ウツるんです#32 バーバリー君、お疲れ様(2020年12月25日)

 2020(令和2)年12月25日は例年と異なり、メリークリスマスのかけらもない。むろんコロナ禍のせいだが、COVID-19の影も形もなかった5年前のきょう、きらびやかな街のネオンに目もくれず、24歳の女性がみずから命を絶った。
 高橋まつりさん。母子家庭に育ち、努力して奨学金で東大を卒業し、入社したばかりの広告会社電通で、「鬼十則」というアナクロニズムの社風のなか、1日20時間勤務で疲れ果て、死を選んだ。1年後の労災認定は、“あとの祭り”だった。
 
 昨年の中日新聞連載コラム『元記者の心身カルテ』で、高橋さんのような犠牲者を出さないために存在する産業医の話をまとめた。きょうは、私が長年勤める自動車部品会社(以下T社)で面談を続けた還暦男性を紹介する。
 男性の名を「バーバリー君」(以下B君)としておく。英国老舗メーカーの服を着るが、どこか似合わず、いつしか会社の保健スタッフからそう呼ばれるようになった彼は、この冬に定年を迎えた。
 高卒後T社に入ったB君は、いくつか地方工場を経て10年前、愛知県内の本社に異動。その1年後から症状が悪化した。体のあちこちが痛み、悪い病気ではと気に病む。そこを体育会系の上司にとがめられ、ますます萎縮する悪循環に陥ったころ、私が産業医として関わった。
 「仕事のミスで作業が遅れると相方の女性から“てめえ、バカじゃないのか”といわれまして。係長に上申しますと、言われるのも給料のうちといわれまして、、」
 なで肩で痩せ体型のB君は、恰幅のいい女性社員からきつく言われると、何も返せない。元々緊張しやすいひとりっ子で、頑固一徹の父を亡くしてからは、母のためと思い、ピッキングや空箱運搬の作業に耐えてきた。生活記録をつけてもらうと、欄外に「for my mother」と書き込んでくる。
 じっくり話を聴くと、30歳のころから風邪薬を毎日飲んでいるという。胃が悪くて、胃薬を常用している背景が分かった。薬の成分で慢性の胃炎になっていたのだ。
 更に悪いことには、副作用の眠気を飛ばすために精神刺激薬(ベタナミン)を心療内科で処方されていた。疲れた馬に強心剤を与え続けるようなものだが、風邪薬も精神刺激薬も依存しているので、急には止められないジレンマもある。
 
 産業医としてできることは、軽い筋トレを薦め、職場配置を事務作業に移す勧告ぐらいだが、会社都合でかなわなかった。一部の社員から嫌味を言われ続けながら、上司の配慮で何とか定年まで勤め上げた。
 今月最後の面談は、いつもと違って、さっぱりした表情で現れた。
「42年間は長かったです。体重は一時44㎏まで落ちましたが、今は50㎏です。上司に恵まれて、ここまで来ました」。そういうと、お礼にとクッキーを渡してくれた。
 高橋さんのような悲しい最期とならなくてよかった。コロナ禍に悩む人たちにも、B君からの餞別のおすそ分けをしたい。

ウツるんです#31 真珠湾からNY、そして武漢(2020年12月8日) 

 特異日。1964(昭和39)年の東京五輪開幕日に10月10日が選ばれた主な理由は、その日が晴れる確率の高い特異日だったからだ。
 12月8日。この「特異日」は忘れられない。――1941(昭和16)年のこの日、太平洋戦争が始まった。1980(昭和55)年同日、元ビートルズのジョン・レノンが狂信的なファンに射殺された。そして2019(令和元)年のきょう、中国・武漢で新型コロナウイルスによる最初の感染者が確認された――
 
 私は太平洋戦争の開戦日を社会科で習うより前に、子供向けの戦記物で読んで知っていた。
 「ニイタカヤマノボレ」の暗号を受け択捉(えとろふ)島の単冠(ひとかっぷ)湾を出港した帝国海軍機動部隊は、ホノルル現地時間12月7日朝、真珠湾の基地を攻撃。日曜のアメリカ艦隊に損害を与えた。奇襲成功の暗号「トラ・トラ・トラ」は、大破した戦艦アリゾナの写真とともに、読後半世紀の今も明確に覚えている。

 二つ目の12月8日。ジョン・レノン狙撃のニュースを私は早稲田大学の学生会館で聞いた。当時、所属していた早稲田英語会(WESS)のたまり場だった。犯行は日本時間で12月9日(火)午後零時50分。その日の夕方、ジョン撃たれるの報は瞬く間に学生に広がった。麻雀仲間のS君らとその後、ジョンをしのんで卓を囲んだ。
 犯人マーク・チャップマンと犯行場所のニューヨーク・ダコタハウスの名は、おそらく死ぬまで忘れないだろう。ケネディ暗殺の都市ダラスと容疑者オズワルドという固有名詞が脳裏から消えないのと同じだ。人は強烈な感情とともに覚えた出来事は、忘れない。

 時は流れ、令和最初の12月8日。湖北省武漢市で新型コロナウイルスによる感染者が初めて確認された。ジョンの命日から39年が経ったこの日のことを、私は覚えていない。法学部の学生から新聞記者となり、7年間の夜討ち朝駆けの日々を経て、医学の道に転じてから四半世紀が過ぎていた。
 精神科専門医の私は感染症は門外漢ながら、医師としてパンデミックウイルスの動静は比較的早くから注目してきたつもりだった。だが、「あの日」の記憶がないことは、このウイルスの特徴を示唆しているともいえる。
 潜伏期が長い(数日~半月)。臨床症状発症前から感染力が最大化する。感染者の約8割が無症状か軽症であり、かつ、重症化すると現代医学の粋(すい)をもってしても救命できない場合がある。つまり、それこそ私が ”分断ウイルス” と呼ぶゆえんだ。 
 ステルス戦闘機のように宿主(ヒト)に近づき、おのが住処(すみか)を確保せんとするパンデミック戦略。一番の対策はどこまでいっても「ソーシャル・ディスタンス」。飛沫や接触を介した感染を防ぐ術はそのまま、人と人のつながりを絶とうとする動きにつながる。自粛警察はその鬼っ子だろう。

 コロナ禍のなか、それでも人類に明るいニュースが届いた。日本の探査機「はやぶさ2」が小惑星りゅうぐうの岩石資料を採取したカプセルを地球に届けた。生命起源の糸口になりうる「玉手箱」に、パンドラの箱から出てきた疫病への”中和剤”の希望を見た。

ウツるんです#30呼吸器事件~記者のち医者の視点(2020年11月30日) 

 第9回日本医学ジャーナリスト協会賞の大賞に中日新聞の調査報道「呼吸器事件」が選ばれ、先日、表彰式が東京・日本記者クラブであった。受賞したのは取材班(代表・秦融編集委員)だが、冤罪当事者である西山美香さんの精神鑑定をした私も出席したので、報告したい。

 事件の詳細は、このブログ読者には周知と思うので割愛するが、授賞理由を同協会HPから引用する。
 「24歳の看護助手が患者殺害の罪で逮捕され、13年間、無実を訴え続けた。多くの記者が分担して、西山美香さんから両親への350通の手紙を丹念に読み、裁判記録や中学時代の恩師などの周辺をくまなく取材し、捜査の立証の矛盾を突き止めていく。
 *再審無罪への道のりで重要な役目を果たしたのが、記者の依頼で精神科医師が実施した獄中鑑定だった。この医師は、中日新聞記者として7年間勤務した後、医学部に入り直して医師の道を歩んでいた。ジャーナリストの視点を持つ医師の存在は大きかった。軽度知的障害・発達障害・愛着障害を明らかにし、「供述弱者」を虚偽自白に誘導した冤罪を、精神医学の視点で検証。7回の裁判で有罪認定された困難な状況で、ことし3月に再審無罪になった。
 医学とジャーナリズムの協力によって無実の救済につなげた社会的なインパクトは大きく、冤罪を解く新たな手法として、医学ジャーナリズムに新境地を開いた。」
 第2段落(*)がなんとも面映ゆいが、表彰式当日、進行役の大熊由紀子理事からストレートに訊かれた。「どうして記者から医者になったんですか?」。これまで何度も出くわした質問。ときには「魔が差して」と応じることもあったが、医学ジャーナリスト協会の面々を前にそれはないと思い、こう返した。
 「新聞記者時代、昭和天皇の手術をした先生の担当になったことなどもあって、医学に近づきました。(なにより)自分自身のこころの問題を追求していくことに関心が向いたことが大きかったです」
 「医者と記者の違いはローマ字でいえば、”K”一文字の違いです。人の話を聴くという意味では本質は同じです。記者時代の経験が今の仕事に役立っていると思います」
――KISYA-ISYA=K。還暦も近づき、そろそろ髪の”K”の気になる時期に立派な賞に巡り合えて幸いだった。


 
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