ウツるんです♯29「憂国忌」にあらためて思う(2020年11月25日)

 11月25日は「憂国忌」。三島由紀夫が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で決起を訴え、自害してから50年。作家であり、行動人であった三島の最期をめぐり、夥しい数の論評がなされてきた。それは磯田光一が「三島氏の死はすべての批評を相対化しつくし」たと書いたように、ブラックホールのように戦後民主主義を吸収するかのようだった。
 1970(昭和45)年の事件当時、私は愛知県の地方都市に住むいち少年だった。記憶をたどって出るのは、大阪万博で、アポロ11号が持ち帰った「月の石」を拝むため汗だくで並んだ夏の日と、さわやか律子サンのボウリングブーム、それにテレビで女性の裸が見られる「時間ですよ」の番台シーンぐらいだ。
 その2年後のあさま山荘事件をくっきりと覚えているのとは対照的に、あの日の三島の姿は、報道ヘリの爆音と自衛隊員の怒号にかき消された彼の声とともに、どこかへ行ってしまったようだ。

 後年、新聞記者になってから三島の代表作「金閣寺」を読んだ。――「私の少年期は薄明の色に混濁していた。真暗な影の世界はおそろしかったが、白昼のようなくっきりした生も、私のものではなかった」――目が眩んだ。言葉とはこういうふうに扱うものか。そうひとり嘆じたのをくっきりと覚えている。
 宮内庁担当のとき、昭和天皇が那須の御用邸で静養する夏の取材でのこと。キャップのM記者が空き時間に原稿のマス目を埋めていた。ダグラス・グラマン事件で大スクープを放った先輩が軍用機の話を書いている。記事ではなさそうな雰囲気に尋ねたら、「小説のたね」だという、鵜のまねをする烏となるのが目に見えるゆえ、後に習うことはしなかった。
 
 医者になってから読んだのが、三島の小説「音楽」。精神分析医における女性の冷感症の一症例と扉に記した作品に、こころ医者として興味をそそられた。大衆誌に載り、対象読者層が異なるのか、言葉遣いも金閣寺とは異なり平易で、サスペンス仕立てだったが、フロイトの性理論を踏まえていて、得られた感慨は満足のいくものだった。
 数多くの“三島本”を買い漁ったなかの一冊「平凡パンチの三島由紀夫」(椎根和著、新潮社)に「音楽」について言及したくだりがあった。
 1966(昭和41)年夏、三島邸に男の侵入する事件があった。「蒼白な顔の青年は、、書斎に入り込み、」百科事典の一冊をながめていた。そして、三島にむかって『本当のことを話して下さい』と三度繰り返し」たという。
 三島はこの侵入男のことを小説「荒野より」の中で、「私は自分の影がそこに立ってゐるやうな気がした」と書いた。
 著者の椎根氏はその後、国立精神衛生研究所の片口安史氏が「ロールシャッハ・テストを使って、、ひじょうにつよい内向的な性格である」と判定したと記している。「感情におぼれず、むしろそれをきらい、現実逃避的な態度と、つよい知性的な適応のしかたをしめしている。現実にじかにふれることをさけながら、かえってつめたく現実をみている」のが三島のテスト結果だという。

 三島由紀夫が文章のひとつの範とした森鷗外は「テエべス百門の大都」と評されたが、三島のこの精神分析的評価を首肯する者がどれだけいるのか、こころ医者としての私は、賛成に一票をいれたい。
 

ウツるんです#28 心を耕すのが文化(2020年11月3日)

 文化の日。改めて「文化」について考える。
 このテーマにしたのは菅首相が日本学術会議の会員6人を任命拒否したからである。多くの国民にとって、同会議はこれまで馴染みのない学者団体だったろう。なので、この事件は突然降ってわいたようにもみえるが、事実はそうではない。
 同会議の前身となる学術研究会議の歴史は戦前にさかのぼる。第一次世界大戦でのドイツ潜水艦(Uボート)による無制限攻撃に連合国側が反発し、学術的国際組織からのドイツ締め出しを狙って新設された万国学術会議に、日本からは帝国学士院が参加。国内で呼応する組織として1919(大正9)年、学術研究会議が創設された。〔蛇足だが、第一次大戦時日本は連合国側だった〕
 つまり、日本学術会議は歴史的に戦争と関わる設立経緯をもつが、戦後は科学が戦争に関わることのないようにと装い新たに1949(昭和24)年に発足した。「87万人の科学者を内外に代表する機関」(ホームページ)であり、210人の会員と約2000人の連携会員が活動を行っている。
 現在は内閣府の特別機関のひとつで、公務員扱いで予算も国から出るため、政府は同会議のあり方を再考する時期であり、任命権は首相にあると主張する。だが、法律の条文をキチンと読めば、同会議の独立性は強固で、会員は同会議の推薦をもとに任命される、つまり首相に「拒否権」は存在しないのは法手続き的に明白だ。その問題と、同会議のあり方を(あえて)混同させるのは、事情を知らない国民を欺いたと取られてもやむを得ない。
 一連の議論で一番いやなのは、(どこかのテレビの解説委員も“曲解”していたが)、今回の首相の態度は、法的手続きの問題が「金と政治的思想」問題にすり替わっていることだ。任命されなかった6人の学者の素行調査までしたとの報道もある。しかも、この政府のやり方が一定程度、支持されているという。
 会員の名簿を閲覧したが、私の知る学者もいて、尊敬できる人ばかりだ。当院に通う70代男性も以前、同会議の連携会員を務めた。「大多数の会員はまじめにやっているのに、こんな風に受け止められて、気の毒。岐路は会議が3年前に大学での軍事技術につながる研究開発に反対声明出してからだね」と嘆く。
 たしかに、インターネット始め様々な技術を軍事と民事に明確に分けることは困難だ。ならば、それをキチンと議論すればいいものを、“臭いものに蓋”をし、日本的同調を強いるから、今回のようなことが起きると私は考える。
 文化は国の基本だろう。またひとりひとりのものでもある。英訳culture はラテン語の「耕す」からきている。日本人ひとりひとりの心を耕すことができなければ、この国は危ういと感じるこのごろだ。


 

ウツるんです#27十月十日は体育の日(2020年10月10日)

 国内での新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者数は落ち着きを見せつつある。しかし、世界規模では依然衰えることなく、文字通りパンデミックが広がり続けている。百年前のスペイン風邪(実際は米国発生のインフルエンザ)では第二波のほうが被害甚大だった。今後、COVID-19 がどうなるのか予断は許さない。
 そんなコロナ禍の中、「あの日」を迎えた――私たち昭和30年代以前生まれにとって、体育の日といえば「10月10日」。昭和39(1961)年のこの日、アジア初の五輪が東京で始まった。原爆投下日に生まれた坂井義則さんが聖火リレー最終ランナーとして国立競技場の階段を駆け上るシーンは、航空自衛隊5機が真っ青な秋空に描いた五つの丸い飛行機雲と並んで、このまぶたに焼き付いている。

 わが国で二度目、戦争で開始返上した昭和15(1940)年と冬季を含めると5回目の日本でのオリンピック。それがコロナ禍で1年延期する。1980年のロサンゼルス大会以来顕著になった商業主義中心主義、国家の威信をかけた結果のドーピング合戦など、これまで指摘してきたが、史上初の延長五輪をどう開催するかはひとつの重大な転機となるだろう。
 国際オリンピック委員会のコーツ副会長は先月、来年の東京五輪は「新型ウイルスを克服した大会」と明言した。この言葉を聴いて反射的に思い出した言葉が安倍前首相の“復興五輪”だ。東日本大震災の放射能汚染は「アンダーコントロール」されているという表現は世界的にどう受け止められたか。
 人類の野放図な増加を食い止める役割を持っているのが戦争・災害・疫病だとしたら、80年前、日中戦争で東京五輪中止を進言した河野一郎〔河野太郎行革担当大臣の祖父〕は先見の明を持っていたことになる。冥界から孫に「このご時世にオリンピックなどやってる場合か」と説教しているのではないか。
 
 ともあれ、あと半年以内に東京五輪2020〔2021年開催でも名称は不変〕をやるのかやらないのか、結論が出る。しかも、7月23日~8月8日の日程は変わらない。この時期がメインスポンサーである米国企業が支援するバスケットボールやフットボールのない閑散期であることが、気候のよい10月を避ける理由なのは暗黙の了解だ。
 毎年10月10日、同じタイトルでコラムを書き続けてきたのは、ノスタルジアからだけではない。近代オリンピック、ひいてはスポーツの意味をより多くの人に考えてもらいたいゆえ。

 私の中学1年時の担任で体育担当だった長谷川金明先生が高校時代の1964年、東京オリンピックの聖火ランナーとして愛知県一宮市内を走ったことは、生前教えてもらわなかった。私の中3の秋、体育の日の前日、先生は大腸がんのため27歳でこの世を去った。三十三回忌のとき、先生の妹の美枝子さんから、パトカーの先導でトーチを掲げて走るきんめい先生の写真を見せられ、時の流れがうわーんと押し寄せた。
 前回東京オリンピックから56年。次は来るのか、来ないのか。人類に未来はあるのか、ないのか?
 
 
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