桜散ったら“五年生”

厳寒の新春から初夏の陽気へと一転し、平成30年の桜は記録的な早さで咲きました。いつもなら満開の花の下で新学期・新年度を迎えるはずが、今年は桜吹雪や葉桜の光景となりました。
われらが一宮むすび心療内科も新天地で初めての春を迎え、 4月8日の開業記念日を迎えました。感慨ひとしお、スタッフ一同、気持ちを新たにしての突入です。

昨年は開業3年で「3」にまつわる話を書きました。そのデンで行けば、今年は「4」。
四は死に通ず、とわが国では何かと嫌われる数字の4。でも、幸運の象徴とされるのが四つ葉のクローバーですし、4という数字は、1~3に劣らず、人間社会や自然界で基本数として出てきます。
アメリカでは大統領選の間隔が4年でなく、もっと短ければという人が多いでしょうし、オリンピック・パラリンピックの価値は、毎年あるスポーツの世界選手権と違って、4年という間隔にこそあると言えましょう。ちなみに、一夫多妻制のイスラム教で持てる伴侶は4人。
生命の基本設計図を描く基になるのがDNA。その遺伝情報はアデニン、グアニン、シトシン、チミンという4種類の塩基分子の配列で決定します。
そして、わたしたちの祖国、日本。あえてひとことで国の特徴を表せば、「四季がある」。

4月8日はお釈迦様の誕生日。「生老病死」という四つの苦にどう向き合うか、仏の教えをどう受け止めるのか。
♪桜咲いたら1年生〜♪という唄がありますが、春風に乗って散っていく花の下で“新5年生”となった日に、改めて考え、実践していこうと思います。

まぜこぜ社会へのカウント“ダウン”

ダウン症候群ーー21番常染色体異常で起こる先天性疾患。通常より一本多い3本存在することで主に発症し、約1000人に1人の割合で現れる。心奇形など身体疾患や知的障害を合併しやすく、特徴的な顔貌を呈するーー
3月21日は、疾患のカギとなる染色体の数字にちなみ、「世界ダウン症の日」に制定された。ダウンは発見者の医師名が由来だが、半世紀前にWHOがこの病名を正式呼称とする以前は、目尻が上がり、鼻が丸くて低く、低身長の体型から「モンゴリズム」(蒙古人症)と人種差別的に呼ばれていた。研究では欧米と東アジアでのダウン症候群の発生率に差は無く、チンパンジーでも相当する例が報告されている。

当院に勤務する看護師の息子Tさん(42歳)がダウン症である。
昭和50年、予定日より1ヶ月早く助産院で生まれたTさんは産声無く、すぐに大病院に搬送された。母親が振り返る。「この子は発達が遅いよ」とは言われたが、ダウン症と告知された記憶は無い。
動脈開存症という心疾患の合併で、夜も座ったままでないと喘鳴(=呼吸困難)のため寝られなかった。歩き始めたのが2歳過ぎ。皮膚も敏感で病院通いが続いた。
親御さんが一番気にかけたのが、言葉だった。舌が長く、口蓋が高いため、カ行が発音できない。「スプーンでベロを抑えて、発音させたりしました」。
教育方針といった大げさなものを持っていたわけではない。ただ、みんなと分け隔てなく育てたいと言う思いはあった。地元の小学校は当時、特殊学級が無かったが、越境せず、2年までは普通学級で過ごした。「授業参観で机に突っ伏して寝ていても、変わらずに接してくれた」と笑う。
近所に絵画の先生がいて、小学4年生からひとりで通った。卵の殻の色塗りから始まった絵の腕は徐々に開花し、途中から陶芸も始めた。絵画で玄人はだしの腕を持つ父と競ってきた結果、一般の作品に混じって表彰されるレベルにまで達した。
Tさんはいま、回転寿司店で働く日々。知り合えた友人と毎年、友だち記念日に旅行もする。そこに「障害」の影は見られない。

女優の東ちづるさんは、誰も排除しない「まぜこぜ社会」を目指して法人を立ち上げ、さまざまなエンターテインメントを企画、実現してきた。インタビューで、こう答えている。
「生きづらさを抱えた人もそうでない人も一緒に暮らせる社会を目指したい。まぜこぜは嫌だという人も排除しない。全ての人がマイノリティー。宇宙の視点で見れば、違いは小さい」

Tさんの絵画のモチーフには必ず動物が出てくる。人も、動物も、生きているという点では同じだ。むしろ、この地球では先輩の動物たちに教えられることは多いに違いない。
ミミズもオケラもセイウチも人も、まぜこぜに生きられるのが理想。彼の絵を観ていると、そう主張しているように思えてくる。






憶えていることの大切さ

けさ、いつもの日曜のように起き、顔を洗って朝食を済ませ、いつものように飼い犬の散歩に出た。
コースの公園。午前8時46分。いつもなら少年野球の掛け声が響くのに、きょうは休みなのか、グラウンドには人影もなく、ガランとした地面に春風が砂ぼこりを舞わせている。

平成23年3月11日金曜日午後2時46分。このグラウンドに誰がいたのか、思いを馳せた。
東北地方は小雪舞い散る天気だった。有史以来最大級のマグニチュード9地震。そして、最大波高40mに達した大津波が太平洋岸一帯をのみ込み、すべてを奪い去った。

ことしも「3・11」が近づくと、メディアでの関連報道が増えた。あるTVでは、震災直後に取材した被災児童たちに7年ぶりのインタビューマイクを向けていた。その中で印象に残ったのが、当時小学生だった女の子の言葉。「憶えていてほしい」。

ソチ、平昌(ピョンチャン)オリンピックで2大会連続の金メダルを取った羽生結弦選手も16歳の時、宮城県で被災した。3年後、ソチ五輪で優勝した時、金メダルで復興に直接役立つわけでないという「無力感」を語ったが、先月の平昌五輪で大怪我から復帰して勝ち取った金メダルを手にしたときに、無力感は自信に変わっていた。「僕が頑張ることで、たくさんの人たちの笑顔がみられた」。

記憶のメカニズムはまだまだ十分に解明されたとは言えないが、昨年の科学誌『Neuron』に掲載されたレビュー論文によると、脳内の細胞、シナプスが「時間を理解している」からという。論文共著者のニコライ・ククシュキン氏は「記憶を蓄えている場所があるのでなく、システムそのもの」と主張する。

中島みゆきは『記憶』でこう歌う。
♪ 思い出すなら 幸せな記憶だけを 楽しかった記憶だけを辿れたらいいけど ♪

すべての日本人にとって、辛い体験であった東日本大震災。しかし、その辛さを記憶して、次につなげることが、われわれ今に生きる者たちに課せられている。誰もいない公園グラウンドで飼い犬のリードを握りしめ、そう考えた。









 
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