真に清い田からの再出発

年が明け、月が替わっても、日本列島を襲う冬将軍は手をゆるめる気配がありません。寒風吹きすさぶ中、われら一宮むすび心療内科は引っ越しを完了したので、院長ブログ読者にご報告します。

旧住所は尾張一宮駅前の栄4丁目。昨年大晦日の当欄で紹介したように、前大家の米穀会社が自己破産し、競売で落札した通運会社が有無も言わせずに退去要求してきたのが当院移転理由でした。
たまたま今夜のテレビで、建物老朽化で立退きを迫られる生活困窮者の特集を観ました。札幌では、生活支援施設の火事で11人が焼死する悲劇が起きたばかり。日ごろ、そういった人たちの心の問題に関わっているひとりとして、身につまされる思いがしました。

とはいっても、世の中は“捨てる神あれば拾う神あり”。一宮市真清田2‐3‐20 旧則武医院で再出発できる運に恵まれたことに感謝せずにはいられません。
僕の携帯で「ますみだ」と打つと「真清田」とは変換されず、「真澄だ」、「益美だ」「増美だ」、、、。地元民には説明不要でしょうが、尾張乃國一之宮の真清田神社に由来する由緒正しき地名。社伝によれば、鎮座は神武天皇33年とか。
同神社HPから引用させていただくと、平安時代に国幣の名神大社と認められ、鎌倉時代に順徳天皇が舞楽面を奉納〔現在も重要文化財として保存〕、江戸時代に尾張藩主徳川義直が神領として大修理を行うなど歴史の長きにわたり、篤き信仰の対象として崇められてきました。

繊維の街として知られてきたわが故郷一宮の地は、木曽川の灌漑(かんがい)用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって田畑を耕す運に恵まれたため、「真清田」と名付けられたとのこと。
その神社北側、鎮守の杜のすぐとなりで、2月2日から気持ちも装いも新たに皆さんをお待ちしています。


犬賀新年

明けましておめでとうございます。2018 (平成30)年は戌(イヌ)年。犬にまつわる話は、と考えながら外来初日を迎えたら、期せずして2人の患者さんから話題が出たので、本日はその紹介をーー

犬飼博子さん(47歳)。ここ10年以上、通い続ける摂食障害の女性。学生時代、肥満を知人に指摘されダイエットしたのが発病のきっかけだった。
20㎏以上減量して目的を達したのもつかの間、お決まりのリバウンドに苦しめられる。食べたい欲求と闘うのに必死だったとき、嘔吐すれば楽になり、体重もコントロールできると発見した。その“悪魔”に魅入られたが最後、なかなか元には戻らない。気がつくとやりすぎて体重は30㎏、さすがにまずいと感じたが、そうなるともう自分の意志だけでは止まらなくなっていた。
僕の勤める心療内科は当時、産婦人科・小児科併設の病院だった。おなかの大きな女性の並ぶ待合室で、あばら骨の浮き出た博子さんが待つ姿は痛々しかった。安産の象徴となる戌の日は、特に妊婦患者さんが増えてつらかったはずだ。
SSRIという薬と認知行動療法を続けても病状は一進一退。受診当時30代という年齢が大きなリスク要因だった。摂食障害は発症して時が経てば経つほど回復が難しくなる。食行動異常という体の病気であると同時に、背景には複雑な心の問題が横たわることが難治の理由だ。
人付き合いが苦手で内気な性格。常に他人の視線を気にして10~20代を過ごした。その博子さんを支えたのが年下の夫だった。休日はもちろん、彼女の調子のすぐれない日は家事全般を引き受ける。入院も試みたが、その間だけ過食嘔吐なしで過ごせても、退院すると元の木阿弥(もくあみ)だった。
治療方針を、症状を無くすのではなく、一日一日を穏やかに過ごすことにシフトした。そんな中、以前は強かった抑うつが減ったのは、市で借りた畑で野菜を作り出してからだった。
大晦日の夜。夫の実家に泊まった時、珍しく吐かなかいでいると、連れていた飼い犬が喜んでずっと甘えてくる。「犬のためなら、嘔吐を止めたい。私、戌年だし」と笑う博子さんのとなりで、申(サル)年のご主人が目を細めていた。

犬塚志乃さん(24歳)。やはり、摂食障害で受診中の独身女性。ただ彼女の場合は精神科合併症がいくつかある。この若さでアルコール依存症の状態。過食嘔吐の女性にちらほらあるが、お酒と過食が交互に激しくなる患者さんがいる。志乃さんもそのひとりだ。
家族との折り合いが悪い。特に父方家系との間で憎しみに近い葛藤がある。その心のすき間を埋めるためもあり、好きなペットショップで働いている。トリマーを目指すが、そこでも自分と合わないスタッフがいると酒で紛らわす日々が続いた。「死のうと思います」が診察での決まり文句になった。
肝機能も一時、γ-GTPが500近くにまで悪化した。女性は男性の2倍の速さでアルコール依存症になるデータを伝えても焼け石に水、ならぬ迎え酒状態だった。
当院受診前から通っていた民間カウンセリングに行けなくなって引き継いだが、それも今は中断状態。リストカットもしばしばという日々を過ごしてきた。
そんな志乃さんの唯ひとつの慰めが、自宅で飼っていた犬「レオ」だった。オスのコーギー。そのレオが倒れた。人間なら70歳代に相当するレオに降りかかった病名は多発性骨髄腫。しばらく前から闘病生活を続けていたが、暮れに脳内出血を起こし、けいれんが出て、かかりつけ動物病院に駆け込んだ。注射、点滴。舌が出なくなり、食事が摂れないためシリンジで与えた。
余命宣告され鼻血が止まらなくなっても、志乃さんは仕事を休んで寝ずの看病をした。年内はとても持たないといわれたが、大晦日の除夜の鐘をレオの枕元で聞けた。
明けて戌年元旦、レオは天国に旅立った。14歳と1ヶ月。その4日後の外来で、顚末(てんまつ)をポツリポツリと語ってくれた。動物専門の焼き場に連れていき、レオの骨を拾った。最期の闘病の日々、アルコールは飲まなかったという。

精神科・心療内科では、ほかにも動物たちとの関わりを通じて、病気と向き合っている多くの人たちがいる。犬の学名(Canis lupus familiaris)はオオカミから進化し、ヒトと関わるようになった食肉目という意味だ。家族(family)の語源と同じなのは、特記しておくべき事柄だとおもう。
犬と、人とーー




立つ鳥、跡を濁さず

平成29年も今日でお仕舞い。干支の酉(トリ)年に掛ければ、表題のごとく「立つ鳥、跡を濁さず」。われら一宮むすび心療内科もあと1ヶ月で今の場所を立ち去り、引っ越しすることに。患者さんには移転先の説明を始めているものの、「こんな便利なところでやっていて、なぜ移るんですか?」と訊かれることもあるため、今年最後の当欄でお伝えしようと思った次第。

平成25年夏。当時上林記念病院勤務だった僕は、休日に開業物件を探していた。知人を通じて見つけたのが、現在地のテナントだった。JR尾張一宮駅徒歩3分の至便。鉄筋3階建の2,3階に会社経営の大家が住み、1階部分をその会社から借りる“軒先貸し”だったが、スケルトンで自由にレイアウトできるので、即決した。
26年4月8日、灌仏会(かんぶつえ)のおめでたい日を選び、門出を飾った。心身医療を生まれ育った地でというわが思いは順調に展開するかに見えた。
大家は「良い人」だった。大家分の駐車スペースが空いているときは使用許可してくれたし、雪の日は雪かきスコップを貸してくれた。しかし、入居時に抵当権が設定されており、ほどなく大家の会社が自己破産するとは想定外だった。当院ホームページには建物全体が写っているので、院長所有のビルと勘違いする患者さんもいたが、当院は家賃を支払う店子の立場だった。
任意売却が何回か不調に終わり、しかも管財人が途中で“辞めて”しまうハプニング〔これには、いまだに腹が立っている〕もあって審査が長引き、裁判所による売却が行われた。当院も競売に参加したが、ことし夏落札したのは、1億円を超える額を提示した地元A社だった。
「バブル期のような地上げ屋だと困るが、地場の老舗会社なら再契約してもらえるだろう」と当初は高を括(くく)っていた。だが、裁判所から指示されたA社の担当者に何度連絡しても、返事はなかった。
8月1日夜。速達で内容証明郵便が届いた。A社代理人の弁護士からだった。立ち退きするよう求める文章が記されている。「やられた!」、、、、、、愚痴をこぼした知人はほぼ例外なく「営業権あるんでしょ。立ち退き料もらえば」という。
しかし、法律的にはそれは的外れだ。当院入居時に抵当がついている以上、競売で当ビル土地を取得した新所有権者には対抗できない。しかも、A社は損害金として毎月、家賃の約2~3倍の金額を要求、期限内に出ていかなければ違約金500万円を求めてきた。
半年は法律の猶予期間があり、家賃相当額を供託する選択肢もあったが、移転先が見つからなければ、当院は“空中分解”せざるを得ない。やむなく和解を進め、年末に成立した。
問題は移転先だ。いろいろあって結局、市内中心地、真清田神社隣の旧則武医院を借りることができた。故則武克彦先生は2年前、トライアスロン中に50代の若さで急逝された。残念至極だが、同院ビルに住む奥様が使用を快諾してくださる心の広い方だったのが幸いした。〔クリニックは2階でエレベーターがありません。車いすの方の対応は困難です〕  

というわけで、一宮むすび心療内科を応援して下さる皆様に。よいお年を!

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