緊急ブログ〜熱射病を作る焼きそば屋〜

岐阜県多治見市で最高気温40.7度を記録した。TVでは「命に関わる暑さ」と報道。その形容が決して大げさでないことは、愛知県豊田市で小学生が校外学習中に熱射病で亡くなるなど、全国各地で死者が出ている事実を見れば明らかだ。

それでも、本日当院初診の30代男性の受診理由を聴いて、ガクゼンとした。
主訴は「人間不信」。その理由は以下のごとくだ。〔本人の承諾を得て、経過を報告する。特定できないよう細部に変更を加えた〕

昨年暮れ、人見九郎(仮名)さんの勤める食品会社が倒産した。年明けから同業系列の卸会社で働いたが、ここも景気が悪く、しかも上司にいびられ、サービス残業を強いられるのに耐えかねて、半年で辞めた。
ここまでは、わりとよくある話。小学生の娘と息子を抱えた人見さんは、パートを掛け持ちしようとする妻に悪いと、次の仕事を急いで探した。 
ハローワークに出向き、経験のある食品関係に絞る。年度途中で見つかったのは、個人営業の焼きそば屋だった。
「この際、ゼイタクは言っていられない」と腹をくくり、 応募した。スンナリと採用。しかし、 いざ仕事を始めてからの後悔では遅かった。
この焼きそば屋、遊園地で出店を開いているのだが、梅雨の明けた炎天下、 店主は木陰に逃げ込み、人見さんひとりに「あとは任せた!」。昼飯も食べられぬまま、休憩を申し出るも、拒絶。
日本列島はふたつの高気圧にはさまれ、気温 はうなぎ上り。ジリジリと照りつける夏の太陽にやられた人見さんはついに倒れた。隣人が救急車を呼び、病院へ。診断は熱中症の中でも重症の「熱射病」。二日間、入院した。

退院した三日後、人見さんは当院を 訪れた。上記の話を縷々(るる)うかがううちに、こちらに言いようのない憤りが生まれるのを感じた。
人見さんが「人が信じられません」と嘆くのは当然のことではないか?傾聴と共感の一方で、冷徹に分析する自分も自覚する。会社組織でなく、家族経営のろくでなし の所にたどり着く不運をもたらしたものは何か?同じ手合いの組織は放っておいてよいのか?

人見さんが物心ついた時には両親は別居、父と別の男性が母と同居する環境で育った。親の正式離婚が 小学5年の時だったので、名字が変わり、さんざんいじめられた。中学の時、いじめられた友だちを助けたら、自分もいじめられた。その友人はのちに自死してしまった。

人という字は、人と人がもたれあった形、と3年B組金八先生は語った。実際の成り立ちは、両手をだらり降ろしたひとりの人の姿を横から 見たものだ。信無くば、立たず。とはよく引かれる言葉だが、信じることの重みが昔より軽くなってきていると感じるのは、僕の独りよがりだろうか。

蝉しぐれのサマーセミナー

体温並みの猛暑が続くなか、『第30回愛知サマーセミナー』に参加した。
愛知県内の社会科教師有志が「学びたいことを学び、教えたいことを教えるような企画ができないか」と話を持ち寄り、名古屋市で「社会科サマーセミナー」を実施、好評だったことから、県私立学校教職員組合連合で話を詰め、今の市民参加型講座形式になった。
企画立案は教師だけでなく、各学校生徒や父母、OBも加わる。誰でも無料参加できる文字通り草の根の教育関連行事だ。

今年は区切りの30回目ということもあり、名古屋市の椙山女学園キャンパス(小・中・高・大学)で7月14~16日にわたって開催された。
その趣旨に賛同し、手弁当で教える講師陣は豪華多彩。名誉校長の佐藤康光日本将棋連盟会長・九段の将棋講座・指導対局のほか、常連の佐藤優、森田実氏らの特別講座、憲法施行71年企画、夏休み宿題お助け講座まで硬軟取り混ぜ、さながら“花見弁当”のような内容に驚いた。

150以上に及ぶ講座のなか、海の日の16日に僕が聴講したのは2つ。
午前の特別講座、中日・東京新聞社会部望月衣塑子(いそこ)氏による『何故・菅長官の会見に臨むのか~安倍政権とメディア~』。
望月さんは武器輸出と軍学共同問題で調査報道を進め、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受け、現政権の監視役として官房長官会見で質問を続ける気鋭の記者。
その小柄な体躯からは想像しがたいほどはっきり通る声と大きな身振りで、笑いも取りながら、マスメディアの役割や民主主義の危機について、400人の聴衆に熱く語りかけてくれた。

午後は滋賀の湖東記念病院人工呼吸器事件で冤罪当事者となった西山美香さんと日本国民救援会伊賀カズミ副会長による『再審・えん罪を考える』。
15年前の5月22日、脳死同様の72歳男性が病院で死亡した際当直だった看護助手の西山さんが人工呼吸器のチューブを外して殺したと逮捕立件され、有罪確定し12年の刑に服した事件だ。
障害を持っているせいもあり、捜査当局のシナリオに沿って自供した結果、殺人者の汚名を着せられて十数年。20~30代のかけがえなき時代を失った西山さんは穏やかにこう言った。
「私は不運でしたが、不幸ではありません。こうやって皆さんが冤罪を考えて下さるので」。

今ほど、連帯と協調が必要な時代はこれまでの日本には無かった気がする。ひとりひとりの声は小さくとも、団結集合すれば、大合唱のように鳴り響く。岩にしみ入るような蝉しぐれのなか、そう考えた。


号外ブログ~土砂降りの日の“ポア”~

梅雨前線が日本列島に覆いかぶさり、数十年に一度規模の大雨特別警報が出された日、一連のオウム真理教事件の死刑囚7人に刑が執行された。

24年前の6月27日、当時僕が通っていた信州大学医学部近くで起きた松本サリン事件を昨日のことのように思い出す。長男が生まれて一ヶ月。妻子を名古屋に残し、3年生だった僕はあの日、毒ガスが撒かれた現場から数百メートルのコーポに住んでいた。
清涼なイメージとは裏腹に、松本盆地の夏は暑い。あの夜は蒸すような温風が吹いていたので、窓を閉めてエアコン除湿をフル稼働させていた。だが、無色無臭の猛毒がオウム真理教によって撒かれることを誰が予想しただろう。医学部の先輩がその毒牙にかかり、永遠の別れとなった。

あのとき、サリン発生隣地に家のあった河野義行さん(68歳)が通報し、捜査当局に犯人扱いされなかったら、マスメディアがそれを煽(あお)る報道をしなかったら、翌年の地下鉄サリン事件を防げたのではという議論は、今となっては死んだ子の年を数えるようなものかも知れない。〔アーカイブ2014.6.27.『“メディア”としての河野義行さん。』をお読みください〕
しかし、僕にとっては文字通り他人事ではない。実はオウム真理教は信州大にも信者勧誘の手を伸ばしていた。教養課程だった前年、僕はヨガのサークルに誘われた。コーポにサークル員が訪ねてきたこともある。オウム信者であることは隠していた。なぜか“カン”が働き、入会はしなかった。もし活動を続けていたら、、、

松本サリン事件の年、敬愛する養老孟司氏が東大医学部教授職を定年前に辞め、わざわざ信州に来た。組織学の授業を途中で抜け出して、講演を聴きに行った。詳細は忘れたが、大学組織の硬直性を嘆いていたのは覚えている。
養老先生はその後、サリン開発に関わった医師や教団メンバーにことあるごとに言及している。なぜ、最高学府で科学を学んだ優秀な若者が麻原彰晃の言動を信じるのか?という疑問は、ショーコ―が死刑に処せられても消えない本質的課題として、われわれの胸元に突き付けられている。

高校で覚えた英語のことわざにIt never rains but it pours.(雨降れば土砂降り【ポアズ】)というのがある。
オウム真理教がらみで有名になった単語に「ポア」がある。本来チベット語で、change(変わる)die(死ぬ)の意味。麻原はこれを勝手に捻じ曲げて解釈し、未曽有の殺人テロを正当化した。
この文章を打つ今も刻々と、梅雨前線は土砂降りの雨を西日本各地に降り注いでいる。
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