッフはお昼に出かける余裕がありません。(診察時間ピッタリには仕事が終わらないんです)。そこで、近所で評判のレストランにハンバーグ弁当を注文したら、そのおいしいことったら、、。若干の値段の高さを補って余りある味でした。
人間も自然の一部、と前回書きました。生きているとは、おなかがすくことです。空腹感がなくなるのはたいてい病気、それも身体の病気のみならず、心と体の病気で目立ちます。定型うつ病はその代表。なぜそうなるのかは、またこのコラムでお伝えしていくつもりです。肚(はら)がへっては、いくさはできぬ。同時に、ひとはパンのみにて生くるにあらず。――そのあわいを通っていく難しさが、生きることの歓(よろこ)びにつながると院長は確信しています。
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